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続き→“It”(それ)と呼ばれた子

2004-10-21 22:43:37 | 読書感想文
話してしまえば本当は楽になるだろうけど、話せないこともあるのでしょう。
身体も同じです。
患者さんの身体をみていて思うこと。
身体が緊張していて、邪気(身体が不必要と認識するものの総称)をためこんでいるとき。
コリや、スジの張りもひどいものになっています。
鍼で、一番弱ったところを補ってあげると、フッと身体が緩んで、どんどん邪気が排出されていきます。
具体的には、汗や油、呼吸の二酸化炭素、おしっこやうんちとして、邪気は排出されていきます。
安心できる場所でないと、話せないことというのもありますよね。
身体も、弱った部分があるからギリギリの緊張状態を保つしかないという時があります。
強制的に吐き出すことは、エネルギーを使います。
でも、弱ったところに、ちょっとエネルギー(氣)を補うと、吐き出す力が出てくるのです。
悪いもの、邪気をためこむと、内蔵を攻撃してしまいます。
心もそんな感じなのでしょう。
優しさをちょっと与えてあげると、ためこんで話せなかったイライラも、もし言葉に出して吐き出さなかったとしても、うまく何かに変換して排出してしまうことが可能なのではないでしょうか。
本当に弱っている人は、話したい、吐き出したい、という気持ちも起こらないものです。
鍼で治療していても、身体がすっかり弱っている人は、邪気が排出されません。
ひたすら、「氣」を吸収していく感じです。
そんな治療を繰り返すと、邪気が浮き上がってくる感じになります。
そういうときは、好転反応のように、何か症状が現れることもあります。
本当に弱っていると、症状を出す力もなかったということなのですから。

「北風と太陽」のお話。
風がいくら冷たい風を強く吹いても、ある男にコートを脱がせることはできなかった。
でも、太陽が暖かい日差しを降り注ぐと、ある男は、コートを自分で脱いでしまった。

優しさを与えるほうが、実は問題が解決に向かうのは簡単なことなのではないか。
身体も、いらないものをたくさんためこんでいたとしても、補ってあげる方が簡単に身体の自然治癒力が作動する。
相手がそういう「力」を持っているのだ、ということを、「信頼」するということが前提にあるのではないかと思ってはいますが・・・。



“It”(それ)と呼ばれた子

2004-10-21 21:51:25 | 読書感想文
4冊一気に読みました。
児童虐待経験のある作者の話。
虐待される子どもに罪がないのは当然だけど、家族の秘密を守るために、愛されたいがために、救いを求めることができない。
自分が悪いのではないかという罪悪感も持ってしまう。
救い出されて保護されてから、里親や周りの温かい人々とのふれ合いによって、憎しみの連鎖から抜け出すことができた作者。
でも、なぜ虐待されたのか、という疑問は残り、母親と対決。
「声」が気にさわった、というささいなことがきっかけだったという事実がわかる。
もちろん、アルコールが原因ではあるけども。
母親もまた、虐待の経験者だったという事実。
作者が、虐待の連鎖を断ち切ることができたのは、もちろん本人の努力と、本人のたくましさと純真さなのだとは思うけども、周りの優しさに触れることができたからだということは大変大きなことなのでしょう。
イライラを解消するために、弱い子どもが犠牲になってしまう事実。
もし、母親も、周りの優しさに触れることができたら・・・そして、周りの優しさに心を解放することができていたなら・・・ここで虐待の連鎖も終わっていたのかもしれない。