デュフィーが「電気の精」を描いたのは、1938年パリ電気供給会社の依頼によりパリ万国博覧会電気館に巨大壁画をフレスコの技法を駆使してだ。
電気が市民生活にかなり浸透してきて、更なる電気事業の発展を見込んでの発注だった。
まさしく、石炭・石油に及ばない制御しやすく汎用性の高い電気は、20世紀を飛躍的に発展させたエネルギーだ。
そして、今ではなくてはならないエネルギーになった。
こうしてパソコンを使ってネットを楽しめるのも、音楽を自宅で楽しめるのも、夜は明るく、冬暖かく夏を快適に過ごせるのも、食品保存が便利になったのも、何もかも電気に負っている現代の生活。
それが、膨大な電気の需要を生み、水力発電・火力発電では生産が追いつかなくなってきた。
埋蔵量に限りある石炭・石油を使った火力発電は、その資源を持たない国には分が悪く、石油は様々な分野で需要があるから発電ばかりに向けてもいられない。
水力発電は、水資源が豊富で尚且つダムを作れる立地条件、水の落差を生まないとできない発電方法となると、全ての国や地域で行えるものではない。
そこで登場したのが、原子力発電だ。
前者たちの発電効率とは桁違いの発電力を持っている。
しかし、望まれない副産物があり、放射線・放射性物質これが非常に厄介な代物だ。
大量の電気を生産できるが、望まれない副産物による高いリスク、このジレンマを抱えて人は電気の恩恵を受け、消費している。
もちろん、高リスクを伴った原子力発電に依存ばかりはできないと、風力発電・太陽光発電を後発開発したが、やはり効率のよさでは原子力発電に適うものではない。
電気の備蓄はできないことも、電気をめぐる発電の難しさがあるだろう。
電気の必要性と利点、需要と供給、発電方法とそれに係わるあらゆる可能性とリスクなど、多角的視点であらためて考えてみる歴史的起点に、今の日本、そして世界がきているのではないだろうか。
「電気の精」を描いたとき、デュフィーはどんな未来を見ていたのだろう。
暗く恐ろしい夜の暗闇が、電気の明かりで照らし出され、華やかに心浮き立つ夜を手に入れた時代には、よもやこんな心配事が訪れると思いもしなかった。
電気はまっすぐに明るい未来を照らし出していた。
人の最大限の知恵と努力と善意でもって、これからの未来を明るく安定したものにできるよう、遍く人々一人一人が力をあわせていこう。
かけがえのない地球、小さな宇宙船地球号の一員として。