Who's松原正樹?

名ギタリスト「松原正樹」の応援ブログ(惜しまれつこの世を去りましたが 時を超えて思い出をつづりたいです)

フェンダーと むーーーーーん

2016-02-17 15:32:17 | まっつあんの秘密
皆様 もうお忘れでしょうが…
実は 昨年より黙っていたことがありました。
一昨日、昨年9月「お墓詣り」に 帰福された松原夫妻とご一緒させていただい

た写真を載せましたが…
その時 とっても素敵な事があったのです。

そのお話の前にこれからの話をちょっと頭においてくださいね。
以前の日記を見てくだされば 同じことが書いてあります。
335のいきさつも 他の日で載せていますのでどうぞご覧ください。

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さて 見てください!
↓この中に松原正樹さんが世界一欲しいギターがあります。


マーチンD45 ギブソン…
なかなかツワモノが揃ってるでしょ?
小さい越前市の楽器屋にはこれだけ揃ってはいませんじゃ!
えっへん!!

で、どれなのかって?
それは ヒントは3月12日の日記です。
335を購入する為に2年間愛用していたギターを手放した…10万で…と書き

ました。

そうです そのギターどうなりましたでしょうか?
そこなんです!
手放したギターがまだこの世にあったら…
そしてそのギターに出会ったとしたらです。
手元に取り戻したい気持ちになるのはわからないでもありません。

「回答」
そのギターは「フェンダーストラートキャスター」でした。


ちなみに刻印には
「FENDER381613」と打ってあります。


韓国とかで製造する前のタイプで 今でも「良い音するんにゃわ~(福井弁)」

335が欲しかった時 まっつあんが大学のギター部に属している 友人N君に

話を持ちかけたところ二つ返事で購入してくれるとの事(その時はまっつあん知

らない他人に売るよりは嬉しかったと思うよ) よく10万持ってたものだと思

うけどね…。(かなりお坊ちゃまだっ!)

ほらね!
松原正樹愛用のギターだという証拠もありますよ。
「MASAKI」の手彫りサインなんかもあったりして…


この黒い色も「つや消しペイント」で塗ったとか…正樹さん言ってました。


当人は忘れているでしょうが お金と交換する時「麻雀パイ」も一緒に添付して

くれたそうです。
そのパイもギターも 放出する事無く ギターは今も現役でN君の営業(バンド

活動)の際は活躍しているそうです。

この間の会話…(ウメは聴いた!)
いっぱい 335の話をした後 フェンダーが健在だと聴いて…
松原「フェンダー 30万で売ってくれないか?」
N「やぁ~だね。オレずっと使ってて愛着あるもん」
松原「そっか そうだな…それだけ使い込んでてくれてるもんな ありがたいな

…でも いくらなら売ってくれる?」
N「だから 金の問題じゃないないんだって」
昌江「でも すごいねぇ~そのギターがあるってこともすごいけど…ずーっと使

っててくれたって事がね ありがたい話だねぇ~すんごく見たいっ!」
N「じゃ こんどブログにUPできるようにするよ」
昌江「それでさ、ホントにいくらだったら手放しても良いかなぁって ちょっと

聞きたいんだけど…」
N「いや 売る気ないって!」

N氏曰く
こいつはオレのところにいるから幸せなんだ!
弾いてもらえるしね。。。
昔手放す事になってしまったっていう出来事もあって 買い戻して手元に置きた

いっていう松原の気持ちもわかるけど やっぱり松原正樹の音は335なんだよ


オレは335は使いこなせてないけど(N氏の得意はアコギ。営業では場が持て

るのでバンド編成だそうで)
フェンダーの音は好きなんだ。

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と、言う事で この話は途切れたのでした。

でも 昨年の帰福時に 話をした際
「ねえ まっつあんのギター返してあげたら」
と、口火を切ったのは 私です!私!

すると、なんということでしょう。
N氏がいうことにゃ
「いいよ、やっぱもとの持ち主に帰るのはいいよな。
 金はいらん。でも 俺も使ってるフェンダーやから
 なんでもいいから 替りになるのくれ!」
まっつあん夫妻
「ほんと!ほんとにいいの
 そんなもん あげますって」みたいな
あれよあれよの会話で このギターが持ち主のもとに戻る事になったのです。
N氏が そう言ったのは 松原君が病気の事を話したから?
いいえ 違うんです。
その前に なんか そうしたいって思っての承諾でした。
そこが 素敵です。
(もともといつか返してやろうって思っていたのだとか)

ほどなくして フェンダーを送ったN氏
そして 松原さんから かわりの愛用のギターが届きました。



ウェブで見ると ちゃんと載っていますね。
このギターです。


本当は 東京へ行く用事があった際に
松原邸に 持って行きたかったらしいのですが
その時 まっつあんがちょうどレコーディングとか忙しかったのです。
それが ちょっと心残りだったとN氏。
まっつあんと ギター見ながらあーだこーだ言って話したかったそうです。

今迄 黙ってたのは
もしも またライブ開催された時に
「こういうギターが戻ってきました」って
ステージで生きた音を鳴らしてくれたりしたら
その時に書こう!って決めていたんです。

でも・・・全部置いて 逝っちゃいました。
ただ 彼の音楽や エピソードはてんこもり。
ずっと生きていくんです。
それは 本当に素晴らしいと思います。

って ことで 母親の介護を卒業した私は
また N氏のギター教室に通うようになり
この「ムーン」の前で いつまでたってもへたくそギターを
「ちくりちくり」と 叱られてへこんでいるのですよ。

まっつあん 助けて!!

友よ!

2016-02-12 15:35:44 | まっつあん近況


願い届かず・・・
松原正樹さんは 旅立っていきました。

2016年2月8日 未明

昌江さんがフェイスブックに お気持ちを綴っておられますので
ここに記させていただきます。

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魂が宿っていた肉体にいよいよ限界が来てしまいました。
治療を続けてきましたが、末期癌の為2月8日未明、夫:松原正樹の魂は天に昇って行きました。

入院してからは、激痛緩和の麻薬鎮痛剤で意識朦朧状態が続きました。
そんな容態でも、夢の中でレコーディングをしている様子をずっと口にしていました。
普段から演奏やレコーディングに集中する性格が凄く出ていて、看ていて泣きながら感心していました…

生前のコロコロっとした体型、優しい笑顔、私の好きなハスキーヴォイス、ドラえもんの様な手で歌う様にギターを弾く松原の姿を記憶に留めていてください。

松原が魂を込めた演奏、追求し続けたサウンドの作品は沢山残っていますので、末長く愛聴して頂けたら、松原がこの世に生きた証しとして嬉しく思います。

本日、那須にて家族葬を済ませました。
お知らせできなかった事をどうかお許しください。
尚、後日東京でお別れ会を催したいと思っておりますので、企画整いましたら、オフィス・ロッキングチェアー山口より関係各位ご案内させて頂きます。

皆さまに温かく見守られ、沢山の励ましのメッセージを頂きました事を感謝いたします。
本当にありがとうございました。

2月10日 松原昌江

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昌江さんがこの報告を上げられてからの
「松原正樹」検索ワードの爆発
ツイッターのタイムランの書き込みのすごさ・・・

亡くなって初めて・・・って言うと バカチンなんのですが
初めてわかった気がします。
だって 私達にとっては 普通の愛すべき友。
やんちゃなとこ やさしいとこ キョロキョロ…エッチくさいとこ
そういう面を多く見てきたので ミュージシャンとして
どんな位置にいたのか よくわかっていませんでした。

たくさんの人が哀悼のコメントや記事をあげられています。
福井の地元新聞「福井新聞」でも 取り上げられていました。


誰が先というのは 誰もわかりませんが
残念でなりません。

写真は昨年9月 お墓詣りがてらに帰福された時の様子です。
ものすごく楽しくて やっぱり日をまたぐほど話が尽きませんでした。
私もまっつあんにそそのかされて(笑) 初テキーラなんか・・・

その時 まっつあんが病気について友人みんなに語りました。
でも…その時 誰一人としてこんな日が来るとは思わなかったはず…。
それぐらい 元気にみえたのです。

しかし
昌江さんをはじめ たくさんの人の祈り届かず
あっという間に 旅立ってしまいました。

はやすぎだよ・・・正樹さん
最高に美しい那須の春…
昌江さんと ポポちゃんと 散策しなくちゃね