「内臓」と「こころ」とは、密接な関係があります。
まず、人体の機能を支配・統制するものを「神気」といって、さらにそれがおさまっている五臓によって分類されます。
※ 心は神を蔵す。肺は魄を蔵す。肝は魂を蔵す。脾は意を蔵す。腎は志を蔵す。
☆心におさまっている神が、この中の最上位にあって、他を支配しています。
神は、生命活動そのものであって、この神が安定していれば、心身ともに
健康であるということになります。
☆肝におさまっている「魂」は、「神」に随って往来するもので、いわゆる
「こころ」と密接に関係のある「たましい」に近い意味のものになります。
肝は、判断力や計画性などの精神活動を支配しています。
☆肺におさまっている「魄」は、「精」と並んで出入りするもので、いわゆる
「本能・肉体」と密接に関係のある「たましい」に近い意味のものになります。
肺が充実していると、「気(狭義の意味の気)」が充実してきます。
☆脾におさまっている「意」は、実際に「思ったり」「おぼえたり」するもので、
「記憶」や「思考」と密接に関係のある「こころ」になります。
脾の働きの衰えと、全身倦怠感や無力感などは密接に関わっています。
☆腎におさまっている「志」は、「意」の存するところで、日本語の「こころざし」
に近い意味のもので、目的をもって思ったり、思いを持続させる「こころ」に
なります。
腎は生命力の源となるエネルギーを貯めておくところのようなものです。
腎の働きは、免疫力、生殖能力、老化現象にも深くかかわっています。
「元気の源」、「基礎活力」でもあり、「根気」のあるなしにも関係します。
「神(神魂魄意志)」が「情動(喜怒哀楽)」を統制していて、「神」が充実して健全に働けば、情動が人の心を乱すことはないのです。
「神(神魂魄意志)」に乱れがあると、「情動(喜怒哀楽)」のままに動いて人の心を乱して、それがまた「神(神魂魄意志)」を不安定にします。
結局、生命力そのものが旺盛であれば心身は健康ということで、「からだ」と「こころ」はひとつ、ということにもなりますね。
まず、人体の機能を支配・統制するものを「神気」といって、さらにそれがおさまっている五臓によって分類されます。
※ 心は神を蔵す。肺は魄を蔵す。肝は魂を蔵す。脾は意を蔵す。腎は志を蔵す。
☆心におさまっている神が、この中の最上位にあって、他を支配しています。
神は、生命活動そのものであって、この神が安定していれば、心身ともに
健康であるということになります。
☆肝におさまっている「魂」は、「神」に随って往来するもので、いわゆる
「こころ」と密接に関係のある「たましい」に近い意味のものになります。
肝は、判断力や計画性などの精神活動を支配しています。
☆肺におさまっている「魄」は、「精」と並んで出入りするもので、いわゆる
「本能・肉体」と密接に関係のある「たましい」に近い意味のものになります。
肺が充実していると、「気(狭義の意味の気)」が充実してきます。
☆脾におさまっている「意」は、実際に「思ったり」「おぼえたり」するもので、
「記憶」や「思考」と密接に関係のある「こころ」になります。
脾の働きの衰えと、全身倦怠感や無力感などは密接に関わっています。
☆腎におさまっている「志」は、「意」の存するところで、日本語の「こころざし」
に近い意味のもので、目的をもって思ったり、思いを持続させる「こころ」に
なります。
腎は生命力の源となるエネルギーを貯めておくところのようなものです。
腎の働きは、免疫力、生殖能力、老化現象にも深くかかわっています。
「元気の源」、「基礎活力」でもあり、「根気」のあるなしにも関係します。
「神(神魂魄意志)」が「情動(喜怒哀楽)」を統制していて、「神」が充実して健全に働けば、情動が人の心を乱すことはないのです。
「神(神魂魄意志)」に乱れがあると、「情動(喜怒哀楽)」のままに動いて人の心を乱して、それがまた「神(神魂魄意志)」を不安定にします。
結局、生命力そのものが旺盛であれば心身は健康ということで、「からだ」と「こころ」はひとつ、ということにもなりますね。