rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

MECANOーメカノ、スペインのポップ・ロック

2011-03-20 21:29:43 | 音楽たちーいろいろ
このところ、MECANO(メカノ)の曲がキッチンでかかるようにセットされている。
家人セレクトだ。
スペインの80年代を代表するグループ。
カーノ兄弟と女性ボーカルのアナ・トローハの三人組。
スペインらしい情熱的なサルサテイストのものや、エレクトロニックポップの軽く明るい曲などバリエーション豊か。
アナ・トローハの高く澄んで柔らかな声が、どんな曲調でも見事にマッチしてしまう。
スペイン語の歌詞は分からないが、サルバドール・ダリやダライ・ラマの名のついたタイトル曲がある。
ダリは、スペインの画家だからなんとなく分かるが、ダライ・ラマはどうしてなのだろう。
宗教や政治的なことを歌っているのか。
ならば、正当なロックになる。
ビデオクリップを何本か見たことがある。
"Hijo de la Luna"(月の息子)は、幻想的な映像でセンチメンタルな美しい曲だ。


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もうとうに活動停止しているが、メカノの曲はカバーされて(特に、「月の息子」)、これからも多くの人の耳に届くだろう。


瞑想する哲学者、オディロン・ルドン

2011-03-19 15:23:36 | アート


ルドンの絵は、深い沈黙の中にある。
漆黒のなかに蠢く奇怪な生き物たち、色鮮やかな花瓶から溢れんばかりの花たち、目を閉じて物思いにふける青年、天高く駆け上がる騎馬たち。
ざわめきや、生命の踊る賑々しさなども、ルドンの手から繰り出される色の糸によって吸い取られて、この上ない静けさに浸される。
ルドンは、物思いを止めない。
深く自分の内側を見つめ、真理を求めて絵を描く。
その考察の一つ一つが、一枚の絵となって零れ落ちてくる。
彼は、絵で語る哲学者になる。
絵に描かれた真理の一つを見るものに差し出し、考えよ、瞑想せよ、そして哲学せよと、我々に語りかける。
ルドンにとって、絵を描くことと、瞑想することは、同列だったのだろう。
彼の絵を観ていると、穏やかな思考に導かれ、ニュートラルな世界から事象の海を眺め、物思いに耽ることができそうだ。

そういう意味で、とうとうと流れる意識の川のプルースト的な絵画なのかも知れない。
イリエ・コンブレーの小川、病弱な少年プルーストが、夢想した世界。
ルドンは、プルーストより30年ばかり早く生まれたが、同じような時代を過ごし、共通する空気を吸って生きたことが、似たような印象を与えるのだろうか。


人の生み出したもの「お金」。そして「金神様」。エンデの警鐘

2011-03-18 21:00:10 | 随想たち
経済が、世界の共通言語になってどれくらい経つだろう。
余剰産物を物物交換するところから始まり、時間経過による物の劣化(腐敗)という枷を掃い、広範囲で物流を行うには、ある取り決めで信頼を持たされたものである代替物のコンパクトで持ち運びしやすく壊れにくいものが生み出される。
貨幣だ。
はじめは、貝や石、ところによっては家畜・穀物・布などが代替物として扱われた。
しかし、家畜や穀物は移動に不便で隠しようがない、貝や石は類似品で誤魔化しもある。
そこで、人為的に加工した金属の硬貨が貨幣として登場した。
この見事な発明で、人を取り巻く物質は種類が増え、広範囲な物流ができたことで、食品などのの安定供給が図られ、文明と文化が躍進・繁栄することとなった。
経済には、需要(消費者)と供給(生産者・製造者)の2者がいる。
このバランスは、水平に釣り合うものではない。
いつもどちらかに傾いている。
そうするとその差が、何処かでだぶつき、あるいは歪をもたらす。
それは、富(お金)の片寄りをもたらし、貧富の差ができる。
富を多く持つものは、いっそう豊かな生活と地位を築き、それに倣う者たちがあの手この手と富を得る手段を編み出す。
社会のシステムも、経済の規模に追随して変遷していった。
今は、社会主義はその高い理想と運営する人間の欲を制御できなかった大いなる矛盾にあえなく崩壊寸前の状態と、資本主義は生物的本能によって弱肉強食の原理が横行し理性では太刀打ちできないくらいのヒエラルキーを構築してしまったとおもわれる。
何処にも通じているのは、「お金」だ。
「お金」が絡むと、主義主張は何のためらいもなく変更されるか、ダブルスタンダードなる二枚舌で立場を使い分けるアクロバット的行動を、個人ならずも国家までもがいけしゃあしゃあとやってのけてしまう。
目下、これに翻弄されているのがリビアの国民たちだ。
国も民族も宗教の差もない共通の「金神様」が、「お金」を発明した人間の上に君臨している。

ミヒャエル・エンデの著書に「モモ」や「はてしない物語」がある。
いずれも、ファンタジーを扱った児童文学だが、その作品の底に流れているものは利潤追求が第一目的の経済システムとその僕のお金に対する警鐘だ。
物の代替品として作られたお金が匿名性を発揮し(灰色の男たち)、あらゆるものから本来の顔や性質を剥ぎ取ってしまう(虚無)。
実体のないものがまかり通る世界を憂いているエンデは、さらに無個性でもある”株”に対してひときわ警戒を呼びかけている。
このエンデのお金に対する危機感をまとめた著書に、「エンデの遺言」根源からお金を問うことー著者・河邑 厚徳があるという。
以前から気になっていたが、あらためて読んでみたいと強く思った。

お金は便利だ。
しかし、お金に翻弄され、人としての尊厳がなくなっていいものだろうか。
もともと交換の手立てとしてできたお金の本性を思い出し、経済を考え直してみるべき時に世界がきていると思われる。

電気の恩恵、ラウル・デュフィー「電気の精」

2011-03-16 17:25:44 | アート


デュフィーが「電気の精」を描いたのは、1938年パリ電気供給会社の依頼によりパリ万国博覧会電気館に巨大壁画をフレスコの技法を駆使してだ。
電気が市民生活にかなり浸透してきて、更なる電気事業の発展を見込んでの発注だった。

まさしく、石炭・石油に及ばない制御しやすく汎用性の高い電気は、20世紀を飛躍的に発展させたエネルギーだ。
そして、今ではなくてはならないエネルギーになった。
こうしてパソコンを使ってネットを楽しめるのも、音楽を自宅で楽しめるのも、夜は明るく、冬暖かく夏を快適に過ごせるのも、食品保存が便利になったのも、何もかも電気に負っている現代の生活。
それが、膨大な電気の需要を生み、水力発電・火力発電では生産が追いつかなくなってきた。
埋蔵量に限りある石炭・石油を使った火力発電は、その資源を持たない国には分が悪く、石油は様々な分野で需要があるから発電ばかりに向けてもいられない。
水力発電は、水資源が豊富で尚且つダムを作れる立地条件、水の落差を生まないとできない発電方法となると、全ての国や地域で行えるものではない。
そこで登場したのが、原子力発電だ。
前者たちの発電効率とは桁違いの発電力を持っている。
しかし、望まれない副産物があり、放射線・放射性物質これが非常に厄介な代物だ。
大量の電気を生産できるが、望まれない副産物による高いリスク、このジレンマを抱えて人は電気の恩恵を受け、消費している。
もちろん、高リスクを伴った原子力発電に依存ばかりはできないと、風力発電・太陽光発電を後発開発したが、やはり効率のよさでは原子力発電に適うものではない。
電気の備蓄はできないことも、電気をめぐる発電の難しさがあるだろう。
電気の必要性と利点、需要と供給、発電方法とそれに係わるあらゆる可能性とリスクなど、多角的視点であらためて考えてみる歴史的起点に、今の日本、そして世界がきているのではないだろうか。

「電気の精」を描いたとき、デュフィーはどんな未来を見ていたのだろう。
暗く恐ろしい夜の暗闇が、電気の明かりで照らし出され、華やかに心浮き立つ夜を手に入れた時代には、よもやこんな心配事が訪れると思いもしなかった。
電気はまっすぐに明るい未来を照らし出していた。

人の最大限の知恵と努力と善意でもって、これからの未来を明るく安定したものにできるよう、遍く人々一人一人が力をあわせていこう。
かけがえのない地球、小さな宇宙船地球号の一員として。



東北関東大震災、広範囲の災害がもたらすもの

2011-03-15 01:14:55 | つぶやき&ぼやき
3月11日金曜日午後2時45分、最初は緩やかに横揺れが始まった。
だんだん揺れが強くなって、何処か遠くで大きな地震が発生したのかしらと、目の前の石油ストーブに注意しながら考えていた。
連れは強くなる一方で、ストーブを消し、避難路確保のためガラス戸を開けた。
上から瓦が降ってくる気配に気を配りながら庭に踏み出す。
二階にいる家人が心配で振り返ってみると、二階の窓から屋根の上に出て身構えていた。
母屋の両親が気がかりで、一向に収まらず大きく揺れ動く地面を踏みしめ、母屋に向かい玄関のドアを開けた。
両親の気配がしなく、どうしたのかと思っているうちに、一回目の揺れがようやく収まった。
両親は、勝手口から外へ出たらしい、無傷でよかったと喜びも束の間、次の揺れが来た。
建物も木々も大地も、空までもが揺れ動いていた。
揺れが収まりかけたと思えまもなく、次の揺れに移行する。
とにかく、20分くらい、それ以上、揺れが次々に襲ってきた。
そのとき、雷もなった。
そんな雲が見えなかったのにもかかわらずに。

ひとまず大きな揺れが落ち着いてから、火の元の確認をする。
それと同時に、被害状況の把握。

まだ下校時間になっていなかったが、家人は子供たちを迎えにいった。
途中の道は、亀裂が入り、段差ができ、学校手前では、自動車が通れないくらい道路が変形していたという。
ようやく帰ってきた子供たち、特に小さい人は地震の恐怖に泣きじゃくっていた。

地震発生直後から、停電になった。
携帯電話は途端に不通になるし、固定電話も通じない状況に、事態の重さと親族の安否がつかめない不安が襲ってきた。
何度も試すが、何の応答もない。
メールだけは遅れるようなので、自分たちの無事を知らせ、相手の安否を尋ねた。
たちまち返信が来るのもあれば、一向にに来ないものもあり、苛立ちを抑えられない。
情報を得る手段は、携帯ラジオと防災無線のみ。

余震の続く不安な夜を迎える準備にとりかかる。
割れたガラスの除去、食料・飲み物を家中からかき集め、懐中電灯・蝋燭などの明かりの用意、一番安全な場所を選び暖を取るための毛布類を持ち運んだ。
食事は、咽喉を通らない。
いつまでこの状況が続くのか分からないため、とにかくみんなで横になり体力温存。

数分後とにやってくる余震に、気持ちの張が取れない。
暗闇が、不安と恐怖を助長する。
窓の外がようやく白み始めてやっと、浅い眠りにつけた。

翌朝、水道と電気の復旧は見通し立たないと、防災無線の放送が入る。
都市ガスではないから、当面の煮炊きに困らないが、水がないと調理できないし、トイレが困る。
8時過ぎに、給水車が給水を始めるとの放送があった。
しかし、旧町に一箇所の給水所。
遠い人は15キロくらい自動車で行かなくてはならない。
道路は壊れているし、この状態だとガソリンの備蓄もすぐ底をつくだろう。
それでも、水がないと二進も三進もいかないから、仕方がなく向かい、3時間以上まって水を確保した。

それでも、我が家はとても幸運なことに、ほとんど被害を受けなかった。
すぐ近くでは、液状化現象によって、家屋が傾き、屋根瓦が崩れ落ち、ところによっては、駐車していた自動車が地面に沈下して嵌り込んだ場合もあった。
地理的にも平坦で、いささか過疎気味であるから、被害は他に及ぶことはない。
東北の津波被害に比べれば、たいした被害にあったわけではない。
しかし、忘れられた被災地として、二次被害の危険性を孕んでいそうな気がする。

ガソリンと電気・水・食料が多少なりとも安定供給を受けられたなら、早期の復興で、東北各県の被害の大きかったところを支援できる基地局になる可能性がある。
平坦で、安定した天候、まだ何とか持ち直せるかもしれない休耕地、被災者の受け入れ、生活支援と自立を応援できるところの茨城県の活用方法があるのではないかと、考える。

それから、原発。
地震国日本では、難しすぎる施設であろう。
ちなみに、ベルギーの首都ブリュッセルのすぐ近くに原発の施設が聳え立っていた。
国土が狭いうえ平地というと建設地の選びようがなかったにせよ、随分と驚いたことだった。
ずば抜けにリスキーだが、高い発電能力を持った原子力発電。
電気の依存度が鰻上りに高くなる、この文明社会。
それを天秤にかけると、本当に釣り合うのかと、誰もが納得するのかと問い直されている状況下だ。
福島原発は、もう使い物にならなくなるとすれば、これを補う電力をどう作り供給するのだろうか。
それとも、福島原発分を差し引いた電力供給量内でまかなう努力をするのか、我々に突きつけられた課題は難しい。