分かったよーなこと、言ったって~!!

中途半端な知識で適当ぶっこく無法地帯へようこそ( ^-^)ノ

アルジェリア事件、被害者名公表の必要性は!?

2013-01-24 23:25:44 | 思考の散歩
 突撃した結果、難しい局面を迎えたアルジェリア事件。

 被害者の実名報道に対し、Twitter上ではこんな意見が相次ぎました。





 何人もの方がこういった呟きを発信され、また何人もの方がリツイート(拡散)なさったのです。

 これが、一般的な国民感情ではないかと思いますが、ご遺族の想いはどうであったのか。






 御覧の通りのわけです。

 抗議文を拡大致しましょう。





 マスコミの姿勢について、厳しく突っ込んでいます。

 ところが業界では、この実名報道を擁護する流れがあちらこちらに現れたようです。


 それに対して、同業者として異論を唱えられた記事があります。

 これは、冷静な視点に思えるので、リンク先をちょっと御覧頂けますでしょうか。



アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム




 国民感情も、同業者の事情も、公平に見て真摯に綴られている文章だと思います。

 昨今、いや、サンゴ礁損壊事件あたりの昔からさんざん批判されてきたマスコミ業界の慣習や事情に深く切り込んでみえます。


 ところが、これがマスコミだけの問題ではありませんでした。



<アルジェリア事件>犠牲者氏名公表 政府、日揮押し切る


 どうにも、気持ちが悪いですね。

 嫌な感じがします。


 多くの国民が望んでもいない事に、どうしてここまで必死なのでしょうか。

 政府の言い分に、大変な違和感を覚えます。


 「国民の関心も高く――――」




 実名に感心を持っているのは、一体どこの国民なのだろうか?





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今日は、一杯イジメちゃうぞ!?(^-^;)

2013-01-19 23:27:11 | 思考の散歩
 ええ、今、ちょうど家に帰ってきたところで、まことしやかにオカシナ事が書かれた記事を見つけてしまったので、服のボタンを外しただらしない格好のまま、それについて触れてみようと思います。


 何度かこのブログで記事に起こしたこともある、デスブログについて、「周りが”デスブログ”と呼ぶのは、イジメと同じだ」と唱える方がみえるようなんです。

 しかしこれがまた、確かにそれっぽい事を真面目に並べてはいらっしゃるわけなんですけれど、私の個人的視点ではどうにもツッコミ所が多くてですね。「おい!!(^-^;)」ってところを、いちいちひとつひとつツッコんで行こうと思います。


 ま、あくまでも、”私の個人的視点”ですよ?





「デスブログ」といういじめ



 今のリンク、Yahoo!の記事なので、いつの間にか消えているかもしれません。

 情報量が多いからなのか、Yahoo!の記事っていつの間にか消えていること、多いんですよ。なので、このブログからのリンクも、いくつかは切れているんじゃないかと思います。


 それでは、部分部分で引用しながら私のコメントを挟んで参ります。

 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授が書かれた記事、という前提を踏まえてコメントさせて頂きますよ~。




あるタレントのブログを「デスブログ」と呼ぶ人たちがいる。

 ”呼ぶこと自体が悪事だ”と主張する書き出し、いきなり引っかかります。
 呼ぶなと制限を叫ぶのは、言論統制を”是”とする危険な思想に思えますね。
 教授という教育者の言として、問題を感じます。


特定のブログが「デスブログ」であるという科学的根拠はない。

 ”デスブログ”自体に科学的根拠はありません。
 こんなロジックで教鞭をとれるほど、現代の大学はヌルいのだろうか。


客観的には事実ではないという点について、議論の余地はないものと思う

 そこに議論の余地を認めるのが人間という生き物なのだと、私は思っています。
 霊魂の存在は客観的事実ではありませんが、お墓を立て、供養しますよね。そういった非・事実の可能性があっても思いを致すのは、人間の思考として極めて自然だと疑いません。
 また、事実でなければ議論をしない、それなら誰が事実と認定するのか。
 この方の論調を眺めるに、「我こそ正義」「我こそ真実を得たり」という思考を感じてなりません。純真な大学生諸氏が感化されないことを切に祈るばかりです。


このタレントについて私はほとんど何も知らないが

 謙遜で仰ったのかとも思いましたが、後で出てきます言により、本当に調べてみえない事が判明致しました。
 批判記事を書かれるにあたって、貪欲に裏を取らない姿勢はいかがなものか。


有名人だから何を言われても我慢すべきだと?

 ある程度、やむを得ないでしょう。有名税でもあると思います。
 この方も、どこかのオヤジが仕事から帰って、ビール片手にプロ野球選手に「バカヤロー」と叫ぶのを注意して回ることも出来ますまい。
 芸能人自体がそういった、少し哀れな側面を持つものでもあり、逆に、それによって仕事を得る、収入に結びつくこともありましょう。
 実際、この方もデスブログの件がなければ東原亜希さんについて書かれなかったでしょうし、私に至っては名前を知る機会すら無かったことでしょう。映画なりドラマなりに出演すると聞けば、「おっ、観てみようかな」と思うかもしれません。それを見込んで仕事も回ってくる。そうやって、貪欲に仕事を勝ち取っていくだけのタフさがなければ、芸能人は長く務まらないものではないでしょうか。


このタレントは、別に旅客機に悪さをしたわけでもパンダの赤ちゃんを殺したわけでもない。

 誰もそんなことを言ったと、聞いた覚えがありません。
 元ネタの”デスノート”では、書いたことで能動的に相手を殺す、という感じだったと記憶していますが、おそらくこの件では”デスブログ”に対して、記事に書かれた対象が災害として不幸に遭う、としか一般的に言われていないのではないでしょうか。
 つまり、誰も「お前が能動的に殺した」なんて言っていないはずですし、そもそもブログ主に対する人格攻撃と結び付けられている印象はありません。


本人は気にしないと言っているのかもしれない

 調査不足です。情報に対する姿勢が非常に疑わしい。
 記事主は経営学で教鞭をとっておられるようですが、情報なくして経営は立ちますまい。

 まぁ、ブログ主の東原さんは”デスブログ”と呼ばれることを嫌がってらっしゃる、というのは公にされています。
 しかし、だからと言って出るとこ出ましょうよ、というニュアンスではなかったはずです。

 そんな弱い方と言いますか、小さい方でもないと思いますんで、「んもー、ほんっとやめてよね~」とカンカンに怒って見せてオシマイ、という感じではないでしょうか。そこは逞しく、芸能人として仕事の糧にしてやろうという計算も多少あるでしょう。なにしろ、知名度やら、ブログのアクセス数はうなぎのぼりなんですから。


いじめた側の言い訳とそっくりだ。

 私から言わせて頂けば、この方の『情報不足の偏った価値観で決め付ける』という姿勢が、ケンカする生徒二人の片方の話しか聞かずにもう一方を叱りつける『ダメな教師・育て下手の親』という印象が拭いきれません。断定文調を多用される割りには、背景を十分に模索しておられない。会社を経営するようになった教え子が、取引先とそんなやり取りをするようになったら、この方は責任を取って下さるのだろうか。


「デスブログ」を見て人々が笑う構造

 私は、そんな単純なものではないと思っています。それは個人によって解釈は違うかもしれないので、私も断言は出来ません。

 ”デスブログ”のことを語ってやまない人たちは、どこか『笑っていられない、得体の知れない物に対する恐れ』を感じているのではないか、と。
 占いなんか、良い事も悪い事も出てきます。一般的に、良い事だけを信じたがる人が多いとも言いますよね。そして、当たった、外れた、と騒ぎますし、また、そういった”理論に拠らない先見”という摩訶不思議な現象に惹かれるものなのでしょう。”デスブログ”は悪い事件ばかりに話が行きますが、それでも「また、当たってしまったのか……」と言う、人間の能力を超越したミラクルに、ある意味憧れたりもするのではないでしょうか。

 興味を持ってしまう、恐怖におののく、そうやって、一連の流れから目が離せないのでしょうし、若い子たちですとそういった”超能力”的なものを、自分も持ちたいと想像を巡らせるのかもしれません。


 それに対して、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授、”グローバル(広い)”と銘打っている学部の教授が、そんな”ナロー(狭い)”の視点で語られるというのは、現代社会が生む大いなる矛盾、おかしみ、バグ、なのだろうかと。教えられる学生たちは、それを見て、何を想いつつ社会へ飛び出して行くのか。


 深刻に懸念を感じざるを得ないのであります。








 あ、でも学生諸君、私みたいにこうやって分かったようなこと書くブロガーにはなるなよ?(;^-^)




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高齢者が陥りやすい罠!?

2013-01-16 19:49:29 | 思考の散歩
 今日の記事は、別に批難しようという趣旨ではありません。

 ジェネレーションギャップのようなもの、と捉えて頂ければ有り難いです。



 こんな話題がありました。







 ちょうど良いサンプルだと思ったんですよね。

 ちなみに、この議題に対してネット上でのリアクションはこうでした。




無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書




 まぁ、ひと口に『ネット上』と言いましても、そこそこの年齢(家庭持ちとか)の方々も割りといらっしゃいましてね。

 三十代はそこらじゅうにみえますし、四十代もさほど珍しくはありません。



 イチャモンっぽい書き込みも散見されますが、建設的に「投稿者の論理は、ここがオカシイ」といった理性的な批判も多々、見られましたね。



 一般的に多くの高齢者は、様々な場面で「自分は譲ってもらえる」と考える傾向を持つのだそうです。

 さらに六十三歳というのが微妙な年齢で、この方が子供の頃ですと、五十代から髪が白くなり、六十を過ぎたら腰が曲がってすっかり”お年寄り”という感覚もあったでしょう。子供の頃の感覚は一生付き纏ったりしますよね。

 少々、話はそれますけれど、私が小さい頃に読んだ絵本の中で、暴走する自動車が出てきましてね。
「40きろ、50きろ、60きろ…………すごいすぴーどを だしています」
みたいなフレーズが出てきました。おかげで私、今でもそれぐらいの速度で『すごいすぴーど』という言葉が頭に浮かびます。


 そんなわけで、『六十三歳の自分は年寄りなんだ』という意識もあったことでしょう。
 そりゃ、身体にガタは来ている時期ですから、若者のようには行かないでしょう。お薬を毎日飲んでみえるかもしれません。

 しかし現代、六十三歳(まぁ、外見上どのぐらいに見られるか判りませんが)と言えばまだ”現役”と見られますよね。
 食生活や栄養学、医学や薬学の進歩もあったり、運動習慣が大々的に勧められるなど、八十代でもお元気な方が増えました。

 以前、九十三歳で亡くなるまで現役で指揮を振ってみえた方の話を書きましたが、その少し後に私がエキストラで出た演奏会では、九十四歳の詩人の方が、シャンと立って朗読をなさっていました。先日など、九十九歳の大学生の記事を読んだこともあります。

 そんな時代になりますと、六十三歳と言いますのはちょうど境目あたりと申しますか、年寄り扱いしてくれる方もみえれば、”まだ必要ナシ”とハンコを押す方もみえる感じなのでしょう。



 そこで、ですね。



 人間って、心理学的には『周りから求められる振る舞いをしようとする』動物なのだそうでして。

 例えばヤンキー(ふるっ^^;)ですと、周りからそういう目で見られているという自覚があるので、人前で善行など恥ずかしくて出来ないですとか、或いはほとんどの女性は『女性として見られている』から男性のようなハシタナイ事は出来ない、ですとかね、そういうものらしいんですよ。

 逆にそういった抑圧が反動を生むこともあるようです。
 また話がそれてしまいますけれど、社会的に高い地位の方(社長とか重役など)が風俗などで赤ちゃんプレイに走って「ばぶぅ」言ってみたり、警察官やお坊さんなどが風俗では暴れたりなんて傾向もあるようです。

 いや、なんで風俗の例を出すって、素直な欲求として人格的な仮面を脱ぎ捨てる場所ですから、例として打ってつけなんですよ^^;



 そんな感じでですね、六十三歳でまだ早い気も致しますが、”お年寄り”として扱ってもらえることが増えてきますと、『自分は譲ってもらえる存在なんだ』と認識するようになるんだそうです。


 これがですね、実は、交通事故にも発展する話なんです。



 交差点ですとか、或いは何かの敷地から道路へ合流する場面でですね、つい「相手が譲ってくれるだろう」と、そのまま出てしまってぶつかる事案が高齢者に多いのだとか。
 もっと言えば、「相手は気付いてくれている」「見てくれている」という意識が芽生えて、その車に気付いていない相手が驚く、と。

 また、譲られることに慣れてきますと、「これが人間の美徳である」と信じるようになりますし、それが逆に「どうしてこの人は譲ってくれないんだ、嘆かわしい」という価値観を生むケースはよくありますよね?



 そんなわけでですね、最初に貼った画像の件は、そういった一環ではないかと、私は思ったわけです。







 ええと、あとですね。(;^-^)



 邪推で恐縮なんですが、さらに突っ込んでしまいますと。


 新聞社が多少推敲されたのかは定かではありませんが、件の文章が『出来すぎている』と思うんですよね。普段、よほど文章を書かれる方でないと、なかなかああいった文章にはならないと思います。仕事として書かれる(書かれていた)方の筆運びと信じて疑いません。


 スレッドのリアクションでもありましたが、「新聞社は、”どうして”この記事を採用したのだろう?」と、私も強く疑問を感じましてね。

 そこで私、つい思い出してしまった話がありました。


 昔、ちょっとご縁のあった方で、某新聞社で偉いさんだった方がみえましてね。編集長でしたっけか。
 まぁ、よく朝刊や夕刊の一面下部で、編集部の方が文章を書かれるコーナーがありますよね。アレ、複数の方が交代で書かれているらしいのですが、その知り合いがある日、どこかの会社と喧嘩したらしくてですね、カンカンだったようなんです。

 そこで、「おい、今日は俺に書かせろ」と筆を取り上げまして、その会社の悪口を書き殴ってやったら先方が「勘弁してくださいよ;;」と折れたのだそうです。



 つまり―――――――ー








 
これ、朝日新聞のOBが鬱憤晴らしてるだけじゃねえのか?(;^-^)




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笹子トンネル考察

2013-01-07 02:29:01 | 思考の散歩
 昨年は、年末の帰省ラッシュを目前に、笹子トンネルの大惨事で通行止めになりましたよね。

 あそこはただでも渋滞しやすい場所、しかも時期的に影響が余りにも大きなものとなるのは明白で、中日本高速道路(NEXCO中日本)は慌ててラッシュ前に仮復旧まで漕ぎ着けました。


 ところが、あなた…………、折角の苦労も、事故にならなかった下り線(2車線)を使用した対面通行(40km規制)で、待望の開通直後、まーた事故が起こって通行止め。これはさすがに、突貫工事なさった業者さんたちが報われなくて、可哀想に思っておりました。



<笹子トンネル>5台が事故…前日に仮復旧、一時閉鎖 山梨



 あ、Yahoo!のニュースって、記事によってはすぐ削除されちゃいますけど、今のリンクはいつまで残ってますかね。



 まぁ、そんなわけで、どうしてその笹子トンネルがここまで不運な目に遭っているのか、ちょっと考えてみました。



 まず、最初の大事故なんですが、地震との関連性が指摘されています。
 東日本大震災の時、まぁ内陸部は津波が来ないので注目されませんでしたが、長野北部あたりでも異例の規模の地震が発生しました。トンネルの老朽化や、特殊な構造、ずさんな検査も要因としてありますが、断層のズレが広範囲に影響を及ぼした一環ではないかとも言われているわけです。



巨大地震でインフラはもつか 笹子トンネル事故は大地震が遠因?



 そして、このトンネルも難工事でして、地層に問題がありました。
 地震の影響を受けやすい環境だったわけで、トンネル内壁の歪みが、弱い部分へ負担をかけたのでしょう。
 また私個人的には、大きな地震って、未明に発生するイメージがあるんですよね。特に、寒い時期。
 地下水の多いこの地域で早朝の災害が起こったのは、温度による影響もあったのかもしれません。




笹子トンネル (中央自動車道) Wikipedia



 Wikiにありました通り、この時点で工事自体にも問題はあったようです。
 まだ日本の高速道路網が発達していない頃、様々な産業成長を見込んだインフラ整備の一環として急ピッチでいくつもの高速道路が建設されましたよね。この区間は開通が遅かった部分というのもあり、速さが求められていたのでしょう。近年ですと、中国の高速鉄道が問題視されたのを御記憶の方は多いはずですよね。



中央自動車道 Wikipedia







 そして、仮復旧後の事故。
 路面が凍結する早朝でもなく、40km規制なのにどうして起きたのか?


 先程、老朽化にも触れましたが、設計自体が古かった可能性もあります。
 現在は、多くの大きな道路は新しい安全な設計でルートが決定されます。



クロソイド曲線 Wikipedia



 このブログで、過去に二回ほど触れたことがありましたかね?
 左右に曲がるにしても、上下に勾配するにしても、緩やかな操舵(ハンドル操作)で通行できる作りになっているんです。

 道路設計への応用としては、ドイツのアウトバーンが初出と言われますが、日本国内ですぐ浸透したわけではありませんでした。これは、国土の地形が問題だったろうと思います。(河川の傾斜は世界最高レベルの角度であり、数千メートル級の山岳地帯から海までの距離が近すぎ、それに伴う険しい地形から山間部の道路などではクロソイド曲線に基づくだけの余裕を確保するのが困難な場合が多いはずである)

 実際、山間部を走る古い高速道路は、運転していて大変危ないです。
 ハンドルを切るにも、坂を上る・下るにも、荷重が掛かりますよね。

 これが山間部ですと、上下と左右が同時に座標を変える地形が多くなるわけですから、変な方向へ力(いわゆる、G)が掛かりやすくなり、車体の挙動は不安定になりがちです。私の近場ですと、中央自動車道(特に東京側)や、北陸自動車道(特に福井・滋賀県境近辺)などは、変なハンドルの取られ方をしますね。

 その点、新しい東海北陸自動車道(美並IC付近を除く)や、東海環状自動車道は大変走りやすいです。最初からクロソイド曲線を前提として設計される為、走行する車の挙動はまず乱れません。


 それに比べれば、笹子トンネルあたりは『運転しにくい』『疲れやすい』『挙動が乱れやすい』道路とも言えます。

 さらに言えば、ですね、最初に書きましたが、下り線を使用した対面通行なわけです。
 事故を起こした車は、上り(東京方面行き。傾斜としては下りにあたる)なんですよね。

 ここで考えられる点が三つ、浮かび上がります。


●そもそも、上りとして走行する設計ではなかった

 路線としての上りと、実際の地形としての下りが混ざってややこしいですが、上っていく坂道を反対から走ったら(下ったら)、思いのほか肝を冷やしたなんて憶えのある方、結構みえると思います。
 特に山間部では、目の錯覚を起こしてしまう(勾配など)地形もあり、ハンドル操作を誤ったのではないか。


●不案内で戸惑ったのではないか

 高速道路の標識って、なかなか親切ですよね。高速度で走る運転者が、負担なく情報を把握できるように、頻繁に出てきます。
 しかし、下り線を逆走する形で走行する車にとっては、案内が不足して不安を覚えてはいなかっただろうか。

 また、最近はナビゲーションを搭載した車も多いですから、もしかしたら、ナビゲーション画面がおかしなことになって、操作に手間取っていたのかもしれませんね?


●やはり、事故現場として意識してしまった可能性

 同乗者もみえましたから、どうしても「このトンネルだよ」「あっち側で修復工事やってるよ」など、話題になっていたかもしれません。
 つい、運転者もそちらへ余所見をしてしまったのかもしれないですし、事故にならなかった上り線だったとしても、やはり同じ設計の下り線内壁を、つい凝視していたのかもしれませんね。

 さすがに多少は補強などされたとは思われますが、運転者としてはどうしても「今度は、こちら側が崩落するのかもしれない。惨事に遭遇してしまうのかもしれない」といった恐怖心も、多少は出てくることでしょう。






 ま~~、私見ではあるんですけれども、やはり「起きるべくして起こった」という背景は、様々な可能性が出てきます。

 実際はどうなのか、神のみぞ知るわけですが、まぁ、「呪われているのか!?」と怖がるよりは、ただ、危険が潜んでいるよと肝に銘じて、普通に、安全に通行なさればよろしいと思います。






 ま、これからみんな、トンネルを見る目がちょっと変わっちゃいそうですね(;^-^)




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日本人の美徳とは一体、何だったのか!?

2012-12-28 23:13:56 | 思考の散歩
 まー、最近ネット上ですとかでね、『日本人の美徳』、そして『民度』なんて言葉がたまに出てきます。

 大震災被災地では、行儀良く順番待ちする長い列の写真が世界を驚かせたとも言われておりました。


 しかし………………、本当に日本人って普段、そうなの? って疑いたくなる体験談がありました。








 ここで、すぐ謝らなかったのも日本人。

 我々は、海外の評判に胡坐(あぐら)を掻いている場合ではありません。




 今の発言に対するリアクションと思われるものが、こちらです。


















 …………全く、情けなくて涙が出そうです。

 我が身を振り返って、襟を正さざるを得ません。






 皆さんの周りでは、いかがですか?





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