goo blog サービス終了のお知らせ 

Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥ー51 日露戦争

2022-10-13 08:59:57 | 国際政治・財閥

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年ー 1936年)は、日本の武士(仙台藩士)、政治家、財政家[2]。日本銀行総裁。

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は正二位大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。二・二六事件で暗殺される。



レーニンをはじめ革命勢力は、ツァーの強大な力に圧せられ、しかもドイツ、フランスの列強は事実上、ロシア帝政を支援していたため、革命実現の突破口は見いだせない状況でした。



ウラジミール・レーニン


ここに、1904年2月、日露戦争が始まりました。 1902年、ロシアが中国東北部占領、1903年日英同盟締結の翌年です。


戦争が始まるや、ボリシェヴィキ(多数派の意、過激)は、「ツァーを敗戦させ、自分たちの革命を実行する」という敗戦革命政策を決めました。

レーニンは、日露戦争こそツァー専制の根底を掘り崩す最大の契機になるとして、無条件に日本の勝利を願いました。

彼は、日露戦争下でのロシア・プロレタリア革命の切迫を予言し、1905年1月1日の旅順港陥落時には「旅順港の降伏は、ツァーリズム降伏の序曲」と歓喜をもって祝賀文を書き、ロシアを打倒した最大の革命勢力日本に賛辞を捧げました

スターリンも、コーカサスの労働者たちにいよいよ「ツァー打倒」と訴えました。 日露戦争とロシア革命は一体だったのです。





日露戦争で大儲けしたシフ
ナサニエルとシフは先ず、日本による戦艦購入費を用立てました。 しかし、日本政府の心配は、軍事費「全般」の欠乏でした。

当面の必要外貨は、億5000万円相当でしたが、国庫には5200万円分しかなかったのです。 円は国際通貨としては認められていませんでした。

日本は不足分約1億円すなわち1000万ポンドの戦時外貨の発行が必要でした。 しかし、高橋是清・日銀副総裁が必死にロンドンを走り回ったものの、半分の500万ポンドしか目途が立ちませんでした。

彼はロスチャイルド邸を訪問しましたが支援を断られました。 実は、ロスチャイルド家は、ツァーの許可によって、当時世界最大のバグー油田の利権を保有していたので、ロシアに敵対する日本に表立って戦争資金を与えることは得策ではなかったのです。


ロンドンで高橋が親交を結んだ人物が、エドワード7世の財政顧問アーネスト・カッセル卿でした。卿は、ドイ生まれのユダヤ系資本家であり、シフとは盟友で、ロスチャイルド家とは以心伝心の間柄でした。



アーネスト・カッセル


ロスチャイルド家は、高橋にニューヨークのクーン・ローブ商会のシフを紹介しました。



ジェイコブ・シフ と 高橋是清


シフは、日本への借款供与を強く主張していました。 シフはロンドンに赴いて高橋と会い、「ニコライ2世のロシアほどの残虐行為のできる態勢は、人類のためロシア国民のため、いや全世界のため根本より変えられ・・・罰を受けなければなりません」と語りました。


1904年5月、遂に日本政府がロンドンとニューヨークでの外債募集で1000万ポンドを手にしました。 半分はシフが引き受け、残り半分はシフの世話で、M・M・ウォーバーグ商会らユダヤ人銀行家が引き受けました。

日本にとって発行条件は、ロシアの場合と比較しても有利とは言えず、年率6%、発行価格は100ポンドにつき93ポンド10シリング、7年償還で、関税収入が担保という屈辱的なものでした。


ロシアの歳入は日本の7倍、日本はあくまでも診療力が低い小国でした。 ナサニエル自身も、高橋是清らを指導しながら、日本に軍事費を提供し、3回と4回目の起債ではロンドン家とパリ家が揃って引き受けに参加しました。



ナサニエル・ロスチャイルド


イギリス政府とイングランド銀行も日本国債の引き受けに保証を与えました。 最大級の日本へのバックアップです。


日露戦争における日本の戦費合計は19億円。 うち16億円が国債および一時借入金で、国内債での調達が4.3億円、外貨での調達が5本で8.8億円でした。

外貨の半分以上をユダヤ人銀行家が引き受けました。 日本は、戦後は彼らに多額の金利を払い続け、シフは後に「日露戦争で最も儲けた」と述べています。


ロシア政府は、戦費総額13億ルーブルのうち、パリ取引所からの借款で12億ルーブルを調達しました。やはり、ここにもロスチャイルド家は関与しています。


日露戦争では、日露双方に、ロスチャイルド家が支援していたクルップと、ロスチャイルド傘下のザハロフが代理人であるヴィッカース&マクシム社の兵器が大量に売り込まれました。

アメリカの南北戦争でも、日本の戊辰戦争でも、南アフリカのボーア戦争でも、双方に大量の兵器が売られました。

金(money)がなければ戦争はできませんし、兵器がなければ戦争はできません。 ロスチャイルド家らは、戦争資金を貸し付け、兵器を販売し、莫大な利益を上げたのです。



日露戦争前から行われていた革命工作
日本陸軍の明石元二郎大佐は、日露戦争前からロシア帝国公使館付陸軍武官として、ロシア国内の情報を収集し、ロシアの反政府分子との接触を試み、レーニンと共同して革命工作を行うまでになりました。 

その資金もシフが出したと言われています。



明石元二郎(あかしもとじろう)大佐、1864年ー 1919年


日露戦争中、日本軍が明石大佐の下に送った資金は、ロシアの革命勢力の軍資金となり、スイスからの小銃1万6000挺(ちょう)、弾300万発の購入にも役立ちました。

1904年7月、ユダヤ人を含む諸民族と革命家たちを弾圧したロシアのプレーヴェ内相が青年革命家に暗殺されました。

彼の死は、続く日露戦争の遼陽(りょうよう)会戦での敗北と相まって、ロシア国内の革命ムードをますます助長しました。

同月、明石大佐は。ロシア革勢力の首領たちが集うスイス・ジュネーブ郊外に向かいました。 ロシアの穏健な改革派勢力は、警察政治の廃止、西欧的な個人の権利、信教・言論・出版・新聞報道の自由、独立の司法官による裁判、そして憲法を国会が制定することを要求しました。

しかし、ツァーは譲渡する姿勢を見せません。 ロシアでは貧困農村の青年の3分の1、場合によっては半分以上を軍隊に召集され、農業生産に大きなダメージを受けていました。

日露戦争に動員するために召集した数千人の予備兵は、ドイツやオーストリアに逃亡し、逃げ遅れた人々が銃剣に脅かされながらシベリア鉄道で前線に送られていく有様でした。


「猿」と見下していた日本軍に配線濃厚な戦争は、国内経済を圧迫し、数十万の労働者は失業し、凶作も重なり、さらには官憲による兵站(へいたん)品の横領が横行し、ロシア国民の憤激は極度に達しました。



帝都ペテルブルグやモスクワの学生たちは「独裁打倒」「戦争即時中止」を絶叫しデモに繰り出し始めました。

1904年12月、スターリンが指導するバグーのポリシェヴィキ委員会は、全労働者によるスト(ゼネスト)を決行しました。

スターリンのバグーの闘争が口火となり、遂に1905年1月2日(旧暦)全ロシアの労働者がストに入りました。
ペテルベルグでスト入りした労働者は12万人に上りました。

次の投稿は、いよいよロシア革命です。 




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥ー50 レーニン と ロンドン

2022-10-13 05:29:12 | 国際政治・財閥

ウラジーミル・イリイチ・レーニン(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年 – 1924年)は、ロシアの革命家、政治家、哲学者。ロシア・ソビエト社会主義共和国およびソビエト連邦の初代指導者(人民委員会議議長)。「レーニン」は筆名であり、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)。

ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派の指導者として活動し、1917年に十月革命を成功させた後、初の社会主義国家であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を樹立し、その行政府である人民委員会議の議長に就任した。

1919年には第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンの創設を主導、その後1922年にはソビエト連邦の成立を指導し、1924年に死去するまで同国政府首脳(ソ連人民委員会議議長)の地位にあった。

マルクス主義者として政治、経済の分析から哲学に至るまでさまざまな著作を残し、その思想はレーニン主義およびマルクス・レーニン主義として継承され、世界の社会主義国に影響を与えた。



ロシアの革命家ウラジミール・レーニン(1870年ー1924年)は、カザン大学時代にマルクスの『資本論』を学び、革命家になりました。

レーニンは、一般にロシア人と伝えられていますが、厳密に言えば、「不明」です。 ロシア人として育てられたものの、母型方の祖父がキリスト教に改宗したユダヤ人と言われています。

レーニンはシベリア流刑後に亡命して、スイスで運動をつづけました。 ロンドンには6回音連れています。

1902年から1908年までの間、訪英の都度、「ジョゼフ・リヒター」の偽名で、大英博物館の図書館(リーディング・ルーム)に通っていました。

かつてのマルクスを彷彿させます。レーニンは、ロンドンで、政治新聞『火花(イスクラ)』を地下出版していました。

共産主義革命家たちとロンドンの相性はとても良いのです。 1903年、ロンドンでロシア社会民主労働党第二回大会が開催され、党員資格の問題で、ボリシェヴィキ(多数派の意、過激)とメンシェヴィキ(少数派の意、穏健)とに分裂しました。

33歳のレーニンは、ボリシェヴィキの首領となり、ボリシェヴィキ党員を現実に革命に参加する者に限定しました。

さらに彼は、党やプロレタリアート(労働者)の主たる同盟者を、自由主義の立場のブルジョワジーではなく、土地を渇望する農民としました。

ちなみに、ボリシェヴィキ、メンシェヴィキそして立憲民主党の上層部には、ユダヤ人勢力が奥深く浸透していました。



同年、再び、黒海近くでユダヤ人の大虐殺が起き、ユダヤ同胞を思うシフは、セオドア・ルーズベルト大統領に働きかけてロシアに抗議させました。

シフは1904年にナサニエルに「ロシアはこの4,5年来、様々な時期に、アメリカ市場でロシア国債を引き上げてもらおうといろいろ画策していたが、自慢じゃないが、私はそれを失敗に終わらせることができた」と述べています。


シフは、アメリカ・ユダヤ人協会会長でもありました。 この頃、ユダヤ人の地位の改善をめぐるツァーとヴィッテ首相の懸念がアルフレッドに伝えられています。

それによると、皇帝も閣僚たちもそして世論も、「ロシアのユダヤ人たちが、公正で温情主義の政府を侮ろうとしている、社会主義と革命運動の立役者となっている」ことを悲しんでいるというのです。

そして、ロスチャイルド家がツァーに多額の資金を融通するなら、ロシア国内のユダヤ人の状況は改善するだろうと、交換条件を持ち出してきたのでしょう。


ロスチャイルド家は、このようなツァーの態度を嘲笑(あざわら)ったでしょう。 当時世界で最大の金保有者と噂されかつユダヤ人を迫害していたロシアのロマノフ王朝を、ロスチャイルド家は徹底的に嫌い、

シフを通じてレーニンやユダヤ人レオン・トロッキー(1879年ー1940年)といった革命家たちを資金援助し、ツアー体制の転覆を背後で支援しました。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥-49 世界最大級の富豪ロシア・ツァーへの反発

2022-10-13 02:27:10 | 国際政治・財閥

クレムリン宮殿内部
《Bol'shoy Kremlyovskiy dvorets/Большой Кремлёвский дворец》ロシア連邦の首都モスクワの中心部、クレムリンにある宮殿。グラノビータヤ宮殿、テレムノイ宮殿を合わせてクレムリン大宮殿と呼ぶことが多い。19世紀初頭、皇帝が旧住した宮殿が火災で焼失し、ロシアの建築家コンスタンチン=トンらにより鉄やコンクリートを用いる新しい建築技術を導入して建造された。現在は外国政府の要人との会見や国家祝典などに利用されるため、一般公開はされていない。




1902年(明治35年)日英同盟が締結された翌年の1903年、旅順とウラジオストクを結ぶロシアの鉄道網が完成しました。

ロシアは朝鮮の獲得を目指し、極東総督府を設立。 さらに、この頃、鴨緑江方面(中国東北部と北朝鮮との国境になっている川)で金鉱が発見され、ロシアの資本家は朝鮮から広大な森林利権を得ました。


当時、旅順は、ロシア軍と資本家が栄え、中国人たちが済む街とは、華美と不潔、奢侈(しゃし)と欠乏の対比が著しい状態でした。

贈賄によろロシア軍との取引やロシアとの貿易で巨利を成したのは、ロスチャイルド家と親しいグンツブルグをはじめとするユダヤ商人でした。

世界で最大級の富豪と言われたロシアのツァーは、世界の王のなかで、貧困に喘ぐ国民をよそに最も多くの宮殿を持っていました。

ツアーが一度も行ったことがない離宮も数多くありました。冬宮(とうきゅう)は、ヨーロッパ最大の建築物と言われ、大広間の外に1500以上の部屋があり、至るところ黄金や宝石、名画で飾られ、舞踏室は5000人以上を収容できました。


一方でロシアの国内事情は厳しさを増していました。 1901年から1903年までに、メーデーのデモやストが多くの都市で行われ、軍隊と衝突しながら赤旗を振って「8時間労働」「政治的自由」を要求し、次第に「専制ツアー打倒」の大衆的闘争にまで発展していきました。

コーカサスでは、スターリンが、グルジア人、アルメニア人、ロシア人の団結による闘争をを呼びかけました。

ロシアのユダヤ人による革命運動の準備のための資金は、主としてシフなどのロスチャイルド家系列の在米ユダヤ人資本家から大西洋を渡ってきました。


ロシア帝政がユダヤ人を迫害していたことだけはでなく、ロスチャイルド家の大英帝国が、アフガニスタン、トルコ、フィンランド、チベット、満州など世界各地で、ロシア帝政と激しく鎬(しのぎ)を削っていたこともあります。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥ー48 ロシア南下と日英同盟

2022-10-12 14:33:55 | 国際政治・財閥

日英同盟 批准書署名原本
署名 1902年1月30日、署名 1902年1月30日
署名場所 ロンドン

日英同盟(にちえいどうめい、英: Anglo-Japanese Alliance)は、日本とイギリスとの間の軍事同盟(攻守同盟条約)である。

1902年(明治35年)1月30日にロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として、駐英日本公使・林董(はやしただす)とイギリス外相・第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの間で、ランズダウン侯爵邸オーバルルームにおいて調印された。

その後、第二次(1905年:明治38年)、第三次(1911年:明治44年)と継続更新されたが、1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議の結果、調印された四カ国条約成立に伴って、1923年(大正12年)8月17日に失効した。



1902年、北清事変(義和団の乱)が勃発、清国に出兵したロシアが満州一帯を占領し、乱後も満州に駐兵を継続しました。

ロシアの南下政策の脅威を前に、日本は海軍の本格的な建設に着手し、N・M・ロスチャイルド&サンズはイギリスの造船所などで日本の軍艦を建造するための資金を融資しました。

ロシアに対抗する日本の軍備拡張は、ロスチャイルド家に負うところが大きいのが現実でした。 一方でロスチャイルド家は、ロシアの極東の軍備にも肩入れしました。


1902年に日英同盟が調印された直後に、ナサニエルはロンドンを訪問した元老の松方正義と邸宅で会い、イギリス銀行協会主催の晩餐会で歓待しました。

日本政府が500万ポンドをロンドンで起債調達した際には、ナサニエルは表に立たずに、ベアリング商会や香港上海銀行に主導させました。


1903年には、ナサニエルは、自分の代理人として、次男のチャールズ(1877年ー1923年)に日本を視察させます。 彼は、ロスチャイルド家のなかで、最初に日本に来た人物です。


兄のウォルター同様、動物学に造詣が深く、とりわけノミ研究で知られているオタクです。 俗悪な人間の権力社会から離れて、動物と深く向き合う時間が欠かせなかったのでしょう。

チャールズは、珍しい動物や昆虫、草花の収集のために世界各地を旅行し、日本視察はその一環でもありました。 彼は日本を非常に気に入り、、友人への手紙の中で、

「日本は天国だよ。 親がとやかく言わなければここで暮らしたい」と記しています。 そして、明治後期の日本の急速な経済発展にも注目しました。


ロスチャイルド家でも、後述するロックフェラー家でも、日本に大きな関心を寄せ、日本に詳しい「親日家」や「知日家」が数多くでてきます。

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ロスチャイルド財閥-47  レウミ(ヘブライ語:民族)銀行設立

2022-10-12 11:55:08 | 国際政治・財閥

テオドール・ヘルツル(ヘブライ語: בנימין זאב הרצל‎(Binyamin Ze'ev Herzl、ビニャミン・ゼエヴ・ヘルツェル)、ハンガリー語: Herzl Tivadar、ドイツ語: Theodor Herzl、1860年ー 1904年)は、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人。 1968年発行の旧100イスラエル・リラ紙幣から1978年発行の旧10シェケル紙幣まで肖像が使用されていた。

ハンガリー(当時はオーストリア帝国の一部)のブダペストで生まれた。18歳の時にウィーンに移り、法律・ジャーナリズム・文学を学んだ。当初はコスモポリタン的なドイツ文化の教養を身につけて、高尚な貴族文化に憧れる穏健な教養人であったが、新聞記者としてフランスのドレフュス事件(1894年)の取材にあたったとき、いまだ根強いユダヤ人に対する偏見に遭遇してショックを受け、またモーゼス・ヘスの影響も受け、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした。

1893年、キリスト教社会党党首で反ユダヤ主義を主張していたカール・ルエーガーがウィーン市長に選ばれたことに衝撃を受ける。ヘルツルは、「ユダヤ人の間には一種の絶望感が漂っている」と日記に記した。同じ頃の東ヨーロッパでのユダヤ人迫害(ポグロム)、また、当時のオーストリアにおけるルエーガーやゲオルク・フォン・シェーネラーによる反ユダヤ主義的大衆運動に接することによって、彼の態度が鮮明になったといわれる。




ロスチャイルド家は、その利害関係が各国の主催の枠組みを超えており、なおも成長し続けるビジネスを背景に、一族の国際的なつながりや広汎な代理人網によって、世界のあらゆる人物に関する情報、事件の真相に関して、新聞や外務省のレポート以上の事を常に把握していました。

1902年から1905年、保守党の実力者バルフォア首相の3年間の任期中、ナサニエルは彼とも緊密に連携しました。 ナサニエルは、頻繁に保守主義に基づく見解を公式演説し、保守党に多額の寄付をしました。

ナサニエルは、常に「ニューコート用(金融家)とウェストミンスター用(政治家)のふたつの帽子」を用いていました。


1902年、イギリスのボーア戦争勝利の年、それまでユダヤ国家建設に否定的であったナサニエルが、シオニズムの提唱者テオドール・ヘルツル(1860年ー1904年)の計画に協力し始め、まずロンドンに「レウミ(ヘブライ語:民族)銀行」を設立しました。

当初は、「アングロ・パレスチナ社」という無難な名称を名乗りながら、イスラエル建国のための資金を調達し、後にイスラエル建国(1948年)からオ年後に中央銀行「イスラエル銀行」が設立されるまで一切の公的資金を提供しました。

その後、ふたたび「レウミ銀行」の名に戻ります。 レウミ銀行がロンドンに設立されてから年後、「イスラエル国の大統領」を嫁見たヘルツルがこの世を去りました。

替わって、ポーランド生まれのユダヤ人ハイム・ワイツマン博士がシオニズムの指導者となります。 ロシアでのぽグロムを逃れてイギリスに来た彼は、爆弾製造に直結するアセトンの合成法を開発した世界的な化学者で、イスラエル建国に重要な役割を担います。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー