Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥ー205 ぺリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国

2023-05-21 01:42:51 | 国際政治・財閥

阿片戦争に勝利した英国は南京条約を結ぶことに成功し、初期の目的つまり新たな海港都市の獲得、そうした港への外交官赴任の権利などを獲得しました。 米国阿片商人たちは、それを傍観する程やわな人たちでありません。 ワシントン政府を動かして、南京条約とと同じ条件の条約を米国とも結ばせようと試みました。

当時のワシントン政権は、米国阿片商社の要求にこたえます。 ジョン・タイラー大統領も、ダニエル・ウェブスター国務長官も宿敵・英国に支那市場を好き勝手にさせたくはありませんでした。 米国政府は、連邦下院議員であったケイレブ・クッシングを交渉役に任命し、清国との交渉に派遣しました。

パーキンス商会が、トルコ産阿片を独占し、霊丁島の沖に船を浮かべ、それを倉庫として利用した阿片密売拠点を造ったことを、前回の投稿でお話ししました。 このリンチンシステムといわれる密売スキームを作り上げた人物は、パーキンス商会を立ち上げた、トーマス・パーキンスの甥、ジョン・パーキンス・クッシングの父親です。

つまり、米国政府は阿片密売商人と深い関係にある政治家に、清国との開国交渉を任せたのです。

 

米国阿片貿易によって清国へ流入した阿片の量は、1830年から31年、1万9000チェスト=約40トン(1チェスト=60kg)です。これは常習者がおよそ100万人ほどいたことを意味します。 常習の年間使用量はおよそ1.3kgです。 このうち、、米国商社が持ち込んだトルコ阿片は1500チェスト(およそ90トン)ですから、全体量の8%にあたります。 

これだけでも、現在の価値に換算すると280億ドル、日本円にして4兆円に近い巨額な密売額です。 この数字だけでも、いかに清国との阿片取引にうまみがあったことがよく分かります。 現在でもそうですが、支那市場つまり中国市場には当時から商売上のうまみがありました。

クッシングが清国訪問した表向きの理由は、健康の優れない道皇帝のご機嫌伺いでした。タイラー大統領もウェブスター国務長官も、清国には友好的に、そして礼をもって接するよう指示していました。 彼らは、米国は英国とは違う紳士の国であるというイメージを清国にもってもらもらいたいと考えていました。

そうすれば、英国より有利に、さらに阿片取引は拡大出来ます。一方の清国は、米国は英国よりも劣った蛮族の国と考えていたので、(実際、当時はその通り)、クッシングの北京入りを拒否しました。 皇帝との謁見を夢見ていた彼の願いはかないませんでした。

クッシングは,本国に宛てて地震が受けた屈辱の対応を書き綴っています。彼は次第に、英国が取った軍事行動が正しかったのではないかと思うようになります。 1844年6月21日、クッシングは清国に派遣されていた米軍船セントルイス号の海兵に護衛されながらマカオ郊外で清国との交渉に臨みます。

軍事的な威嚇の中で、クッシングは英国が勝ちとった南京条約とほぼ同内容の特権を規定する望厦(ぼうか)条約の締結に成功します。1844年7月3日のことでした。

英国の条約と違うのは、領土的要求がなかったことと、阿片密売で米国商人が起訴された場合につてのみ、清国の法律によって裁かれることを療養しているところです。


望厦(ぼうか)条約とは
1844年7月、中国、マカオ近くの望廈村で、清(しん)国とアメリカの間に結ばれた最初の条約。不平等条約で、アメリカはこれにより、イギリスが南京(ナンキン)条約とその追加・補足条約で獲得した権利、つまり五港開港、領事裁判権、関税協定権、開港場における土地租借権と家屋・教会の建設権などをほとんどすべて獲得した。


そのほか、これには南京条約にはなかった、12年後に通商および航海に関してわずかな改正を行うための協議に関する規定が含まれていた。南京条約以後、期待したような貿易拡大を実現できなかったイギリスは、最恵国待遇条項によって獲得したこの条項を活用して、より有利な規定を実現するため、清朝に圧力を加えた。 出所 日本大百科全書


ここで注意したいのは、先ほど説明したように、「英国よりも紳士的な国である」というイメージづくりが、米国の対清国外交の根底にあるという事です。 「英国は怖い国、米国は後進国に理解を示す優しい国」このイメージを、この時代から日本を含むアジアの国々に植え付けようとしました。 もちろん、対英戦略の一環です。

米国は、英国が巨額な戦費を使って勝ち取った南京条約と、その後に付け加えられた、虎門寨追加条約(こもんさいついかじょうやく)とほぼ同じ条件を、軍事行動なしに、望厦(ぼうか)条約で獲得しました。

 

虎門寨追加条約(こもんさいついかじょうやく)とは
 虎門寨(こもんさい。塞ではなく寨なので注意)は広州の近くの地名。アヘン戦争の結果、1843年締結された南京条約の追加条約として、虎門寨で締結されたので虎門寨追加条約という。略称で虎門条約ということもある。この条約で清はイギリスに片務的な最恵国待遇を認めた。他に開港上における土地租借の規定が含まれる不平等条約であった。この外国による土地租借が後に「租界」と言われるようになる。 出所 世界史の窓

 

ここまでが、日本開国プロジェクトを米国が目論んでいた頃の、清における米国の行ったことです。 英国に関しては、江戸末期の世界情勢は大英帝国vsロシア帝国でした。 ロシアはクリミア半島に侵攻し、英仏・トルコに退けられ、シベリア鉄道を使って東に移動し、東アジアを侵略しようとし、満州・朝鮮半島にまで迫ります。 

一方の大英帝国は阿片戦争で清から奪えるものはすべて略奪した後、次は日本を狙います。 子の大英帝国とロシア帝国がぶつかったのが、ここ日本です。

それで尊王攘夷で敵対していた筈のアホの長州を金と女で手名付け、日本国内に内乱を起こし、徳川を倒します。 この時の武器はアメリカ南北戦争の終了で在庫となった武器は上海に流れ、阿片商社のジャーディン。マセソン商会が、社員であったグラバーを通じて維新軍に流し徳川を倒しました。 グラバーは上海支店から長崎支店に転勤、その後独立して長崎にグラバー商会を立ち上げ、武器・戦艦などを維新軍とビジネス。 

それらの武器は、ロスチャイルド系の英国籍のアームストロング社、ヴィッカース社です。 当時、大英帝国を金で実質のっとり、陰で動かしていたのは、世界最強のユダヤ系のロスチャイルド財閥です。

狡猾な大英帝国は、手名付けた長州率いる明治政府・日本を、大英帝国の代理人として、ロシア帝国と戦わせようと画策します。これが明治維新と日露戦争です。

 

貧乏国日本は、クーン・ローブ商会のユダヤ人・シフ(ロスチャイルド家と同じくフランクフルトのゲットー出身の親戚)とロスチャイルド・ロンドン家とパリ家から巨額の借金。 クーンローブ商会は、米国ロックフェラーのアドバイザーや資金提供を行い。ロックフェラー財閥を育てた世界的大銀行です。

 

そして戦った(戦わされた)日本は、日露戦争で9万人の死者を出しました。 もちろん、大英帝国は一人の死傷者もいません。 残ったのは、巨額の借金と大使利子の支払い。 これらの謝金を完済できたのが、なんdとbubbleで沸く、1980年代の後半のことでした。 見事に大英帝国とロスチャイルドのマネーゲームに利用されたのです。

清国を阿片で食い物にした大英帝国。そしておまけのように清でアヘン貿易を始めた米国。 米国のターゲットは日本に開国させることです。 もちろん、巨大な清との貿易するための、食料、水、石炭の補給拠点としての日本。 そして清ほどは大きくないですが、アジアでは先進国の日本との貿易。 さらに日本を拠点にしてのアジア市場への進出です。


続く

 

 

 

(関連情報)

ロスチャイルド財閥-200 ペリー来航の本当の目的 シリーズスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7d7ad0c4ec5e1a437582b224363b5409
ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908
ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673
ロスチャイルド財閥ー203 阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c
ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238
ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029
日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68
ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3
Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。