ロシア軍のウクライナ侵略を支持するロシア正教会のキリル総主教(2023年1月6日、モスクワで)=ロイター
ウクライナ侵略を続けるロシアで一風変わった裁判が開かれた。
裁くのが聖職者なら、裁かれるのも聖職者。ロシア正教会で相次ぎ造反する反戦派への教会裁判だ。4月初め、ネット上に流出した裁判のやり取りは、ウクライナ問題の根深さを浮き彫りにしている。
裁判の時期は2023年末、場所はロシア中部の小さな都市。被告はグリゴリー司祭(仮名)。正教会の規律委員会に属する高位聖職者らが裁く側に立った。
裁判の音声は、反戦派聖職者を支援する団体「全ての人に平和を」が公表した。
グリゴリー司祭「勝利の祈願は、ある正教会のキリスト教徒が全く同じ教会の正教徒を殺すことになります」「神の言葉のなかにその根拠はないと思う」
「聖なるルーシ」は侵略開始から半年あまりたった22年秋、ロシア正教会のトップであるキリル総主教が定めた。
ルーシとはロシアやウクライナなど東スラブを指す古名だ。各教区はこの祈りを読み上げるよう指示された。
反戦派の聖職者、少なくとも19人が処罰
ところが、「聖なるルーシ」の祈りを拒否する反戦派の聖職者が後を絶たない。「全ての人に平和を」によると、少なくとも19人が処罰を受けた。奉神礼を執り行うことを禁じられたり、僧位を剝奪されたりした。
争点となった「聖なるルーシ」の文句を引用してみる。
この祈りは侵略に直接言及していないが、侵略後に定められたことを考慮すれば、グリゴリー司祭が反発するのも無理はない。
ロシアの勝利を祈ることは、同じ正教徒であるウクライナ人との殺し合いを勧めるのと同じだとみなしても当然だ。
米欧も侵略の当初から、戦闘をあおっているとしてロシア正教会を厳しく批判してきた。独裁者のプーチン氏に取り込まれ、その手先となった正教会は「テロ組織だ」――。そんな声さえ聞こえてくる。
侵略への加担、秘められた動機も
だが、敵対する西側のこうした見方や批判は表面的で、政治的側面を持つこともまた否定できない。なぜロシア正教会が侵略に加担するのか。
この教会裁判では秘められた動機も語られている。原告の正教会幹部はこう主張する。
東方正教会は、西側のローマ・カトリックなどが信仰をゆがめてきたと批判し、自分たちは古来、正しい信仰を守ってきたという強い自負を持つ。
東方正教会のなかでロシア正教会は特にそうだ。ロシアが東方正教会を保護していたビザンチン帝国の継承国を自任し、最大の正教国家になったことと関係している。
そのロシアのツァーリ(皇帝)は信仰を守護する使命を担い、長い歴史のなかで欧米のキリスト教国家や異教徒の「悪」と戦ってきたという。
そうした「聖戦」では、ロシア正教会はつねに信仰を守る兵士を祝福し、勝利を祈ってきた。
さらに、ロシアの戦いは「聖なるルーシ」で語られるように、「一つの民を分裂させ、破滅させたい者たちの戦いだ」と歴史的に位置づけられてきた。
ロシア正教会にとって「分裂」という言葉が持つ意味も重い。
1054年、東西の教会が分裂した。旧ソ連期にはロシア正教会が国内と在米の組織に分裂した。2019年にはカトリックとの歴史的争いの最前線となってきたウクライナの正教会がロシア正教会からの独立を果たした。 ゆえに「分裂」は許されない。
5月7日、プーチン氏はモスクワのクレムリンで5期目の大統領就任式に臨む見通しだ。終身の国家元首の地位さえ視野に入れた同氏が事実上の「ツァーリ」となり、ロシアはますます伝統的な帝政に回帰することになる。
プーチン氏と保守派の政権幹部はみな正教徒だ。今後は米欧との対立が一段と激化し、正教国家を守護するとの使命をさらに強く意識するだろう。歴史的な「分裂」を阻みたいロシア正教会との共闘関係も深まる。根深い宗教対立と結びついた狂信的な侵略を止めるのは難しい。