パークウエイを出て、神護寺へ行く。
駐車場に車を停め赤い橋を渡る。
川は清滝川。水遊びの家族連れがいる。橋の手前にパークウエイの駐車場から徒歩で下りれる道もあるようだ。
参道は石段が続くが、途中に茶店があったり、鞍馬西口に比べれば平和なものだ。
金堂
神護寺の創設には和気清麻呂がかかわったらしく、墓もある、とは備前和気の資料館で知った。
清麻呂は御所の西側、烏丸に面して護王神社にも祀られている。猪の像がたくさんあった。ここ神護寺には猪はいないようだ。
清水には坂上田村麻呂がいたが、京都北西の神護寺、南東の清水寺、平安初期の文武の守護神だ。
清麻呂墓
神護寺には空海が入り栄えたらしいが、その後衰え、12世紀末の文覚により再興する。平家物語に勧進に後白河の所へ押しかけて暴れ、伊豆へ流される文覚が描かれる。続いて頼朝との邂逅、となるが、この文覚、物語の中では不死身でほとんど妖術使いである。文覚もまた武家の出身で元の名を遠藤某という。上西門院に仕え、平治の乱前に頼朝とは面識があったらしい。
金堂脇の不動明王。平家物語の文覚荒行で那智の滝に打たれる文覚を不動明王の弟子の童子が助ける場面がある。
金堂裏手にある多宝塔
大師堂 鎌倉期の建物だそうだ。ここ以外の神護寺の建造物は全て江戸時代以降だ。応仁の乱で焼失したという。市中を焼いただけでなく、こんな山の中でも戦乱に巻き込まれていたのかと思うが、神護寺のすぐそばを国道162号線が走る。京都御室と若狭小浜を結ぶ道路だが、周山街道とも云う。古くからの街道だったのだろう。街道沿いの小高い山は砦・城が築かれ、攻防戦があるのは合戦のセオリーかもしれない。このような寺は立派な陣地になったことだろう。
毘沙門道脇、奥石段の上金堂