rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

春の宵に、モーツァルトの9つの変奏曲 K573

2011-03-09 23:38:55 | 音楽たちークラシック
デュポール演奏のピアノ曲、モーツァルトの9つの変奏曲 K573 をNRKネットラジオで聴いている。
軽やかな音の玉が、ポロポロとピアノから零れ出て光の玉となり宙に舞っていく、聴いていると体から喜びが湧き出てくる感覚を覚える、春に歓喜する生命のような曲だ。

モーツァルトの曲は、地上の重力に無縁のような天上的軽やかさがある。
天使の音楽。
モーツァルトの人格をどうこう構うことなく、純粋に音楽がそう感じさせてくれるのだ。
旅から旅に明け暮れた幼少からの環境が、地に根付いた者の作る音楽とは違う要素を与えたといわれているが、おそらく多大な影響を及ぼしていると思われる。
失うものも多かっただろうが、それモーツァルトと引き換えに素晴しい音楽を、後世の私たちに与えてくれた。
芸術を志すものにとって、自分の成した作品が残り、その提示した美が永遠不滅の命を得、共感者を生むようになることは、何よりの誉れ。
これによって芸術家は、命あるものが成しえない不死を獲得できる。
モーツァルトは、数ある芸術家にあってもこれほどの強力な不滅を手にした、稀有な存在の一人だ。
あの絶筆の「レクイエム」が醸し出す、冷たく暗い黄泉の階段を足を引きずるように降りていく最中にあっても、先導するのは青白い天使(ボッティチェリの描いたダンテの「神曲」ベアトリーチェみたいな)がいるような、やはり、重力の影響を無にするなにかがある。

だから、凡人の自分は、モーツァルトの軽やかさにあやかって自分の創造力に翼を授けて欲しいと、彼の音楽を聴きながら創作に励むのだ。
ときには、J.S.バッハに、天井に高みに引き上げてもらおうと、お力添えを願ったりする。
ショパンには、ロマンと繊細さを・・・
どうやら、凡才は、想像エネルギーを注入されないと、なにもできないことが明白だ。

不純な動機をさておいても、モーツァルトが大好きである。



黙示録的妄想ー国民の義務、納税。国家の義務は、いったい何?

2011-03-09 01:17:21 | つぶやき&ぼやき
公立小中学校の非正規教員が15%になったという。
人件費削減のためだそうな。
実際、小さい人たちの通っている学校でも、非正規の先生が、担任を持っていた。
大変責任のある仕事なのに、非正規で何の保証もなく、もちろんお給料も時給で手当てなしでは、とても気の毒に思えた。
日本の未来を担う大切な人を育成する現場がこうでは、国は自ら自滅しようとしているのかと疑ってしまう。

極端に考えて、もし国(管理者たち)が、永年存続と繁栄を意図しているならば、優良な働きアリを育成・確保しなければならない。
あまりにも優秀すぎるとかえって権力の脅威になるから、そこそこ使える駒のアリが必要。
「ゆとり教育」は、学力と忍耐力の低下を招き、野放図な自我を育てて、制御しにくいアリを出現させてしまった。
20年くらいという短期に国が方針転換を図るという、喜劇を目の当たりにしている。

では、以前の詰め込み式軍隊教育に戻しましょうと言ってはみたが、派遣労働力の規制緩和が教育現場に押し寄せているではないか!
余計な心配事を排除して、子供たちの教育に専念しなくてはいけないはずの教師が、生活のために掛け持ちのアルバイトをする世の中になってしまった。
これでは、目の行き届いた肌理細やかな教育を望むほうが間違っているだろう。
たしかに、先生世界は閉鎖的で、ここも世襲のにおい漂う場所になっているから、過保護の弊害を認めないわけにはいかない。
しかし、やはり非正規雇用教員が担任を持たされる状況は、異常としかいえない。

教育と医療は、直接人に与える影響が大きい。
ここで、過労死と派遣がまかり通るようでは、世も末、国家存亡の危機だと思えてしまう。
少子化だって、この状況が一役も二役も買っている。
誰が、安心して我が子の未来を託せない国で、子を産み育てようと思うものか。

いわゆる「血税」、納税の義務のある国民が納めた労働の成果。
これを、国民が安心して暮らしを営めるように、国は予算を組んで使わなければならない。
誤魔化しの借金である国債を、実収入(税金)以上に発行して予算編成をするのは遺憾の極みだ。
個人でこんなことをしたなら、破産どころですまない、命までとられる状況になるだろう。

我々日本人は、戦後、まさしく御しやすい家畜の羊になってしまった。
毛を刈られて丸裸になっても、命まではとられまいと高をくくっていると、とんでもないことになるかもしれない。
労働力・納税者・消費者が足りないといって、移民を歓迎招聘を簡単にしてはいけない。
移民を推奨してきた諸外国が、今では国内に問題を多く抱えているではないか。

今まで、なんとなく流してきた諸々の問題が大きな歪を作って、日本はいつ巨大地震に見舞われるかもしれない。
更なる作用点、決定的圧力ができる前に、我々は行動に立たなければいけないところに来てしまった気がするのだった。