rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

医療の地域格差、しかも、少子化促進の医療分布

2011-03-26 02:28:27 | つぶやき&ぼやき
先日、小さい人を病院に連れて行った、地域の総合病院に。
小児科の先生は、たったの一人。
開業して数年は、短期交代勤務(半年交代)だが2~3人の医者が常勤していた。
他の科でも、同様の現象が起きている。
産科婦人科にいたっては、7年前には存在しなくなっていた。

小児科も産婦人科も、神経を使い不定期な勤務時間の激務である。
子を産み育てたことのある人は、これに従事している医者がどれほど大変かを実感していることと思う。
入院経験があればなおのこと、医者や看護士たちがいつ個人的生活を営んでいるのかと不思議に思うくらい、彼らは常に患者のそばにいて医療に従事している。

その激務のせいなのか、公立の総合病院ですら常勤の医者が減り、または診療科を閉鎖する状況に追い込まれている。
市民に開かれた公立病院なのにだ。

小児科・産科は、遠距離にあっては意味をなさない。
病気を患った幼子が、身重の妊産婦が、長時間自動車に揺られて移動するのはリスクが大きすぎよう。
個人の専門病院も、小児科・産科は、田舎にあって著しく減少傾向にある。
営利を目的とするから、致し方ないとしても。

これでは、安心して子を産み育てられなくなる。
この面だけを捉えてみても、少子化を促進させる大きな要因だ。

国が、単なる営利団体になってもいいものだろうか。
国民の基本的生活する権利を保証し守らないで、果たしていいものだろうか。
仮に営利団体だとして、利益を生むための要員である国民をないがしろにし、存在と存続を保証しないと、資本と手ごまを失うことになる。
もし、運営する為の資金(税金)の調達が滞ることがあれば、国家は破産し崩壊するだろう。
今すでに、瀕死の状態になっているのだが。
よほどの策を講じないと、起死回生は無理なようにも見受けられる。

だが、医療の地域格差は、地方と都市部の対比ですまない。
むしろ、医療の分布、専門科の偏りが大きな問題になっていよう。
激務でなり手のいない専門科には、それ相応の見返りや保障をつけるなどして、サポート体制を作るなど、その適正なバランスを保たなくては行けない。

人は嘘もつき怠惰で欲に長けている。
人が作る国家もそうだ。
だから、国民は国家に注意の目を向け、いつもチェックを怠ってはいけない。
不正や欺瞞、国民にとって不利益なことを発見したならば、はっきりと声をあげ、正すべきではないだろうか。
選挙はその基本的手段。
そのほかにも、いろいろとメッセージを伝える方法はあるだろう。
それで、お互いの主張を吟味して、より良い道を見出す努力をするのだ。
必ずしも、最善最良の策が見出されるとは限らないが、そうしなくでどうするといえようか。

どうか、新たな命を授かり無事生まれる機会と、その生まれた命が成長できる環境を、一時しのぎではない入念にしかも一刻も早い根本的整備が、強く望まれるのであった。

目に見えない恐怖、しかも弛緩性の。

2011-03-25 01:21:11 | つぶやき&ぼやき
今日の夕日は、とても美しかった。
下界の災いと騒乱をものともしないで。
そして、猫は、毛並み色艶共に良く、目はきらきらと輝き、健康そのものだった。

人間たちが、目に見えない迫り来る恐怖に右往左往しているのに、他の全てのものはまったく注意を払わない。
人間の起こした災厄すら、大いなる宇宙の時の流れの中では何の意味も成さないかのようだ。

地球も限りある時を生きている。
隕石の衝突によって、あるいは太陽の爆発によって、そう遠くない未来に消滅するかも知れない。
だからといって、その命を、地球に生きる命を、人間が脅かし奪っていい訳ではない。
隣人とは、同種に限ったものではなく、地球に居合わせたもの全てだろう。

今、我々に脅威を与えているものは、目に見えず匂いもなく知覚できないものだ。
しかも、その程度は様々に、影響を及ぼす範囲のもの差別なく、それが恐怖を倍増させている。
影響はいつ現れるとも予測しがたく、人々の記憶が薄れた頃忘れた頃に出てくる可能性もある。
猫は、今健康体でも、その寿命が尽きる前にじんわりと体を蝕み、命を削り取るかもしれない。

便利さ快適さ高効率と引き換えに、我々が差し出したものはなんだろうか。
果てしない欲望、慢心が、ダイダロスの息子イカロスの翼のように溶けて失われ、深き海へと落ちていくのか。

ギリシャ神話でも、文明の利器はともすると人を攻撃する諸刃の剣と諭している。
前を見て進むだけではなくて、時には振り返り立ち止まって、現在のあり方を冷静に未来を見据えながら熟考するのも必要だと思う。
自分たちの手で、未来を握りつぶさない為にも。
地球に存在する全ての未来を、侵害しない為にも。

捨てられない話

2011-03-24 00:22:52 | 随想たち
自分は、物を捨てられない。
物が、「捨てないで」と訴えてくるから。

ある一時、外国に暮らしたことがある。
スーツケース一つの身の回りの品で、一年間暮らした。
家具付アパートを借りて住んだので、夏と冬の衣類3種類ずつあれば、何とか間に合う。
本で読んでいたけれど、スーツケース一つ世界を巡り暮らすのも、できないことではないし、生きていくのに必要な物なんて、ほんの少しで足りるんだと実感した。
もっと身軽になってもいいんじゃないか、いや、なるべきだ。
物に囚われて、人生を無駄に過ごしている場合じゃないと、本気で思った。

しかし、実際のところ、物に囚われ通しの有様。
安定した住居があると、物は次第に増えていく、その一途を辿る。
どうしても、捨てられない。
捨てられないから、自分のものにするものは、自ずと精査される(?)。
僅かでも、増えることに違いはない。

衣類などは、それでもまだ思い切った取捨選択ができる(一般的には、ボロといわれる程度になって)。
でも、本・食器・レコード&CD・飾り物などについては、まったく捨てることができない。
愛着が捨てる行為を阻む。
物にも、その存在を全うする権利があり(汎神論者)、それが生み出された労力を惜しむ気持ちがある。

消費社会と対極にある経済活動(あえていうならば)。
消費を身上とする資本主義社会において、逆行する行為、内気な個人的テロリスト、反社会者。

できることなら、電化製品もせめて10~15年は修理して使い切りたいし、家具類も間に合わせの簡単華奢な作りではない職人の手が生み出したものを置きたい。
人から人へ使い受け継がれる物を、大切にしたい。

そのためには、安易なデザインで作られたものは、そのチープさで飽きられ、次なる刺激を求めて簡単に捨てられてしまうから、製品の機能ばかりでなく、よく吟味した意匠を取り入れなくてはいけない。
日本製品は、機能性は良くとも、この意匠に関してはまことにお粗末な体を成している物が、なんと多いことか。
電気ポット、自動車(近頃の外国車も衝突安全性を気にするせいか、個性が均一化している)、鍋、一般家具、パソコンなどの電化製品など美しさに欠ける。

日本は、もとより意匠に関して無関心な民族ではない。
洗練された文化を築き上げてきた。
もっとも、現在の西洋化された文明器機にそぐわない意匠かもしれないが、その折衷案を見つけ出すのも大の得意とするところ。
短期間の消費サイクルから、長期間の消費サイクルへと転換を図るべく、物のデザインの感性・洗練度を再考して欲しい。

「捨てられない」人が、「捨てる」人の行為を見て、心が痛くなる。
この「捨てられない」人は、潔く「捨てる」ことが賞賛される風潮を苦々しく思う。
そこで、物の「捨てる」「捨てない」を思って、どうしたら物を長く使い続けられるかを考えた、その話がこれである。

気が付けば黄色い水仙の花が咲き、確実に季節は進んでいる。

2011-03-22 23:23:31 | 植物たち
余震が続く毎日。
あの震災から、10日過ぎた。
花粉の猛威と頻発する余震などで、外へ出て庭でくつろぐ余裕がなかった。
それでも、鉢植えの薔薇やビオラに水をあげるときに、水仙とフリージアを植えた鉢に黄色い花の姿を認めた。
いつの間に、蕾をつけていたのだろう。
花が咲くまでは、緑のがくに覆われて葉の中にまぎれていると、よく見なければ蕾の存在に気がつけない。
今年は、特に近頃は、気持ちに余裕がなかった。
しかし、植物たちは自分たちの時間をきちんと生きていた。
薔薇は、赤い新芽を成長させて若葉を送り出し、ブルーベリーも新芽を膨らませている。
ビオラは、緩んでいく寒さを喜んで、太陽に向けてたくさんのニコニコ顔をつけている。
そして、水仙は黄色い花を控えめに、でもすっくと立たせほのかに香りを漂わせている。
間違いなく、季節は確実に進んでいるのだ。
太陽は、日に日にその角度を上げて大地を照らし、これから3ヶ月は夜の領域を追いやっていく。
生命の力が漲り、そのサイクルのなかの絶頂期を謳歌する。
この震災で、なおのこと命は儚く、それゆえ生きようとする強さを持ったしたたかなものだと、あらためて感慨深く。
与えられたこの命、共に生きている全ての命を愛しんで、宇宙の歴史から見れば塵のごときこの束の間の時を、懸命に楽しんで生きようではないか。


雨の降る寒い日には、熱々チーズとろりで野菜たっぷりポテト・グラタン

2011-03-21 15:58:25 | 食べ物たち


雨が降って寒いこんな日は、みんなで温かい昼食を摂ると、シアワセがじんわり滲みてくる。

ポテト・グラタンー4人前
〈材料〉  ジャガイモ           中5個の皮をむき、5ミリの厚さにスライス
       タマネギ            中1個を横半分に切り、5ミリの厚さにスライス 
      フレッシュ・マッシュルーム  5個を3ミリの厚さにスライス
       イエローパプリカ  半分個を縦半分にし、3ミリの厚さにスライス
       バター              40g
       小麦粉             大さじ6
       牛乳               400cc
       顆粒コンソメ          大さじ1
       ホワイトペッパー
       塩
       チーズ              適量
       パン粉              好みで
〈作り方〉 ◇ジャガイモを水から少し硬めに茹でる
       ◇フライパンにバターをいれ、タマネギを透明になるまで弱めの中火で焦がさないようにいためる。
       ◇マッシュルームをいれ、さっと炒め合わせ、小麦粉を振りいれて焦がさないようにいためる。
       ◇全体にとろみが行き渡ったなら、顆粒コンソメ・ホワイトペッパー・塩で調味する。
       ◇茹でたジャガイモを入れて、焦がさないように混ぜ、火を加える。この時に、水分が足りなくホワイトソースが硬いようならば、牛乳で調節する。
       ◇ふつふつ煮立ったなら、イエローパプリカを入れてさっと混ぜ合わせる。
      ◇グラタン皿に分け入れ、チーズとパン粉を好みでのせ、オーブン(トースター)で狐色の焦げ目が付くように焼くと、出来上がり。
       ◇パセリを散らすと見栄えが上がる。

こんな感じで、作ってみた。
鉢植え栽培のパセリは、次の葉を繁らせる為に摘めない状態なので、今回のパセリトッピングは見送られることになった。
いつも目分量とフィーリングで材料や調味料の分量が決まるので、思い返して多分こんな感じ・・・なので、参考値程度に。

今日のお昼にポテト・グラタンを作ろうと思ったのは、ツイッターでのある方の呟きがきっかけとなった。
単純かも知れないけれど、案外人の行動を促し決定することは、小さなきっかけだったりする。
そのとき、自分に触発される素材が有る無し、可能な状況などが、きっかけを捉え行動させるのだろうから、自分という倉庫にどれだけの素材を詰めて置けるかが、可能性と発展性をうむのだろうと、またあらぬほうへ思考が漂流して行ってしまうのであった。