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これがパリ?・・・移民政策の行き着くところ

2024-06-08 18:50:23 | 世相雑感

Xでこの画像を見たときに、え?違うんでない?と思った。

しかし、画像の両端を見れば、確かにヨーロッパの建造物・・そうなのか・・・北アフリカのバザールではないのか。

大昔友人が仕事でパリに住んでいた時があって、彼女のうちに止めてもらいあちこち美術館に行ったが、こんなではなかったなあ・・

初めてのパリは、40年以上前だ。

モンマルトルあたりの安宿に泊まって(それも屋根裏部屋みたいなところ)教会の鐘の音で目覚めて、ショコラとクロワッサンの朝食をメイドさんが持ってきてくれた。これ、美味しくて、特にこのときのクロワッサン、私が人生で食べたクロワッサンで一番のうまさだったと思う。今は、モンマルトル近辺、ひとり歩きは危険みたいだが。

動画から切り取ったものは以下

 

大都市には、その昔から「○○人街」的エリアはある。

だから、これがパリのアフリカ人街・・フランス、北アフリカに植民地をたくさん持っていたから、そこからの流入

者のエリア。多分。そもそも、確かフランスって、移民施策をしていたし。今は知らんが、軍隊に3年?位在籍したら国籍をもらえてたはずなんだけどな・・・私のうろうろな記憶だが。

 

エッフェルおばさん達のような観光客が行くエリアも確かに存在しているはずだが・・・

しかし、フランス・パリの多くのエリア、北アフリカ?な状態が浸透しているのではないか。

どうやって「花の都パリ」をとりもどすのだろう・・・

確かこの夏はオリンピックですよね。

ところで

○○人街

日本で言えば、明治の開港から横浜には、外国人居住区、欧米人、インド人、中国人、半島系、と棲み分けしていて今もその名残があって、例えば横浜中華街。

その昔、シンガポールで観光地から外れて「インド人街」と「イスラム街」にふらふらとさまよい込んだことがあるが、そこは「シンガポール」ではなかった。インド人街は、友人と旅したインドの街そのものだった。

 

移民は、決して「郷にいりては郷に従え」なんてことはしない。自分らの流儀を持ち込むだけだ。

フランスの状態を見ればそれはよく分かる。

「自分たちの流儀」を持ち込まれた国はどうなるか。自分たちの文化や伝統を失っていくのだ・・・

治安はずんずん悪くなる。

これって、対岸の火事ではない。

昨今の岸田総理の移民政策、パリの画像が日本の未来と思って間違いない。(今は)

すでに、埼玉県川口市はなりつつある。神奈川県川崎市の南部も然り。

 

これ、新宿ですが・・・上のパリの画像と似てません?

ニッポンは、どうやって、ニッポンを取り戻すのか?もう無理かも知らんね。

最後にこんな拾いものを貼り付けます。(ためになる)

日本人が少数民族になる未来、ありそうです・・・今のままなら。

劇的にこの流れは変えることは不可能だろう。

でも、何かできないのか。

だれでもできることは、選挙に行くこと。

自分で調べて、考えること。

 


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