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GS-12 ゴールドマン・サックス 中興の祖 シドニー・ワインバーグ

2023-02-10 16:49:22 | 国際政治・財閥






【 ゴールドマン・サックス中興の祖 シドニー・ワインバーグ 】


GS-11 ワディル・キャッチングスの辞任
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からの続き



ゴールドマン・サックスを蘇えられた男
ゴールドマン・サックスを蘇えらせたのは一人の男でした。 

中学校を中退した、ごく普通の男、シドニー・ワインバーグ。  まだ30代だった彼は、その後40年間ゴールドマン・サックスでリーダーシップを取ることになります。

シドニー・ワインバーグはまぎれもなく、近代ゴールドマン・サックスの父であります。 

1930年から他界する1969年まで会長として経営を続け、大恐慌の後始末をこなし、同社を全米に知られる存在とし、揺るぎない名声を打ち立てました。 

彼の存在は、死後も消えることなく、今日でもその影響は社内で感じ取ることが出来ます。



シドニー・ジェームズ・ワインバーグ



シドニー・ワインバーグの経歴
伸長5フィート4インチ、下肢の長さは26インチ。 彼は小柄な男でした。 しかし、その存在感は会社の内外で大きいものがありました。 

彼が絶頂期にあった1956年、『ニューヨーカー』誌はこう書いています。


「ワインバーグは、一流大手投資銀行ゴールドマン・サックスのシニア・パートナーである。 と同時にに、他に例を見みないほど多数の大手企業の社外取締役を務め、さまざまな財界人のアドバイザーであり、彼の言葉には大統領も熱心に耳を傾ける。 

ウォール街の外ではその名前はあまり知られていないが、彼は全米でも有数の影響力を持つ男である」


国を愛し、自分の勤める銀行に忠誠を尽くしたワインバーグは、当時の主要財界人のほとんどと親しい関係にありました。 

三つ揃えのスーツを着こなし、ベストのポケットから金鎖をのぞかせた彼は、自分が叩き上げでのし上がってきたことを大きな誇りにしていました。 


トップレベルの商談などで、子難しい言い回しが続くと、彼は得意の平易な言葉に流れを変えようと、皮肉っぽくブルックリン訛りで、 

「私はブルックリンの公立第十三小学校しか出ていないものですからね」 と言うのが常でした。 

シドニー・ジェームズ・ワインバーグは、ささやかな酒の卸業を営む移民、ビンカス・ワインバーグの11人の子供の3番目に生まれました。 1881年に生まれ、ブルックリンで育ち、公立第13小学校で教育を受けました。 

彼は生涯、この小学校に愛着を持っていました。 ホレーショ・アルジャーの物語に出てくるような苦学生のように、彼は10歳のときから働き始めました。


マンハッタン島とブルックリンを往来するフェリーの発着場所で新聞を売ったり、蠣の殻を剥いたり、婦人用の帽子屋のために鳥の羽を運んだりして生活を支えました。 

13歳のとき、夏休みの間に証券会社の使い走りとして雇われましたが、一つの職だけでは飽き足らず、一社でしか働いてはいけないという古くからのしきたりを破って、彼は他の二社でも同様の仕事を得ました。

銀行の窓口係がこれを見つけたために、ワインバーグは三つの職を一度に失ってしまいました。彼は1906年春、中学を二年で中退しました。それが彼の最終学歴です。



ウォール街での最初の仕事
彼のウォール街での最初の仕事は、1907年の銀行危機のときに、混乱状態に陥ったトラスト・カンパニー・オブ・アメリカの前で行列する仕事でした。 

必死の預金者たちがウォール街で押し合いへし合いする中、彼は銀行の支払い間地口に並んで順番を確保して、5ドルでその権利を売りました。 


その年、もっと安定した職を求めて、彼はニューヨークで一番背の高いビル、43エクスチェンジ・ブレイスの25階建てのビルに行きました。 

エレベーターで最上階まで登り、職はないかと尋ねながら彼は一階ずつ降りていきました。 23階断られた後、ワインバーグは2階にあったゴールドマン・サックスのオフィスにやってきました。

ゴールドマン・サックスの総務部長は、掃除人の手助けとして週3ドルの給料で彼を雇い入れました。 

彼がゴールドマン・サックスで最初に与えられた責任ある仕事は、痰壺を洗い、パートナーのシルクハットにブラシをかけ、パートナーのオーバーシューズの泥をふき取る事でした。 


最初の昇進で、彼はパートナーのオフィスの雑用係になりました。毎朝インク壺にインクを注ぎ、大きなインク壺の銀の蓋を磨きました。 

何年もの間、ヘンリー・ゴールドマンもサム・サックスも彼の名前を知らず、単に「坊や」と呼んでいました。


ポール・サックスのハーレムの自宅に旗竿を配達したときに、ワインバーグは共同経営者の息子と話す機会を得ました。 

ポール・サックはこの若い男に勉強を続けるようにと強く勧め、ニューヨーク大学での講義を受けられるように25ドルを手渡しました。


「ポール・サックスは私を人間としてまともに見てくれた、最初のパートナーだった。彼の指導を受けるまで、私はひどいわルガキだった。頑固で未熟でね」 とワインバーグは後に語っています。


ポール・サックスは、ハーバード大学で教職につくために会社を去った後も、ワインバーグ一家と付き合いを続けました。 

ワインバーグの2人の息子がハーバードで学んだとき、彼はしばしば2人をケンブリッジの自宅に食事に招いています。


ワインバーグはユーモラスに本音を語り、世間の目を気にすることはありませんでしした。 「畜生呼ばわりされなくては一人前と言えない」と彼はよく言ったものでしした。

高等教育に大いなる敬意を払ってはいたものの、教育が知性を授けない事を彼は見抜いていました。 

どうも感心しない社員がいると、瀬尾関優秀な学生しか入会を許されないアメリカの大学のクラブ祖意識、ファイ・ベータ・カッパのクラブハウスの鍵を質屋で買い込み、


「ほら、オツムのいい坊や。これが役に立つかもしれんぞ」と茶目っ気たっぷりに言いながら、その社員に手渡したのでありました。 

第一次世界大戦の間、ワインバーグはゴールドマン・サックスを離れて海軍に入り、料理人となってヘンリー・ゴールドマン二世の船に乗り込みました。後には、海軍諜報部で荷物検査部門に移動しています。


戦争が終わると、シドニーはすでにゴールドマン・サックスを離れていたヘンリー・ゴールドマンに仕事はないかと尋ねました。

彼はヘンリーこそがゴールドマン・サックスを支えた天才だと信じ、彼が新規事業を手掛けるのなら何か手伝いたいと考えていました。 

ヘンリーは投資銀行業務を再び手掛けるつもりはなく、ゴールドマン・サックスに戻る方が君の将来は明るいだろうとワインバーグを諭しました。


ワインバーグは彼の忠告に従い、CPの営業員として週28ドルの給料でもどることにしました。 

徐々に彼は責任ある仕事をこなすようにり、1920年にヘレン・リビングストンと結婚した時には、年収5000ドルを稼ぐまでになっていました。 

ヘレンとシドニーの間には2人の息子が生まれました。 2人とも後にゴールドマン・サックスのパートナーとなっています。


シドニーは、企業金融部門で働くようになると、彼の財務に対する炯眼(けいがん)が次第に表面に現れてきました。 

やがて、彼は引受のシンジケート団を組成し、新規発行証券の値決めをし、トレーディングを管轄するようになりました。 

1927年、35歳のとき、ワインバーグは、ゴールドマン・サックスのパートナーとなりました。 入社後20年のことです。







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