年も考えずに久しぶりに夜行バスを利用して、大阪から姫路、讃岐へ弾丸で行ってきました。
ミヤコは私が出かけると察知して、座った私のわきにピタリとひっつく。そういうことされると、出かけたくなくなる猫の下僕なり。
ミヤコは賢くなりました。
長岡あおーれのクリスマスイルミです。思わず通りがかりにパチリ。22時5分、東口発。
町中はそれなりに若い子がはしゃいでいて、うれしかった。
大阪から姫路、向かった先は不思議なご縁でつながっている破磐神社さま。
姫路の友人たちとも再会。宮司さんともお話。
懐かしくてうれしい時間はあっという間に過ぎます。
まだモミジがきれいでした
そしてそして、午後から香川は善通寺へ。
乗った電車は、アンパンマン号(高知行きの特急電車*南風)
善通寺、弘法大師空海のお誕生寺といわれるお寺。
総本山善通寺 真言宗善通寺派 もう何度通ったことか。遍路でご縁ができて、何十回となくお参りしている、お寺のシンポにもパネラーなったり、信徒誌にも書かせていただいていたっけ。子供合宿にも参加したなあ。
お寺の方々とも親しかったのだが、今はみんな変わられて、見知っている方々は、管長さんを含めて数人となってしまった。
そりゃそうだ、はじめて善通寺に遍路として参拝したのは1995年春。
それから30年近い年月が流れている。
しかし、お寺のたたずまいは変わらない。
お寺の建立のころからある千年大楠
この大木を見つめていると落ち着きます。
この向こうが御影堂
左に曲がると宿坊。そこが宿。
夜は時間が止まったかのように静かでした。
この時間が好きです。
朝は5時半に起きて、6時よりの朝勤行。
あれは、2020年だったか、私1人の時があったが、今年は私も入れて5人久しぶりの多さ。
もちろん、遍路シーズンの時はもっと多いのだが、今はオフシーズン、師走だしでこんなものでしょう。
昨年は確か2名。
朝勤行は参拝者がいようといまいと、朝のお務めとして淡々と1年中変わらずにされている。
高野山奥の院もそうだが、こちらもそう。
真っ暗で寒い中始まる朝勤行、終わりのころには五重塔のあたりから白んで明るくなる・・この時間がたまらなくいい。
最後は、琴電で長尾まで行き、88番の近くの供養の碑を参拝。
これは、遍路へ出たものの道中で亡くなられて88番まで行きつかなかった方々の慰霊碑。
「遍路道中物故者供養 へんろどうちゅうぶっこしゃくよう」
お花やろうそく・香立ては4年ぶりくらいに会った遍路の知り合いの方(たまちゃんといいます。彼女とお父さんが持ってきてくださった)
用意してくださった。そして一緒にお参りした。また会えてよかった、よかった、なんですよね。
コロナのせいで、長い間会えませんでした・・・・
この後、この土地の新しい地権者の方にお会いしてお話。
いい方々だった。
ええで、心配せんでも、わしらが守るしな、と言ってくださって、周囲も整備してくださっていた。
たまちゃんのご家族もしてくださっているのだが、心強い。
この碑建立の世話人の一人の宮崎健樹大先達はもう亡くなられて久しい、残った世話人である私もいつ行けなくなるかわからない。
少しほっとした面談の時間であった。
いい流れが自然とできていくのは、不思議だしありがたい。
この碑もあと2年で20年。
往事茫々
光陰矢の如し
以上 私のSpiritual Work でした。
今年もできました、感謝です。
身体はホントにつかれました、夜行バスは老骨にはきつい。
しかし、心はシャキッと充実しています。
母は、帰宅した翌日(5日)病院にいきましたが、明らかに歩き方は楽そうで、何とか帰れそうですが…在宅酸素かもしれないか‥なと。
血中酸素濃度が上がりませんので・・・そうなると、その装置の管理が大変になるし、悩みは尽きません。
しかしまあ、ベストを尽くします。
無理はしませんが、きっとやれると思います。