福井県人の不思議のひとつに
「冬のお菓子=水ようかん」という文化がある。
えっ?なんで普通 水ようかんは夏でしょ?
あま~い!福井ではね…冬にコタツに入って「みかんと水ようかんを食べる」っていう風習があるのです。
だから スーパーでも年末あたりから2月頃までは「水ようかんコーナー」ができているぐらいだし
私の「ギター友」のちーちゃんとこはお菓子屋(和菓子)さんなんだけど 冬場はお餅と水ようかんでめちゃくちゃ忙しいんです。
どうして冬に食べるのかという疑問は、いろんな人に聞いても答えは決まって「わからないただ昔からそうだから」となります。
だから 冬に他県の人に「水ようかん」を贈ると 結構おもしろい反応があって話題性に富んでると…
ま、そういうことだけ念頭においてくださって、このお話を見てくだされ。
「まっつあん」の友達 N君は ○AMAHAの社員でした。ポップコンの企画やら 契約歌手などのマネージャーなんかをしていたらしいのですが 故郷福井で商売を営む父親が急死したことから 事業継承もあって会社を辞め福井へ戻ったんです。
でも○AMAHAの同期の面々とも今も交流があるそうで 時折みんなであちこち旅行に行くらしいです。
ある時 石川県の能登方面へ一泊旅行をした際の事。
春まだ浅い日だったので N君「東京もんには これが受けるはず!」とばかり「水ようかん」を 久しぶりに会う元同僚の人数分お土産に持参したらしいです。
写真のように 水羊羹のハコは水をはじく加工はしてあるものの素材は紙なのでして、時間が経つと水分がにじみ出てくるので 包装紙かビニール袋に包むのですが、おもろいついでに新聞紙でくるんだN君、旅館でみんなに渡し結構盛り上がったそうです。
そして翌日帰路に着く前に「そういえば親が神社の神主だって言ってた 昔の同僚○○は能登だったよな!?近いのかな?」という話になり 時間があったら寄ってみようと決まったそうで、当人の電話を調べ電話をかけてみたところ「是非来てくれ」という返事があり、帰る途中でもあり、みんなででかけたそうです。
着いてみたら もんのすごいでっかい神社(地方ではかなり有名な神社らしい)で 一同オドロキ!
社務所で 元同僚の名前を伝えたところ「今 参拝客のお払い中なので」とのこと。なに??もう神主になってたのか!?と またオドロキ。
でも、時間もかかりそうなので「ちょっとお寄りしただけだから 帰りの時間もあるしおいとましますから、よろしくお伝えください」と、土産がわりに残っていた水羊羹(新聞紙包み)をお渡しして帰ろうとしたところ「少しだけお待ちください」と引き止められ 待つことしばし…「よろしければ本堂で皆様のお払いをして差し上げたいとのことですので 皆様でおいでください」
なんと!えらい展開になってしまいました。
巫女さんの案内のもと 全員ぞろぞろと長い廊下を渡りに渡り…なんじゃとて?お払いかい??
しかし、あたりの風景が目に入らぬほど N君が一番不安なことがありました。
それは巫女さんが高く拝したお盆に載せている紙包み。
「どう見ても おれの水羊羹…」
その 水羊羹が角を曲がっては指し示す方向へ 皆はもくもくと歩き…。
いや、取り越し苦労のはず…、本堂で待つ 友人が
「いや~よく来たな!」と笑って水羊羹を受け取ってくれるものと思っていた、そのはかない期待は打ち砕かれ 友人と話をするどころか、お盆は高々と 神の前のお供えと化したのでありました。
友人の高らかな祝詞の最中 N君の頭の中はぐるぐる…。
「水羊羹には見えなかったんだろうし…まさかお札と思ったのだろうか?高貴な神社の参拝料?はたまた○AMAHAのお歴々、空身のはずはなかろう?と思われたのか?」
念入りな祝詞の最中 冷や汗が出っぱなしだったそうで。
皆も思わぬ展開に言葉を失い 祝詞が終わる早々会釈もそこそこにその場を去り、神社の友人とは 次の参拝の前のちょっとだけ挨拶して 帰路についたそうです。
水羊羹を食べるたび いつも思い出すそうです。
新聞紙が少し湿って羊羹の汁がにじみ出ていたそうで…
あのあと どうだったのだろう?
驚いただろうな?
意味わからんだろうな…水羊羹のお供えでは…
それ以降も 友人より触れられぬ限りはこちらから聞く事はやめよう…
そう思ったN君でありました。
いずこの神社も
「水羊羹 1枚」のお供えは ちと無かろう?
一番高貴な水羊羹のお話でした。
のど越しつるりん!
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