福井市街地から158号線で東へ向かい、右折し天神橋で足羽川を渡る。左手に直ぐあさくら水の駅だ。道なりに行くと一乗谷朝倉氏遺跡博物館がある。
観光客の大半はこのルートで遺跡に入る。
遺跡はここから南へ一乗川に沿って続く。敦賀方面から高速道路利用でも、ナビは福井IC から天神橋経由の道を示すはずだ。
一乗谷は南北に細長い谷だ。その谷の南北に城戸を設け、城戸の内を守る一種の城塞都市だ。北のものを下城戸といい、南は上城戸だ。上下は都からの近い方を上というから、京都に近い南が上だ。北陸道を北上してくると、鯖江辺りで東へ入り大味を通って谷に入るのが最短距離だ。しかし物資の輸送などは三国湊との水上輸送が大きかったのだろう。下城戸が当時もメインルートだったのではないか。
下城戸は実際、近世の城の虎口を思わせるほど勇壮だ。
越前の中世は石の文化だといわれる。発掘された平泉寺南谷の遺構が象徴する。
朝倉遺跡の朝倉舘跡や復元町屋敷などではそれを感じない。諏訪御殿址・湯殿庭園・南陽寺庭園址には巨石の遺構があるが、庭園址なので威圧感はない。ところが下城戸は十分に威圧的だ。巨石の虎口は効果的だ。比較的近いのは下城戸の更に北の光照寺址の石組みだろうか。
南陽寺結界石
上城戸は土塁だ。しかも後世の改変が著しい場所らしい。しかし巨石の石組みはなかったのは確からしい。
上城戸から北、復元街並み方向