イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

2015年01月08日 11時39分37秒 | 日々思い感じること



いつもは見ることのないノンストップですが、新聞のテレビ欄の見出し
「独占第四弾 小山明子大島監督の死から2年、終活告白」が
目に飛び込み見ることにしました。

20代前半、駅のホームを歩かれる大島監督をお見かけしました。
階段を上った先にはJR藤沢駅の改札があるのですが、
その方向に向かって 歩みをすすめてらっしゃいました。

日中のその時間帯、ホームには殆ど人がいなく、
周りの方々は気付いていらっしゃいませんでしたが、
階段から降りホームへと向かう中、高級なお着物をお召しになった、
一際 存在感のある男性に 目がとまりました。
極めて金色に近いような 素晴らしい羽織をまとった
重厚感のあるオーラを放ってらしたその方を目で追うと、
なんと 大島監督でした。
藤沢にお住まいということは存じていましたが、
まさか、本当にお見かけするとは・・・・

(10代の頃、お嬢さんとお散歩中の俳優の上原謙さんを
お見かけしたこともあったですが、私は物怖じしないタイプなので
その時、(名前が一瞬出てこなかったので(失礼致しました
「加山雄三さんのお父様でいらっしゃいますよね?」と
お声かけさせて頂いたのですが、とても感じよく
「そうですよ。あなたお若いのによく僕のこと知ってますね」と、
優しく微笑み、握手して下さいました。とても素敵な方でした。)

今思うと、失礼だったのですが 
こちらへと向かって ゆったり歩いてらっしゃる監督のお姿を
(私も歩きながら) 瞬きもせずずっと目で追い続けてしまいました。
(強力な磁石に吸い寄せられるが如く目が離せなかったというのが
その時の私の心境に最も近かったように思います。)

自分をジッと見つめる私に監督も気付かれたご様子で
「なんでこの女は俺をジッとみてるんだ?」と怪訝な顔をされながらも、
互いにすれ違うその瞬間まで監督も
私の目を眼光鋭く捉えてらっしゃいました。

あれから随分時が流れましたが、
未だ、大島監督のような 威厳に満ち溢れた
独特なオーラを放った方をお見かけしたことはありません。

ある大きな使命を携えて この世に舞い降り、
世の中に様々な影響を与えられる方というのは
何処か他を寄せつけないような
独特なものを 放ってらっしゃると思わされます。

大島監督が歩かれる度、足元を金の糸が
スーッと後をひくように見えていました。
それはまるで その人をあらわす残り香のようでした。

番組では、2年前に他界されるまで、
17年という長きに渡り、監督の介護をされていた
小山明子さんの終活にスポットをあてていましたが、
凛としたそのお姿は本当にお美しく、
達観とはこういうことをいうのだろうなと思いました。

ご主人亡きあとも、パパ、パパと
監督の思い出話しを笑顔でなさり、
監督の眠る 鎌倉の地へのお墓参りの映像では、
「ここはね パパと私2人だけで入るお墓なの」と
仰られ その様子は本当にチャーミングでした。

介護生活の中で、小山さんご自身も介護鬱になり、
自殺をも考えたと以前、他の番組で
何度となく拝見させて頂きましたが
今、小山さんはイキイキと、素晴らしい人生を
謳歌されていらっしゃることに爽やかな感動を覚えました。

最近、生きざま について考えることが多くなりました。

人生を終える時、
「勇気あるチャレンジャーとしてまたこの世に生れたい」と思うのか・・・・
人生の終焉をどのように迎えるのか・・・・

今日は大事な友人の大切な家族の月命日です。

彼女とは魂の部分で深く共鳴し、
すんなりと意思の疎通をはかれることを
とても嬉しく 有難く思う日々です。

科学的な考察を含めた、スピリチュアリズムを学ぶ直前
師匠に 「貴方が安心して自分をさらけだせるのは
霊的な感性が豊かな人」と言われたことがありましたが、
仲間と講義を受ける中で 本当にそう思わされました。
その後、師に 「先生、本当にその通りでした。」と伝えると
「スピリチュアリズムが根底に入っている人との会話は楽でしょう」と
ニッコリ笑って言われました。

彼女とは期もクラスも違いましたが、師匠は同じです。

私の魂は男性的で、体育会系なので 言い訳したり、
説明したりするのは 実は好きではないのですが
(自分が悪者になってもいい、と思う節があるので)
なので言葉で色々説明しなくても分かり合える関係というのは
本当に貴重です。

敏感に感じてしまうからこそ、多くの人とテキトウに上手~く 
話を合わせて 付き合うことは 私にはできません。

そんなことをすると 私の魂は萎えてしまいます。
疲れてしまいます。

だからこそ慎重な私は 本当の意味で
「友達」と呼べる人を 多くは持ちません。

彼女の大切な家族が 神様のもとで、
元気に走りまわっていますように