現代ものではミステリーが大好きな私ですが、時代ものだとそうでも無くて、
むしろ「時代物ミステリー」には食指が動かないタイプだと思います。
その時代に生きた、というのはもうすでにそれだけで、現代を生きる私からするとあり得ない感覚・あり得ない常識だらけで、つまり時代小説ってもうそれだけでミステリーなんだと思うんです。
だから私は、
「時代」という名の縛りがあるからこそ美しくそして気高い時代小説、文学、
そういうものにとても惹かれます。
と、いうわけでつわり中に読んでました、「春琴抄(谷崎潤一郎)」
これね、
本当に、これね、
たった70ページほどしかないんです。すっごく薄い本なんです。
そしてたった300円なんです。今日び小説が300円で買えるんです。
たった70ページで。
たった300円で。
それだけでこの愛とこの美が手に入るのだというのだから、私の人生には今までどんなに余計なものがたくさんあったのでしょうか。
なんなんだろう。
この美しさはなんなんだろう。
お話自体はあまりにも有名だから勿論ストーリーは知っていたし、「泣きたくなるほど美しい」ともよく聞いていたけれど、
だけど実際は私が思っていたよりも遥かに、
遥かに美しかった。
ストーリーは言ってしまえば【超ツンデレなドS春琴ちゃんと、その子をうっかり大好きになってしまったばっかりにドメスティックでバイオレンスな生涯を送るはめになったドM(に目覚める)佐助くんのはなし(笑)】なんですけど、(←身も蓋もない説明)
しかもツンデレってぶっちゃけ私が一番大嫌いなタイプの人間なんですけど、
だけど読み始めたらもう、
春琴のキャラが苦手なタイプだとか、佐助のどうしようもない愚かさとか、
そんなもんどうでもいいわ!ってなった
これは本当に、
日本語の勝利、言葉の勝利としか言い様がないと思う。
だって、本来一番重要なはずのキャラクターもストーリーも二の次三の次になるくらい、とにかく谷崎潤一郎の紡ぎ出す文章が美しくて美しくて、読み終わった瞬間に本当に春琴と佐助の人生に立ち会ったかのような気持ちになっていて、
気付けばふたりどちらもいとおしい。
この二人の感覚は間違いなく異常だと思うし、納得しかねる個所もあるはずなのに、
なのにこんなにもいとおしいのは、やはりその二人を紡ぎだす日本語の圧倒的な美しさによるところなのだと思う。
ここまで狭く封鎖された空間の中で、ここまで感受性を解き放てるものなのだろうか。
色のない世界にいるはずなのに、こんなにも色彩に溢れた思いを持てるものなのだろうか。
ああ最高だった
胎教にはどうかと思うけど最高だった
やっぱり私は日本語が好きです。
この先何度生まれ変わっても日本語をつかっていたいくらい、日本語が好きです。
「春琴抄」
読み終えたあとはただ、
怒濤のような切なさに襲われながらも、それを言葉にしてはいけないような神聖さに口を噤み、立ちすくむばかりで、
この読後感に出合いたい一心で、私は時代小説を読むんだと思った。
むしろ「時代物ミステリー」には食指が動かないタイプだと思います。
その時代に生きた、というのはもうすでにそれだけで、現代を生きる私からするとあり得ない感覚・あり得ない常識だらけで、つまり時代小説ってもうそれだけでミステリーなんだと思うんです。
だから私は、
「時代」という名の縛りがあるからこそ美しくそして気高い時代小説、文学、
そういうものにとても惹かれます。
と、いうわけでつわり中に読んでました、「春琴抄(谷崎潤一郎)」
これね、
本当に、これね、
たった70ページほどしかないんです。すっごく薄い本なんです。
そしてたった300円なんです。今日び小説が300円で買えるんです。
たった70ページで。
たった300円で。
それだけでこの愛とこの美が手に入るのだというのだから、私の人生には今までどんなに余計なものがたくさんあったのでしょうか。
なんなんだろう。
この美しさはなんなんだろう。
お話自体はあまりにも有名だから勿論ストーリーは知っていたし、「泣きたくなるほど美しい」ともよく聞いていたけれど、
だけど実際は私が思っていたよりも遥かに、
遥かに美しかった。
ストーリーは言ってしまえば【超ツンデレなドS春琴ちゃんと、その子をうっかり大好きになってしまったばっかりにドメスティックでバイオレンスな生涯を送るはめになったドM(に目覚める)佐助くんのはなし(笑)】なんですけど、(←身も蓋もない説明)
しかもツンデレってぶっちゃけ私が一番大嫌いなタイプの人間なんですけど、
だけど読み始めたらもう、
春琴のキャラが苦手なタイプだとか、佐助のどうしようもない愚かさとか、
そんなもんどうでもいいわ!ってなった
これは本当に、
日本語の勝利、言葉の勝利としか言い様がないと思う。
だって、本来一番重要なはずのキャラクターもストーリーも二の次三の次になるくらい、とにかく谷崎潤一郎の紡ぎ出す文章が美しくて美しくて、読み終わった瞬間に本当に春琴と佐助の人生に立ち会ったかのような気持ちになっていて、
気付けばふたりどちらもいとおしい。
この二人の感覚は間違いなく異常だと思うし、納得しかねる個所もあるはずなのに、
なのにこんなにもいとおしいのは、やはりその二人を紡ぎだす日本語の圧倒的な美しさによるところなのだと思う。
ここまで狭く封鎖された空間の中で、ここまで感受性を解き放てるものなのだろうか。
色のない世界にいるはずなのに、こんなにも色彩に溢れた思いを持てるものなのだろうか。
ああ最高だった
胎教にはどうかと思うけど最高だった
やっぱり私は日本語が好きです。
この先何度生まれ変わっても日本語をつかっていたいくらい、日本語が好きです。
「春琴抄」
読み終えたあとはただ、
怒濤のような切なさに襲われながらも、それを言葉にしてはいけないような神聖さに口を噤み、立ちすくむばかりで、
この読後感に出合いたい一心で、私は時代小説を読むんだと思った。