昨晩TMC(Turner Movie Channel=ターナー・ムービー・チャンネル:CNN創業者ターナー氏の作った数々の放送局の一つで、主にクラッシック(中古も含む)映画を流す)で、結婚前の夫と大学街にある劇場で観た、”The Goodbye Girl"を久々に放送していた。DVDもあるのだが、つい惹かれてそのまま洗濯物を畳みながら、見入った。何度観てきたことだろうか。その度に初回の劇場での感激を思い出す。脚本家のニール・サイモンの傑作、この話が好きだ。軽快な台詞回し、卓越な演技、そして最後に流れるブレッドのデイヴィッド・ゲイツの同名の歌も好きだ。
映画の中の1970年代は、私の1970年代を思い起こさせ、つくづくと、「なんでもポケット」のあるドラえもんが隣人だったら、と思う。そうしたら、その時代に1時間でも戻らせてくれるかもしれない。ただ感傷的なセンチメンタル・ジャーニーというところ。Covid-19など知らなかった時代に、戻ってみたいのかもしれない、ほとんどの人々が願うように。
ところが日曜の午後、いつものように孫たちとじゃれている時、ドラえもんにお手数をかけなくとも、「なんでもポケット」がなくとも、手軽に得られる小さな幸福の素がある、と気が付いた。
それは何の費用もかからず、何か多くを生み出す。 それは与える人々を貧しくすることなく、受け取る人々を豊かにする。
それは瞬時に起こり、その記憶は時には永遠に続く。
それがあるからとて金銭的に豊かというわけではないが、それなしでうまく行くわけでもない。
それは家庭に幸せを生み出し、仕事に善意を育み、友人の合言葉でもある。それは疲れに休息をもたらし、悲しみや落胆に昼の陽光のような明るさをもたらし、そしてトラブルに対する自然の最高の解毒剤のようである。
それでも、それを買う、物乞う、借りる、または盗むことはできない。それは与えられるまで得られない。それをふんだんに他の人に与えられない人には、おそらくなかなか得られない。
「それ」とは笑顔である。
微笑み
痛む心でも微笑み
壊れかけている心でも微笑み
空が曇っていても
やり過ごせる
もし微笑めば
恐れと悲しみがあっても微笑めば
きっと明日太陽が輝いてくれる
あなたの顔を喜びで明るくしてくれる
悲しみの跡を隠してくれる
たとえ涙が溢れそうだとしても
そんな時こそ挫けないでやってみて
微笑んで、泣いても何にもならないのだから
人生はまだ捨てたものじゃないと気づくだろう
もしただ微笑めば
なかなか微笑むことも大人には大変な世情ですが、よそのお子様方でも目にするたび、その笑顔があまりに可愛らしくて、ついこちらも微笑んでしまいます。天与のものだと思います。
子供の笑顔に癒しを得てばかりいて、じゃあ、大人はこの子たちに何ができるだろうかと考えることしきりです。特に山火事が多発するこちらでは、外で、自宅の庭で、遊ぶことさえままなりません。対面クラスもなく、他のお子さんとインタラクトして遊ぶこともできず、もうすぐ6歳の孫は、もともと繊細でしたが、このところ長引く自宅学校や閉鎖、閉鎖の連続で、だいぶストレス気味に見えます。両親や私たちもなんとか子どもたちが毎日何かに夢中になれるように苦心しています。それがとても不憫です。家の中でできるビーンバッグを標的に当てるゲームや、宝探しやら、私自身が育児時代にしたことを思い出しながら、あれこれ試していますが、やはり同じ年頃の子供たちとの接触は、とても大切ですね。
100万ドルの数字は意味がなく
最高という意味かな
癒されますね
「微笑み」の詩も素敵です
お子さまの笑顔を見ていると嫌なこと忘れますね。
ままちゃん、お幸せですね