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育児日記、たまに音楽話 、2010年に空に還った娘18トリソミーの娘について

感謝

2010-07-26 02:40:48 | Weblog
あっという間にもうすぐ月命日です…


お通夜も葬儀もたくさんの人がお別れに来てくれました。お花もたくさん、弔電も、本当に本当にありがとうございました。

詩ちゃんもきっと今頃、みなさんのところにありがとうを言いにまわってるんじゃないかと思います。

みなさんの心の中の詩乃は笑ってますか? 私の心の中のあの子は笑ってることが多いですね。

振り返ってみれば、ニコニコで過ごした最後の日は一ヶ月前の26日かなあ。27日は朝から熱で機嫌悪かったんですよね。


詩乃、木曜日に退院してちゃーんとお家に帰ってきてお兄ちゃんとも遊んで、日曜日に調子悪くなったら私達を病院に連れて行ってくれて、最後まで親想いのめっちゃいい子でした。


たまにパパが言うこと…「最期に手があがったのを思い出す」って…

それ、あの場にいた人は結構そうかもしれない。私も目に焼き付いてる…


最後の最後にパワー貯めてたのかなあ。何か言いたかったに違いないです。 なんて言ったのかな。天国で会った時に聞くのが楽しみ。


呼吸器の音がないから寂しい(T-T) 注入がないからなんか調子狂うなあ。。。

火葬場

2010-07-20 14:25:09 | Weblog
火葬場に到着すると、棺ごと機械にのせて最後のお別れの部屋に入った。

順番にお焼香をして、みんなお別れをした。ここで三つのお人形のうち一つを棺にいれ、二つは手元に残した。詩ちゃんがいつも触っていて、鼻水とかもついてて染みになってて、おまけになんだか詩ちゃんに似てて… 私の勝手でとっておきたかった。


次の部屋に行くのは通常一人らしいが、お子さんなので二人いいですよと言われた。

奥に火葬炉があり、パパと二人でかかえてのせた。

係の人に「もう一度開けていいですか?」と聞いてみたら、いいですよと言われたので、一生懸命爪先立ちして顔に顔をつけて「大丈夫だからね。こわくないからね。」と言った。
冷たいおでこの感触を自分の中に刻み込んだ。忘れたくない、二度と触れることのないこの愛おしい肌…

エレベーターのような扉が閉まり、旅立っていった。

待機する部屋へ歩き出したら、喪服が白く汚れているのに気付いた。私が台にへばりついていたから…


待っている間はお菓子をつまんだりした。


呼び出しのアナウンスがあり、みんなでお骨をひろって壷におさめた。お兄ちゃんが大きな骨を拾いたがった。


小さくなったうたちゃんを家に連れて帰ってきた。ベビーベッドをたたんで祭壇を置いて、詩ちゃんの居場所を作った。


なんか、そこにいるみたい… ていうか、きっと いるね。

葬儀

2010-07-20 13:41:29 | 18トリソミー
6月30日

無情にも朝がきた。 親や兄弟が来て葬儀の前に「おとき」を食べた。

葬儀が始まると本当にお別れが来たなとまた悲しくなった。 途中でお兄ちゃんがたまらず泣き出した。「うたちゃんに生きててほしかったー!」と言って泣いた。今までで一番しゃくり上げるくらい泣いた。

本当にそうだね。 生きててほしかったね。
さりげなーく止まったメリーを回してくれたり、妹を思ってくれたもんね。

最後に参列して下さった皆さんにパパがお礼の挨拶をした。 最後に涙がにじんできたらお兄ちゃんが私のハンカチを取ってパパに差し出した。優しいね。


最後に皆さんがお花を入れてくれた。詩ちゃんがお花に囲まれて嬉しそうだった。
詩乃の大好きなメリーも金属の部品以外をいれた。誕生日に家族で撮った写真も年賀状に使った着物の写真も入れた。病院の保育士の先生と看護師さん達が作ってくれた七夕飾りも入れた。幼稚園のお友達や病院で友達になったママさんからたくさんのお手紙も…詩乃に指輪をはめてくれた女の子もいた。

 三つ編みの毛先のクルンとしたところをはさみで切って紙に包んだ。爪も切りたかったけど短かったから諦めた。

出棺… 霊柩車はやめていつものパパの車にのせた。火葬場に向かう車の中でも蓋をあけて話していた。

いつまでも、よしよし…って撫でていたかった。
窓から大学病院が見えたから詩ちゃんに話しかけた。「さようならだね。がんばったね。」




お通夜

2010-07-14 18:01:17 | Weblog
斎場に到着するとタオルケットにくるんだ詩ちゃんを抱っこして控室に連れて行った。
正面には白いお布団と小さな棺…


お空には詩ちゃんと同じ病気と闘ったお友達も、違う病気だけど一緒のお部屋で闘ったお友達も、又は会ったことはないけど支えあってきたお友達がたくさんいる。だから私は今までに何度も小さな棺を切ない気持ちで見てきた。
 だから、驚きはなかったけど…我が娘が入るのかと…なんかまだ変な気持ち。

納棺師…というのかな、メイクボックスをかかえた女性が来られて綺麗にして下さった。保湿クリームを塗るだけでとくにメイクはしなかった。お口も無理に閉じなかった。

はじめて棺にいれた。


なんか… 今まではいつもと変わらない詩ちゃんだったのに、こうして見ると「なきがら」になっちゃったんだなあ…って思った。 こうして少しずつ詩ちゃんの「からだ」ともお別れするのを覚悟しなくちゃならないのか。思えば今まで、お腹にいる時から何度「覚悟」してきたことだろうか。


顔のまわりにお花を飾ってくれた。かわいい、ガーベラやバラ。


お花を横によけて抱き上げお通夜の式が始まるまで何度も抱っこした。


式が始まってからは、本当にたくさんの方がお別れに駆け付けて下さり、嬉しくてありがたくて「ありがとうございます。」って何度も言った。

式が終わってからもずっとずっとお焼香が途切れることなく、遠方から来てくれた方や18トリソミーのお友達やパパさんママさんが来てくれたり…みんなみんな詩乃にありがとうとお別れを言いに来て下さったんだなーとなんだか改めて詩ちゃんってすごい!って思った。


その日の勤務を終えた小児科病棟の看護師さん達が(10時過ぎだったかな…?)疲れてるのにみなさん来て下さった。お焼香して下さるとみんなで「詩ちゃん頑張ったね。」とたくさん話しかけた。
ふと、見渡すとちょうどお参りして下さる方がいなくなった。私はずーっと抱っこしたかったけど、気持ちを込めてお焼香して下さる前で間に割って入って棺から抱え上げるのは申し訳なく、そうすることはなかった。
ちょうど今がタイミングいいかも…と「抱っこします?」とか言ってホントは私が抱っこしたかった。
看護師さん達は「わあ、いいんですかあ?(ニコニコ)」私「もちろんもちろん」

みんなに代わる代わる抱っこしてもらった。

本当に大きくなったね。入院中は一度も嘔吐がなく点滴と注入と栄養も十分で体重計は9キロを指したこともあったな。


抱っこしてもらってなんだか詩ちゃんも嬉しそうだった。抱っこが大好きだった詩ちゃん。 「人」が大好きだった。 詩ちゃんには人をひき付けるパワーがあった。


看護師さんの一人が「詩ちゃんに会えてよかったです。けど、お母さんに会えてよかったー!」と言ってくれた。 私は物凄く嬉しかったし、そんなことが言えるなんてすごいと思った。小児科って、他の病棟と違って患者さんだけでもただでさえ大変なのに後ろには親が控えているから、何倍も大変だろうと思うから…。


詩ちゃんの何百枚とある写真をみなさんと眺めながら、幸せな気持ちで三年間を振り返っていた。 「たくさん可愛がってくれてありがとうございました。」「だって本当に可愛かったですもん!」 よかったね、詩ちゃん。


11時を過ぎるとワールドカップの日本戦が始まった。お参りの方もいなくなったので控室でサッカーを見ながら少しつまんだ。

サッカーが終わり、私達が泊まる部屋へ詩ちゃんを連れていくことにした。棺ごと運んだ。


最後の夜。お兄ちゃんは実家に預けていたから3人で眠った。

詩乃が最もがんばった日(3)

2010-07-12 19:20:10 | Weblog
お兄ちゃんはパパの実家に預けていたので連れて帰ってきた。

「詩ちゃんすごくがんばったけど、ばい菌に負けちゃったんだよ。でもがんばったよね。」と言ったらすごく残念そうなしかめっつらで「あー、本当に死んじゃったのかー」と言った。


先週木曜日に退院してきた時は「やっと4人になったね!」と喜んでいたのに。
お兄ちゃんは詩ちゃんの頭を優しく撫でていた。


いつものベビーベッドに寝かせたら、すやすや眠ってるみたいだった。胸元のタオルが呼吸のたびに上下してるみたいに見えた。

訪問看護師さんや在宅医の先生が詩乃に会いに来てくれた。本当にありがたかった。在宅医療のスタッフの方々が引き受けて下さらなければ、私たちの楽しくて幸せな一年半はなかったのですよね。。。。

でも、もっともっとお世話になりたかったな…。

先生はしばらくの間詩乃と魂と魂でお話しておられた。 私も先生の背中を見詰め、感謝の気持ちをこめた。




「今日はみんなで寝ようね。」


リビングに布団を敷き詰めて、詩ちゃんを挟むように川の字でねっころがり写真を撮った。どうやったらみんな入れるかなあ?とセルフタイマーで何度も撮った。 みんな少し陰りある笑顔。


朝が来て、幼稚園のお友達ママさん達がわざわざ来てくれた。みんな涙して「がんばったね」って褒めてくれた。


15時半、お通夜の為に斎場へ出発する時間… 「詩ちゃん、おうちバイバイだね。」

抱っこしてエレベーターで降りると、いつも通り管理人さんから「今日は病院?」と声をかけられた。「いえ、亡くなったんです。今からお通夜で…」そういうと、すごく驚いていた。

…そうだよね、大人じゃ亡くなった人を抱っこして運ぶことないし…。管理人さん、驚かせてごめんなさい。


斎場に向かう道は大学病院へ通ういつもの道にした。 詩ちゃんは目をくるくるさせて寝返りをうちながら窓から見える流れる景色を眺めるのが好きだった。「詩ちゃん、ほら、いつもここを通ったよね。」

詩乃が最も頑張った日(2)

2010-07-12 18:01:18 | 18トリソミー
3回目の心停止の処置の間、別室で祈りながら待っていた時、詩乃が生まれた時からずっと3年間みて下さっている主治医の先生が部屋に入ってきた。

今日は病院の外に出られていると聞いてたので、先生の顔を見た時はちょっとホッとしたような気持ちになった。

先生は目に涙をためて、詩ちゃんも先生達も頑張ってるけど心拍が戻ってこない、これ以上続けても詩ちゃんを傷つけるだけだから、心臓マッサージをやめて最後の家族の時間を過ごしたほうが良いと思います…みたいなことを言われたと思うけど、正直よく覚えてないんです…

いつもいつも覚悟していた「いつかは…」   お友達のブログもたくさん読んだし最期の場面では何度も涙した。毎日毎日、「後悔したくない」そればかり思って、毎日毎日抱っこした。夜中の2回以外はミルクも吸引も全部全部自分で世話を焼きたかった。

なのにやっぱり現実にこの時が来てしまうと……「ああ、本当にきてしまった…」お別れするのが嫌で嫌でたまらない。信じたくない。でも早く詩ちゃんに会いたい。

先生の言葉に私達夫婦は同意し、部屋に入った。

詩ちゃんは心臓マッサージをされている。

私は詩ちゃんの耳元に「詩ちゃーん!詩ちゃーん! よくがんばったね。」と呼び掛けた。「詩ちゃんえらい子だね。ありがとう。楽しかったね。旅行にも行ったね。」そんなことを叫んでいたように思う。
心マもやめていたのに、詩ちゃんはありったけの力を振り絞り、私達夫婦の声に手を挙げて応えてくれた。誰かの「ああ!手が挙がった!!」という驚きの声で耳元から手に視線を移すと「ママー抱っこー!」みたいなかんじで手が挙がった!その手を握ってたくさんほっぺをすりすりしながら「詩ちゃん、詩ちゃんありがとう…」って何度言ったかわからない。


呼吸器のスイッチが切られ、温かいうちにたくさん抱っこした。パパも…ばあばも…

がんばった。本当によくがんばったね。詩ちゃん。

最後のムンテラの後、お部屋にベビーバスを持ってきてもらい、沐浴をした。 看護師さん達が「私も私もー」とたくさんの手で洗ってくれた。

お湯につかっているうち、詩ちゃんの顔がすごくおだやかになってきた。おひざにチョコンとおすわりしてドライヤーをかけてもらうと気持ち良さそうな顔をした。
可愛く三つ編みしてもらい、着替えた。 たくさんたくさん抱っこしてもらった。こんなに可愛がってもらって幸せ者だなあ。最後二ヶ月、入院を繰り返したけどその分皆さんに可愛がってもらえてよかった。

詩ちゃんをストレッチャーに乗せ、地下の霊安室に降りたら小児科の先生や看護師さんたち、NICUの先生も看護師さんもお別れに来てくれて本当にありがたかった。たくさんたくさんの方に詩ちゃんのおだやかな顔を見てもらえてよかった。私も胸がいっぱいになった。
 詩ちゃんは先生が大好きだった。きっと先生が帰ってくるのを待ってたんですね。と先生とお話した。
  私とパパはみなさんにお礼を言って車に乗った。詩ちゃんを抱っこして助手席に乗った。

3年間本当にお世話になりました。 みなさんさようなら、さようなら…

詩乃が最もがんばった日 (1)

2010-07-05 04:22:20 | 18トリソミー
6月28日。 朝になっても熱が下がらず、またアンヒバ(座薬)を入れてもらう。 少ししてようやく眠り出したから、「このまま下がってくれ…!」と念じていた。

採血の結果を聞いて唖然としました…今までに聞いたこともないような数字… 尿検査の結果も悪い…ここ最近ずっと感染を繰り返していたけど、今回は全然違うと感じていた。

先生から治療方針を聞いて「お願いします」と言った後、部屋移動をすることになり…
私が移動先の部屋へ荷物を運んでいたら、詩ちゃんの部屋がバタバタして「お母さん、いま詩ちゃんが急変したから待ってて下さい」と別の部屋へ案内された。


ああああ、いつか急変するかもとずっと前から覚悟していたけど本当にきてしまった。どうしよう。取り急ぎパパに電話した。

その後、心停止したけど戻ったと聞いて…泣きながら祈るしかなかった。「詩ちゃんがんばって…」

先生も看護師さんも、そのつどいま行われている処置の説明に来てくれた。呼吸器も病院用の機械に変わっていた。


何時間も待ってようやく落ち着いたからと部屋に入って詩ちゃんを触る。。。

「うたちゃん、がんばってるね。えらいねーいい子だねー」耳元で大きな声で話したら足が動いた。手も頭も動く… 反応してくれてる、それだけでジーンと涙がにじんだ。


パパと二人でずっと詩ちゃんをさすりながら頭をなでながら話しかけていた。 とりあえず落ち着いたなあと思っていたら、心拍が下がってきて「あれ?」と思ったらフーッ!と一息、詩ちゃんが息を吐いた。
次の瞬間、ツーーーッとモニターの波が消えて線になった。


「心停止!」つきっきりで部屋にいてくれた看護師さんがドクターを呼んでまた心臓マッサージ。


私達はまた別の部屋に移動させられた。後ろ髪ひかれる想いで…。この時ばかりは二人で泣いた。

2回目だし、無理かな…でも詩ちゃんがんばってるからしっかりしなきゃと色々な気持ちが交錯しながらひたすら祈りながら待つしかなかった。

…また戻ってきてくれたんです!! 詩ちゃん、ものすごいがんばりやさんだった。

また頭をなでた。でもだんだん足も手も動かなくなってきた。


また、止まった。


処置の間部屋を出た。厳しい状況とはわかっていたので、でもやっぱり頑張ってる詩ちゃんを応援する気持ちで待っていた。

最後の入院

2010-07-04 08:09:23 | Weblog
6月27日。
 詩ちゃんが前の晩から少し機嫌が悪かったから注意してずっとみていました。私はウトウトしてて、ふと目を覚ますとすごい熱。
 はかってみたら40度超え。すぐに解熱剤をお尻に入れました。
詩ちゃん、きつそうだけど泣いてないからサーチュレーションはいつも通りだったので頭をクーリングして様子を見ていました。

訪問看護師さんが来て少し寝ました。30分も寝ないで起きたから「きつくて眠れないんだな…」と思いました。


この薬(解熱剤)は6時間に一つと言われた通り、6時間経ったらまたすごい熱が上がってきました。

大学病院に電話して「もう一つ薬を入れて様子を見るか連れて行くか」相談したら、「お母さん、連れて来てみませんか」と言ってくれました。

いつも病院が受け入れてくれたから安心して在宅することができました。 この時も、木曜日に退院したばかりだったからお兄ちゃんに対する気持ちが辛くて…だけど、先生の声が私の背中を押してくれました。


「涼ちゃん、ごめん。詩ちゃんまたお熱でちゃった。すごくがんばってるから涼ちゃんもがんばろう。病院で治してくるから待っててね。」


木曜日、退院してきた日「やっと4人になったね!」と言ってくれたお兄ちゃん。「詩ちゃんが帰ってくる」ってお友達にも言ってたみたい。 それなのに…またがっかりさせたことに私は少々凹みつつ、バタバタと出掛ける準備をしていました。

パパが涼佑を実家に預けに行ってくれました。今思えば、涼佑が生きている詩ちゃんに会うのはこれが最後でした。

病院に到着してすぐに採血、尿検査、点滴開始…病棟に上がっていくといつものかんじで「外泊でしたね~ ははっ」と一週間位に家に帰るつもりでした。

いつもはすぐ下がるのに抗生剤を点滴しても熱が下がらない…夜中も「ウーンウーン」と苦しそうで、アンビューで押してもサチュレーション70保てなくなっていました。私は心配で心配で同じベッドに添い寝していました。

…最後の夜までくっついて寝れてよかった…。


私はすごく前から考えていたことがあったんです。 来年、新しい病棟が完成したら小児ICUが出来るだろうから、詩ちゃんのような重症児はいよいよ悪くなったらきっとそっちだろうな…だとしたら添い寝できないから嫌だな…最期は家で看取るのはきっと無理だろうし、私も最善を尽くしたいから病院に連れて行くだろう、だとしたらいつも一緒の今の小児科病棟がいいな… (先生に何を言われたわけでもなく、私が勝手に想像していたことです)