こんばんは。
手はなまこが切れないくらい温かいのに、万年冷え性の私。
こたつを出してしまいました。
お尻に根っこを生やそう。日本文化ばんざい。
さて、ステップを進めたいと思います。
前回は「私は誰?」の補足と、「今はいつ?」を進めました。
今回も左脳編です。
スタニスラフスキーの質問は続きます。
「ここはどこ?」
こう質問が並ぶと記憶喪失キャラクターの定番の質問みたいですね(^^)
そうです。これは自分の知らない自分探しなのです。
冷静に正しくその姿と背景をスケッチしていきましょう。
スキャンにグレーゾーンがあれば自分の適当な「クセ芝居」で切り抜けなくてはいけなくなります。
言葉を憚らず言います。「クセ芝居」は「クソ芝居」です。
長い劇団仲間と馴れ合っていると、これを指摘できずにずるずると三流芝居を続けていることもあるでしょう。
クセが100パーセント悪いわけではありません。経験が浅ければそうなっていくことも致し方ない場合もあるでしょう。
ですが、「これ(クセ)でいっか」というもの作りに対する姿勢は「クソ」です。
クセと闘わなければ、成長も無い、新しいものも生まれない、つまらない演者になりはてていきます。
そしていつか仲間に飽きられ大事にされないので新しい仲間を探すようになり、お客様に飽きられ動員できなくなり、、、、そして自分も飽きたとき、そっと「才能の限界だ」と感じて、生活の苦しさにも追われる中で、夢をあきらめていくことになります。
なので!ひとせは癖は現場で容赦なく見つけてゴミ箱ポイです。
常に「今」「どう感じるか」に誠実に正直であればクセなんかなくなるのです!
舞台上で、またカメラが回り始めたとき、「必死に今、役を生きる」ことをすれば飽きられることは一切ありません!自分が飽きることもありません!そんな心のすき間はありません!
あ。グレーゾーンの話からかなり脱線してしまいました。
「ここはどこ?」については「今はいつ?」と同じで資料が必要です。
図書館に行きましょう。大いにぐぐりましょう。
また、資金や時間が自分の耐えうるものなら足を運びましょう。
国、県、町、施設、、、描かれているものについては全て知っておきましょう。
一流ホテル一幕ものであればオークラに行って見ましょう。
同じ宿泊施設でも渋谷の坂の上あたりのピンクなもの、片田舎の民宿、別荘、さまざまですね。
小屋入りしてからセットを見て、「ああ、こんな感じなのか」と初めて知るのでは遅いです。甘いです。
理想を言えば、演者の振る舞いでそこがどこなのか観ている者が分かってくるぐらいが望ましいです。演者が見ている空間、信じている空間をお客様も共に過ごすのです。
15年~20年くらい前までは裸舞台もたくさん試されていて、それが成立しているところも多かったです。
より演者の人間的感情にクローズアップするための裸舞台がいつの間にか「制作費ビンボー」の象徴のようになってしまったのは残念なことです。
さて、また脱線してしまいました。
質問を続けます。
質問は最も重要なものになってきます。
「私は、何を欲しているか?」
これは、役の劇的欲求(ストーリー上の要求)です。
これが無くてはその役に登場理由がなくなります。
「自分は何が欲しいのか?」
「なぜそれが欲しいのか?」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」
この4つの質問はストーリーを(その役の)主観的に捉える大きな手段になります。
童話の桃太郎で言えば、上の質問はそれぞれ、
「自分は何が欲しいのか?」→「村の平和を欲していて」
「なぜそれが欲しいのか?」→「悪いことが許せなくて」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」→「鬼が島の鬼を退治しなくてはいけなくて」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」→「キビ団子をエサに仲間を増やして、鬼退治に行く」
となるのですね。
脚色される場合はこの劇的欲求にまつわる部分をそれぞれ膨らませるとおもしろくなりますね(^^)
次のステップはまた質問を重ねます。
本日はここまでで~。(^^)
手はなまこが切れないくらい温かいのに、万年冷え性の私。
こたつを出してしまいました。
お尻に根っこを生やそう。日本文化ばんざい。
さて、ステップを進めたいと思います。
前回は「私は誰?」の補足と、「今はいつ?」を進めました。
今回も左脳編です。
スタニスラフスキーの質問は続きます。
「ここはどこ?」
こう質問が並ぶと記憶喪失キャラクターの定番の質問みたいですね(^^)
そうです。これは自分の知らない自分探しなのです。
冷静に正しくその姿と背景をスケッチしていきましょう。
スキャンにグレーゾーンがあれば自分の適当な「クセ芝居」で切り抜けなくてはいけなくなります。
言葉を憚らず言います。「クセ芝居」は「クソ芝居」です。
長い劇団仲間と馴れ合っていると、これを指摘できずにずるずると三流芝居を続けていることもあるでしょう。
クセが100パーセント悪いわけではありません。経験が浅ければそうなっていくことも致し方ない場合もあるでしょう。
ですが、「これ(クセ)でいっか」というもの作りに対する姿勢は「クソ」です。
クセと闘わなければ、成長も無い、新しいものも生まれない、つまらない演者になりはてていきます。
そしていつか仲間に飽きられ大事にされないので新しい仲間を探すようになり、お客様に飽きられ動員できなくなり、、、、そして自分も飽きたとき、そっと「才能の限界だ」と感じて、生活の苦しさにも追われる中で、夢をあきらめていくことになります。
なので!ひとせは癖は現場で容赦なく見つけてゴミ箱ポイです。
常に「今」「どう感じるか」に誠実に正直であればクセなんかなくなるのです!
舞台上で、またカメラが回り始めたとき、「必死に今、役を生きる」ことをすれば飽きられることは一切ありません!自分が飽きることもありません!そんな心のすき間はありません!
あ。グレーゾーンの話からかなり脱線してしまいました。
「ここはどこ?」については「今はいつ?」と同じで資料が必要です。
図書館に行きましょう。大いにぐぐりましょう。
また、資金や時間が自分の耐えうるものなら足を運びましょう。
国、県、町、施設、、、描かれているものについては全て知っておきましょう。
一流ホテル一幕ものであればオークラに行って見ましょう。
同じ宿泊施設でも渋谷の坂の上あたりのピンクなもの、片田舎の民宿、別荘、さまざまですね。
小屋入りしてからセットを見て、「ああ、こんな感じなのか」と初めて知るのでは遅いです。甘いです。
理想を言えば、演者の振る舞いでそこがどこなのか観ている者が分かってくるぐらいが望ましいです。演者が見ている空間、信じている空間をお客様も共に過ごすのです。
15年~20年くらい前までは裸舞台もたくさん試されていて、それが成立しているところも多かったです。
より演者の人間的感情にクローズアップするための裸舞台がいつの間にか「制作費ビンボー」の象徴のようになってしまったのは残念なことです。
さて、また脱線してしまいました。
質問を続けます。
質問は最も重要なものになってきます。
「私は、何を欲しているか?」
これは、役の劇的欲求(ストーリー上の要求)です。
これが無くてはその役に登場理由がなくなります。
「自分は何が欲しいのか?」
「なぜそれが欲しいのか?」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」
この4つの質問はストーリーを(その役の)主観的に捉える大きな手段になります。
童話の桃太郎で言えば、上の質問はそれぞれ、
「自分は何が欲しいのか?」→「村の平和を欲していて」
「なぜそれが欲しいのか?」→「悪いことが許せなくて」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」→「鬼が島の鬼を退治しなくてはいけなくて」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」→「キビ団子をエサに仲間を増やして、鬼退治に行く」
となるのですね。
脚色される場合はこの劇的欲求にまつわる部分をそれぞれ膨らませるとおもしろくなりますね(^^)
次のステップはまた質問を重ねます。
本日はここまでで~。(^^)