ひとせのとびとび日記

仁瀬由深の個人ページです。

すばらしき多幸感

2013年11月08日 00時08分55秒 | Weblog
こんばんは。
今日はちょっと俳優への道はお休みして。(てか、ずっと休んでおりますが・・・!すいません。。。)
facebookではちょっと書くのは気恥ずかしいなあ~と思う事を書いてみようかと思いまして。

作品を書き上げて・・・心酔できたり、多幸感に包まれたり。
子供生んだときと一緒で、あらゆる感情があります。
「この作品に会う為に生まれて来たんだな」と何度も思える自分は、なかなか奇跡の生涯を送れてるのかもしれません。
今関わってる方たちに感謝、感謝、感謝です。

以前、書く作業はとても孤独でした。
今は、人に恵まれ、つまづいても辺りは明るく、目的地もはっきり見えます。
仕事ができることは幸せです。

さあ、仕事をしよう・・・とは、トルストイの言葉だったかな。

私に与えられた時間を、最大限の力を持って、生き切ろう。
今日に感謝です。

では、みなさま。
おやすみなさい。

ちょっと訂正です。

2013年06月22日 21時42分43秒 | Weblog
こんばんは。
数年ぶり(数十年ぶり??)に都庁の周りを散策したら、あまりの風景の変化に感動を禁じ得ませんでした。

さて、昨日の記事の「カラーボール」についてですが、「初めて紹介します」と書いてしまいましたが、
ステップ9で基礎編は紹介してましたね・・・
大変失礼いたしました。
昨日は実践応用編ということでお許しください。

以上、訂正でした(^^)
では、また更新させていただきます。

演者の道 ステップ13

2013年06月21日 23時51分02秒 | Weblog
こんばんは。
久々に高校時代の友人とお茶して、楽しくおしゃべりしました。
気がつけば数日前から悩んでいた首の神経的な痛みが消えてました。
ストレスだったんでしょうか?w

さて、前回までで、ようやく左脳の工程が一通り紹介できました。
演者ノートは構築できましたでしょうか?
自分の役がストーリー上、どういう役割をもっているのか、どういう立ち位置に居るのかが把握できてきたかと思います。
衣装や身につけるものがイメージできてますでしょうか?
「こうしたい」というものはどんどん演出家と相談しましょう。
大きい現場ではそう意見が反映されるものではないかもしれませんが・・・

今日は今まで紹介した「アクティビティ」について、さらに新しく「カラーボール」を紹介しつつ、実践を促したいと思います。

①まず、分かりやすいように、自分の役の中で一番ドラマティックだと感じる場面の「要求」を一つ、使います。
(私は何を欲しているか?の部分です。作品によって、場面場面で欲求が違って描かれている場合があります)

②「私は誰?」の内外の書き出しから、一つ、性格を選びましょう。

③2で選んだ性格に、もっとも自分がしっくり来る色を当てはめてみましょう。はっきりした色が望ましいです。
グレー、紺、淡い空色など、中間色は最初のレッスンとしては望ましくありません。曖昧なものは感じにくいものです。たとえば、「空の色」にした場合、自分の中で空のイメージを保てるのであれば問題ないかもしれません。
でも、今は夏の空の色だけど、次の瞬間は秋の空の色になってしまうのでは、困ります。
最初ですから、簡単にしましょう。

今まで明記してなかったかもしれませんが、メソッドとは、「簡単な」ものなのです。
演者はともすると演じる事を難しく難しくしていこうとしてしまいます。
役になれない空虚さや不安を、理屈で埋めようとしたり、無駄な身体への負担をかけてごまかそうとしてしまいます。
そういう不安は生産性の無い稽古を生み出します。
役は「簡単に」「明確に」つかみましょう。
そして、その簡単なものに没頭しましょう。
それこそ、最高に面白いゲームができるのです。
鬼ごっこが不動に面白いゲームなのは、ルールが簡単だからです。

では、まずは、ウォーキングをアクティビティとして実験してみます。
ニュートラルウォーキングから始めて、身体にみなぎるエネルギーボール(ステップ4、5参照)を作れたら、
③で決めた色を、そのエネルギーボールに入れてみましょう。
自分の中にどんな変化が起きるでしょう?

例えば、「怒りっぽい」性格で、色を「赤」と決めた場合。
その赤いボールはどんな温度か。どんな触感か。
歩く歩幅や、自分の中の体温、ものの見え方、歩くペース、呼吸。
自分の中全てに影響が現れてくるまで、赤いボールに集中しましょう。
「怒りっぽい」「赤」です。

時間をかけてかまいません。
エネルギーボール同様、頭で考えるのではなく、「そこ(胸)にある」と感じられるまで続けます。
これは、「Do」(感じる)の訓練です。感じたまま振る舞い、感じている通りにその場に居なくてはいけません。
この時指導者は、カラーボールを持てている演者とそうでない演者をはっきりと見分けることができます。
一つの作品を作る稽古場であれば、作品が仕上がった時、舞台上にどういう人間模様の花が咲くか見て取れるようになります。完成の風合いを見て取れるようになります。
私はそれで触発を受け、演出をくわえることも多くありました。
最初はみんなが無色な中に、メソッドな俳優が良い発色をしているのが数人見えるだけかもしれませんが、焦ることはありません。きっとできるようになります。
そして、この時よくありがちなのが、「自分」がいつまでも居る演者とどう闘うかという悩みです。
役の色は「ピンク」のはずなのに、「(普段の)私は黄色のキャラなんです!」と、絶対に自分を捨てない演者・・・
「ルールに没頭してなお、残るのがあなたの本当の個性だよ」と繰り返し言ってきました。
「自分」を捨てられない演者は不安なのです。時間がかかりますが、手はありますので、また紹介してまいります。

さて、カラーボールを持ってのウォーキングが出来たら、①の「欲求」を抱えてみましょう。
どんな変化が起きるでしょう?
例えば、さっきの「怒りっぽい」「赤」い人が、「お金」が欲しいとします。
その赤に変化は起きるでしょうか?
どのくらいお金が欲しくなるでしょうか?
そしてその「衝動」は歩いている自分の行動に、どんな動きをくわえてくるでしょう?
「頭で考えてはいけません。」
このことは指導者は繰り返し、演者に声かけしてあげてください。

このウォーキングで変化を感じる事ができたら次のステップに進んでみましょう。
「カラーボール」を持って「動き」、「欲求」を「持ってみる」ということを、
ウォーキング以外の動きで試してみます。
例えば・・・

例題の「赤い怒りっぽい」ボールの人が、「お金が欲しい」と欲求しながら、「りんごの皮をむく」と、どうなるでしょう・・・?
刃物を持つのが危ないようでしたら、「筋トレ」でもいいでしょう。
肉体的負担が大きすぎて集中が欠けるようでしたら、「コップ一杯の水を飲み干す」でも面白いかもしれません。
「歯を磨く」とか。いずれも畳半畳でできます。
こっそり自宅で一人でやってみるのもいいかもしれません。

この「行動(アクティビティ)」のチョイスはもしかしたら作品の場合、ト書きに書かれているかもしれません。
ト書き通りにやってみる、そして、遊んでみる。
色々バリエーションを広げる中で、自分の中でカラーボールの扱い方が分かり、自然とその役で居られるようになるでしょう。
目的は、台本以外のことをやることではありません。
左脳で分解してきた人物をいかに「簡単に」「自分の中に取り入れるか」という訓練です。

がんばってください。そして、楽しんでください。

では、今日はここまで。


演者の道 ステップ12

2013年06月15日 00時56分57秒 | Weblog
こんばんは!
・・・・て、すっかり、すっかり、更新が滞っていました。
PCをMacに変えて初めての更新、という辺り、かなりヤバいですね。。。
段々突っ込み辛くなるようで、最初は「続きは~?」といじってくれた方も、何もないかのように
世間話に終止するように・・・ホントニスミマセン・・・

カタツムリの前進ですが、最後までがんばります。

さて、前回は、スタニスラフスキーの「9つの質問」の7まで一気に紹介しました。

残りの2つは
・私はそれを手に入れられないとどうなる?
・それを手に入れたらどうなる?

です。
実は最後の質問は9割、どんな登場人物も、同じ答えになるのではないかと思っています。

これで、質問は全てになります。
質問の答えは、「短く」「簡単に」書き出すことが望ましいです。
長い答えは実践に向きません。

例題として短いシチュエーションを用意します。

「前日、一番の親友が自分の恋人と手をつないで歩いているのを見た。自分は会社事務員で、怒りっぽい性格で、人付き合いは広くない」
これを、「駅のホームを歩く」という動作で表現するとしましょう。

短い情報
<性格>
怒りっぽい
孤独
<職業>
事務員
<私は何を欲している?>
友人
恋人
<それを得る為にどうする?>
わからない
<それが得られないとどうなる?>
苦しい。不幸せ。
<それが得られるとどうなる?>
幸せ。

動作(アクティビティ)は、「駅のホーム」を「歩く」ことです。
歩き方は、まず、「事務員」の歩き方でなくてはいけません。
「営業マン」「建築作業員」「看護師」みんな歩き方が違います。
それは生活習慣が違うからです。
椅子の生活の多い人の歩き方を研究してください。

そして、「孤独」を持って歩いてみましょう。
「孤独」だけを持つと、悲しい方向に流れる演者が多いのですが、このシチュエーションの人物は「怒りっぽい」のです。
「孤独」な分、「怒って」歩いたらどうなるでしょう?





答えは、実践した人にしか起こりませんが、

おそらく、このシチュエーションでメソッドした場合、「焦り」を感じながら歩くことになると思います。
自分に降り掛かった不幸に「怒り」ながら、どうなるか分からないまま歩くので。
例題のシチュエーションを読んだだけでは、「焦り」という答えは出てこないでしょうし、
実際、今一つの答えが分かって、このシチュエーションを「焦り」で演じようとすれば、おそらく失敗します。
なぜか。

(一つの)答えを演じることは、show(見せる行為)であり、Do(感じる行為)ではないからです。
大事なことは、情報を正確に読み取り、実際にそのシチュエーションに五感をダイブさせることです。
その答えまでのデベロッペが人を惹き付け、魅力的な演技を生み出します。
よく、いろんな演出家が、「昨日の演技をするな」とか、「演技を決めるな」というダメ出しをします。
これはまさに上記のことで、演者がほめられて答えを得たと勘違いし、同じ感情行程を演じた場合、
こういうダメ出しを食らいます。

例えば、例題のシチュエーションで、悔し涙が出て来たとします。
それを演出家や共演者が褒めた場合、演者は「泣く事」が良かったのだと勘違いし、
翌日同じシチュエーションで演じたときに、歩きながら泣こうと努力してしまうのです。

今日までのステップで紹介した本から得る情報、「スタニスラフスキー9つの質問」
は、例題のように、細切れの情報に下ごしらえし、
今までのウォーキングの遊びのように、アクティビティ(行動)に情報を乗せて行く形で使います。

この、情報をアクティビティに乗せる為の訓練(遊び)をまた次回紹介できたらと思います。

ではでは、
お久しぶりで失礼しました。



演者の道 ステップ11

2012年11月16日 22時05分51秒 | Weblog
こんばんは。
手はなまこが切れないくらい温かいのに、万年冷え性の私。
こたつを出してしまいました。
お尻に根っこを生やそう。日本文化ばんざい。

さて、ステップを進めたいと思います。

前回は「私は誰?」の補足と、「今はいつ?」を進めました。

今回も左脳編です。
スタニスラフスキーの質問は続きます。

「ここはどこ?」

こう質問が並ぶと記憶喪失キャラクターの定番の質問みたいですね(^^)
そうです。これは自分の知らない自分探しなのです。
冷静に正しくその姿と背景をスケッチしていきましょう。

スキャンにグレーゾーンがあれば自分の適当な「クセ芝居」で切り抜けなくてはいけなくなります。
言葉を憚らず言います。「クセ芝居」は「クソ芝居」です。
長い劇団仲間と馴れ合っていると、これを指摘できずにずるずると三流芝居を続けていることもあるでしょう。
クセが100パーセント悪いわけではありません。経験が浅ければそうなっていくことも致し方ない場合もあるでしょう。
ですが、「これ(クセ)でいっか」というもの作りに対する姿勢は「クソ」です。
クセと闘わなければ、成長も無い、新しいものも生まれない、つまらない演者になりはてていきます。
そしていつか仲間に飽きられ大事にされないので新しい仲間を探すようになり、お客様に飽きられ動員できなくなり、、、、そして自分も飽きたとき、そっと「才能の限界だ」と感じて、生活の苦しさにも追われる中で、夢をあきらめていくことになります。

なので!ひとせは癖は現場で容赦なく見つけてゴミ箱ポイです。
常に「今」「どう感じるか」に誠実に正直であればクセなんかなくなるのです!
舞台上で、またカメラが回り始めたとき、「必死に今、役を生きる」ことをすれば飽きられることは一切ありません!自分が飽きることもありません!そんな心のすき間はありません!

あ。グレーゾーンの話からかなり脱線してしまいました。

「ここはどこ?」については「今はいつ?」と同じで資料が必要です。
図書館に行きましょう。大いにぐぐりましょう。
また、資金や時間が自分の耐えうるものなら足を運びましょう。

国、県、町、施設、、、描かれているものについては全て知っておきましょう。

一流ホテル一幕ものであればオークラに行って見ましょう。
同じ宿泊施設でも渋谷の坂の上あたりのピンクなもの、片田舎の民宿、別荘、さまざまですね。
小屋入りしてからセットを見て、「ああ、こんな感じなのか」と初めて知るのでは遅いです。甘いです。
理想を言えば、演者の振る舞いでそこがどこなのか観ている者が分かってくるぐらいが望ましいです。演者が見ている空間、信じている空間をお客様も共に過ごすのです。
15年~20年くらい前までは裸舞台もたくさん試されていて、それが成立しているところも多かったです。
より演者の人間的感情にクローズアップするための裸舞台がいつの間にか「制作費ビンボー」の象徴のようになってしまったのは残念なことです。


さて、また脱線してしまいました。

質問を続けます。

質問は最も重要なものになってきます。

「私は、何を欲しているか?」

これは、役の劇的欲求(ストーリー上の要求)です。
これが無くてはその役に登場理由がなくなります。

「自分は何が欲しいのか?」
「なぜそれが欲しいのか?」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」

この4つの質問はストーリーを(その役の)主観的に捉える大きな手段になります。

童話の桃太郎で言えば、上の質問はそれぞれ、
「自分は何が欲しいのか?」→「村の平和を欲していて」
「なぜそれが欲しいのか?」→「悪いことが許せなくて」
「それを手に入れるためにどんな障害があるのか?(障害となる人物はいるか?)」→「鬼が島の鬼を退治しなくてはいけなくて」
「私はそれを手に入れるためにどんなことをするのか?」→「キビ団子をエサに仲間を増やして、鬼退治に行く」

となるのですね。

脚色される場合はこの劇的欲求にまつわる部分をそれぞれ膨らませるとおもしろくなりますね(^^)

次のステップはまた質問を重ねます。
本日はここまでで~。(^^)