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高齢者が陥りやすい罠!?

2013-01-16 19:49:29 | 思考の散歩
 今日の記事は、別に批難しようという趣旨ではありません。

 ジェネレーションギャップのようなもの、と捉えて頂ければ有り難いです。



 こんな話題がありました。







 ちょうど良いサンプルだと思ったんですよね。

 ちなみに、この議題に対してネット上でのリアクションはこうでした。




無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書




 まぁ、ひと口に『ネット上』と言いましても、そこそこの年齢(家庭持ちとか)の方々も割りといらっしゃいましてね。

 三十代はそこらじゅうにみえますし、四十代もさほど珍しくはありません。



 イチャモンっぽい書き込みも散見されますが、建設的に「投稿者の論理は、ここがオカシイ」といった理性的な批判も多々、見られましたね。



 一般的に多くの高齢者は、様々な場面で「自分は譲ってもらえる」と考える傾向を持つのだそうです。

 さらに六十三歳というのが微妙な年齢で、この方が子供の頃ですと、五十代から髪が白くなり、六十を過ぎたら腰が曲がってすっかり”お年寄り”という感覚もあったでしょう。子供の頃の感覚は一生付き纏ったりしますよね。

 少々、話はそれますけれど、私が小さい頃に読んだ絵本の中で、暴走する自動車が出てきましてね。
「40きろ、50きろ、60きろ…………すごいすぴーどを だしています」
みたいなフレーズが出てきました。おかげで私、今でもそれぐらいの速度で『すごいすぴーど』という言葉が頭に浮かびます。


 そんなわけで、『六十三歳の自分は年寄りなんだ』という意識もあったことでしょう。
 そりゃ、身体にガタは来ている時期ですから、若者のようには行かないでしょう。お薬を毎日飲んでみえるかもしれません。

 しかし現代、六十三歳(まぁ、外見上どのぐらいに見られるか判りませんが)と言えばまだ”現役”と見られますよね。
 食生活や栄養学、医学や薬学の進歩もあったり、運動習慣が大々的に勧められるなど、八十代でもお元気な方が増えました。

 以前、九十三歳で亡くなるまで現役で指揮を振ってみえた方の話を書きましたが、その少し後に私がエキストラで出た演奏会では、九十四歳の詩人の方が、シャンと立って朗読をなさっていました。先日など、九十九歳の大学生の記事を読んだこともあります。

 そんな時代になりますと、六十三歳と言いますのはちょうど境目あたりと申しますか、年寄り扱いしてくれる方もみえれば、”まだ必要ナシ”とハンコを押す方もみえる感じなのでしょう。



 そこで、ですね。



 人間って、心理学的には『周りから求められる振る舞いをしようとする』動物なのだそうでして。

 例えばヤンキー(ふるっ^^;)ですと、周りからそういう目で見られているという自覚があるので、人前で善行など恥ずかしくて出来ないですとか、或いはほとんどの女性は『女性として見られている』から男性のようなハシタナイ事は出来ない、ですとかね、そういうものらしいんですよ。

 逆にそういった抑圧が反動を生むこともあるようです。
 また話がそれてしまいますけれど、社会的に高い地位の方(社長とか重役など)が風俗などで赤ちゃんプレイに走って「ばぶぅ」言ってみたり、警察官やお坊さんなどが風俗では暴れたりなんて傾向もあるようです。

 いや、なんで風俗の例を出すって、素直な欲求として人格的な仮面を脱ぎ捨てる場所ですから、例として打ってつけなんですよ^^;



 そんな感じでですね、六十三歳でまだ早い気も致しますが、”お年寄り”として扱ってもらえることが増えてきますと、『自分は譲ってもらえる存在なんだ』と認識するようになるんだそうです。


 これがですね、実は、交通事故にも発展する話なんです。



 交差点ですとか、或いは何かの敷地から道路へ合流する場面でですね、つい「相手が譲ってくれるだろう」と、そのまま出てしまってぶつかる事案が高齢者に多いのだとか。
 もっと言えば、「相手は気付いてくれている」「見てくれている」という意識が芽生えて、その車に気付いていない相手が驚く、と。

 また、譲られることに慣れてきますと、「これが人間の美徳である」と信じるようになりますし、それが逆に「どうしてこの人は譲ってくれないんだ、嘆かわしい」という価値観を生むケースはよくありますよね?



 そんなわけでですね、最初に貼った画像の件は、そういった一環ではないかと、私は思ったわけです。







 ええと、あとですね。(;^-^)



 邪推で恐縮なんですが、さらに突っ込んでしまいますと。


 新聞社が多少推敲されたのかは定かではありませんが、件の文章が『出来すぎている』と思うんですよね。普段、よほど文章を書かれる方でないと、なかなかああいった文章にはならないと思います。仕事として書かれる(書かれていた)方の筆運びと信じて疑いません。


 スレッドのリアクションでもありましたが、「新聞社は、”どうして”この記事を採用したのだろう?」と、私も強く疑問を感じましてね。

 そこで私、つい思い出してしまった話がありました。


 昔、ちょっとご縁のあった方で、某新聞社で偉いさんだった方がみえましてね。編集長でしたっけか。
 まぁ、よく朝刊や夕刊の一面下部で、編集部の方が文章を書かれるコーナーがありますよね。アレ、複数の方が交代で書かれているらしいのですが、その知り合いがある日、どこかの会社と喧嘩したらしくてですね、カンカンだったようなんです。

 そこで、「おい、今日は俺に書かせろ」と筆を取り上げまして、その会社の悪口を書き殴ってやったら先方が「勘弁してくださいよ;;」と折れたのだそうです。



 つまり―――――――ー








 
これ、朝日新聞のOBが鬱憤晴らしてるだけじゃねえのか?(;^-^)




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