なぜ宇宙は今のような物質ばかりの姿になったのか。
この謎を解こうと、高エネルギー加速器研究機構(KEK)などは物質の構成などに関わる「素粒子」のわずかな変化を観測する大規模実験に挑む。
宇宙物理学の新たな理論につながるようなノーベル賞級の成果が出るかもしれない。
私たちの身の回りにある物質はすべて素粒子からできている。だが約138億年前に起きた大爆発「ビッグバン」で宇宙が誕生したときを振り返ると、今の姿には不思議がある。
素粒子の一部には重さなどは全く同じだが、電気的に反対の性質を持つ「粒子」「反粒子」がペアとして存在する。
宇宙誕生時には粒子と反粒子が同数存在していたはずが、現在の宇宙には反粒子はなく粒子しかない。粒子と反粒子は出合うと消滅する性質なのに、なぜか反粒子だけ消えた。
このアンバランスは物理学の大きな謎となっている。「CP対称性の破れ」と呼ばれる粒子と反粒子の性質の違いがあるためと考えられている。
素粒子には様々な種類があり、その一種の「クオーク」ではCP対称性の破れが起きることは明らかになっている。
08年にノーベル物理学を受賞した小林誠・益川敏英博士が提唱した理論が解明への道筋を示した。だがこれだけでは宇宙から反粒子がなくなった理由は説明できない。
そこで注目されているのが、別の素粒子のニュートリノだ。
ニュートリノやその反粒子である「反ニュートリノ」は飛ぶ間に一定の割合で状態が変わる「ニュートリノ振動」という現象を起こす。
「電子」「ミュー」「タウ」という3種類の状態があり、その変化の違いからCP対称性の破れを確認できる可能性がある。
その証明に挑むのが「T2K実験」だ。世界14カ国の研究者約570人が参加する国際プロジェクトで、ニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いからCP対称性の破れを調べる。
茨城県のKEKの施設からそれぞれをほぼ光速で飛ばし、約300キロメートル離れた岐阜県の神岡鉱山にある施設「スーパーカミオカンデ」で観測する。
T2K実験は09年に始まった。20年までの観測結果では、90%以上の確率でCP対称性の破れが起きていると報告した。
ただ完全な証明にはデータ量が足りない。そこで21年から茨城県の設備を増強し、放つニュートリノなどの量を約1.5倍に増やした。
KEKの中平武教授は「改良までに集めたデータの2〜3倍を26年度までに取得できる。ニュートリノでのCP対称性の破れの有無に迫れるだろう」と話す。
観測装置も強化する。スーパーカミオカンデと同じ鉱山内に設置が進む次世代の観測施設「ハイパーカミオカンデ」を使う。
測定する範囲が広く、ニュートリノをより多く検出できる。27年度稼働予定で、30年代にはCP対称性の破れの詳細な検証ができる見通しだ。
宇宙から反粒子が消えた謎に挑む研究は他にもある。米フェルミ国立加速器研究所を中心とする国際研究チームは「NOvA実験」を進めている。
フェルミ研で作ったニュートリノを飛ばし、約800キロメートル離れた観測装置で調べる。
T2K実験よりも距離が長くなることで、CP対称性の破れだけでなくニュートリノの質量の影響も見えやすくなるという。中平教授は「T2K実験と観測方法や得意分野が異なる。
互いに協力しながらニュートリノの謎を明らかにしていきたい」と話す。24年にも現時点での測定結果を発表するとみられている。
フェルミ研などによる「DUNE実験」という取り組みもある。さらに長い1300キロメートルを飛ばす計画で、20年代後半の稼働を目指し、施設の建設が進む。
こうした実験の観測結果を積み重ねることで、ニュートリノの性質の解明に迫ろうとしている。
ニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いが大きければ、CP対称性の破れのメカニズムを解く手掛かりになると期待されている。
未知の物理現象や素粒子が関係する可能性もある。宇宙の成り立ちをより適切に説明できる新たな理論の足がかりになるだろう。(福井健人)
初代のカミオカンデは神岡鉱山の地下1000メートルに建設された。
96年から2代目となるスーパーカミオカンデが稼働した。純水は約5万トン、光電子増倍管は約1万3000個に増え、ニュートリノの検出精度が大幅に向上した。