ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ある愛の物語 その2

2021-05-04 | アメリカ事情
ルイス・ムーアと妻のネリー:「彼女が逝った後、結末を書かねばなりませんでした。」とルイスは回想記に書いている。ネリーは昨年10月に亡くなった。
写真:ルイス・ムーア
 

 

 

ムーアは戦争についてはあまり語らない。

そんな彼が話すのが好きな数少ない話題の1つは、ブルックリンの自宅に居た軍務休暇時の話である。彼はチョコレート配給券で母親のために買おうとキャンディショップに行き、通りにまで伸びる長い列の終わりに並んだ。

ある男性は列の終わりで順番を待つ軍服姿の彼を見て、列の前へ引っ張って行き、従軍兵士たる者チョコレートを買う順番を待つ必要はないと言ったのだった。彼が買い物を済ませて店を出てきたとき、そこに並んでいた人々みんなが彼に拍手して敬礼してくれた。

「人々は私を王族のように扱ったのでした」と彼は言った。

ムーアは1946年4月に退役した。しかし、6月1日に例のコーヒーショップでネリーに会うまで、自分の人生は実際に始まってもいなかったと彼は言う。

「私はそれから2日目になるまで彼女にキスをしませんでした」と彼は言った。 「私はそんなに長く待たなければなりませんでした。」

 

第二次世界大戦のベテラン、ルイス・ムーア(98歳)は、ランキャスターのアメリカ在郷軍人会311での自著のサイン会にて、ベトナム戦争ベテランのトーマス・クリストナーを感謝の握手をしている。(ゲイリー・コロナド/ロサンゼルスタイムズ)

 

彼の両親は、日本を米国の敵と見なし、彼が日系アメリカ人女性と結婚したことに激怒した。

両親が息子を家から追い出した後、彼はネリーと一緒に彼女の家族が住んでいた南カリフォルニアに引っ越した。彼は彼女の両親も二人を避けてしまうのではないかと心配した。

「突然、147cmくらいの身長で、40キロほどの小さな女性が突撃するかのように、まるで戦闘隊長のようにこちらに向かって歩いてきたのでした」と彼は義母に会った時のことを彼の本に書いた。彼女は「私のことを長い間見つめていました...ついに、彼女は笑みを持って破顔したのです」、そして彼らは抱きあった。ネリーの母親は喜びの涙を流していた。

何年もの間、ムーアと彼の妻は貧しかったが幸せだった。彼らはレストランやテレビチューナーを製造する製造工場で一生懸命働いた。

1950年代後半までには、二人は家を買うのに十分な資金を節約し貯めた。二人はサンフェルナンド・バレーの新しい住宅開発地にネリーが気に入った場所を見つけたが、当時アジア人には容易に不動産を売らないことが多かったので、そこを手に入れられないのではないかととても心配した、とムーアは書いている。

それで、ネリーが働いていた中華料理店の顧客の一人で友人になった人—白人男性—が、その家を買い、二人に売ってくれた。隣人は夫婦がアジア人だったのでそこから二人に転出してもらうための請願書署名活動をした。しかし、二人はそこにとどまった。

夫婦はしばらくの間ワシントン州に住み、そこで中華料理店を開き、その後ロサンジェルスに戻ってネリーの家族の近くに住んだ。 ネリーは、エンジニアリング会社で人事部長まで務めた。ルイスは経営コンサルタントだった。

彼らは自分たちは決して自己主張してこなかったので二人の顔には皺がない、と好んで言ったものだった。ルイスは毎日ネリーに愛していると言い、ルイスは夫婦で署名しなければならない書類などでは、いつもネリーに最初にサインさせたものだった。

6年前、ネリーは、認知症のために老人ホームに入所するために夫婦の家から越した。ルイスは、パンデミックでネリーのいる施設が訪問客から閉鎖してしまうまで、毎日彼女を訪問した。それからは彼は月に一度、彼女の部屋の窓の外に座って彼女の顔を見に来ていた。彼は毎日彼女に電話して、彼女がいなくて寂しいと言った。

ルイスは去年夏に回想記を書き始めた。彼の手はその年齢によって弱まっていたので、近くの町クォーツヒルの友人であるステイシー・アルヴイが、彼の話を筆記することになり、数日おきにルイスのアパートにやって来た。

「最初はCOVID−19のせいで訪問を私は躊躇していましたが、ルイスの妻が老人施設に入所していて彼が寂しいことはわかっていました」とアルヴイ氏は語った。 「私たちはマスクをして、遠く離れて座りました。」

ルイスは何よりも、ネリーが家に帰ってくることを望んでいた。

「私は回想記を完成させたかったのです。ネリーと私がカウチに座って、コーヒーテーブルに足を上げて、腕を組んでその本を二人で一緒に持ちながら、読みたかったからです。でも、それは起こりませんでした。」

10月、ネリーは亡くなった。彼女は98歳だった。

ルイスは最後にもう一度彼女に会いたくて施設に急いだ。彼がネリーの体に寄りかかったとき、彼女の目にある涙を見て、彼女がまだ生きていると叫んだ。しかし、それは彼の落とした涙だった。彼の涙は彼女の顔に落ちていた。

「彼女が亡くなった後、私は回想記の結末を書かなければなりませんでした」と彼は著書にサインしながら言った。 「私は新聞の訃報欄のために彼女の死亡記事を書かなければなりませんでした。私はそれがいやでした。本当にいやでした。」

彼は頭を少し下げ、「第二次世界大戦のベテラン」と書かれた帽子をかぶった。

「すみません」と彼はそっと言った、彼の声は感情にとらわれていた。

「彼女は...私を愛していました。そして私は彼女を愛していました。」

ルイス・ムーアは今、毎晩一人でその回想録を読んでいる。

ネリーは荼毘に伏され、そして彼もそうされたいと思っている。彼は二人の遺灰を混ぜ合わせて、二人が再び一緒になることを望んでいる。

 


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