ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

家族との時間

2018-07-29 | アメリカ事情

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21年の結婚の後、私の妻は私に、別の女性を夕食と映画に連れて行ってほしいと言った。「私はあなたを愛しているけれど、この他の女性もあなたを愛し、あなたと一緒の時間を過ごしたいのを知っているの。」


その他の女性とは、19年間未亡人であった母だが、仕事が忙しいのと3人の活発な子供達がいることにかまけて、そう頻繁に彼女を訪れることができないでいた。その夜私は彼女に電話をかけて、夕食と映画のために一緒に外出しようと話した。 「どうしたの?なにかあったの?」と母は尋ねた。


母は、深夜の電話や思いがけない招待状がほぼ悪いニュースの兆候であると疑う女性のタイプである。 「おかあさんと二人で一緒の時間を過ごすのが楽しいかと思ってさ。」と私は答えた。 「私たち二人だけ?」と、母はしばらく考えていたようだったが、「楽しみにしているわ。」と言った。

 
金曜日の仕事の後、私は母を迎えに母の家まで運転したが、自分はちょっと緊張しているなと感じた。母の家に着いた時、母も私とのデートに少々緊張しているようだった。母はコートを着てドアで待っていた。父との最後の結婚記念日を祝うために着用したドレスを着て、髪をカールしていた。母は、天使のように輝く顔をして微笑んだ。 「息子と一緒に出かけるのよ、と友達に話したら、みな感動してたわ。」と母は言いながら車に乗った。 「私たちのおでかけについて聞くのを楽しみにしているの。」


私達は、エレガントではないが、とても素敵で居心地の良いレストランに出かけた。母は、ファーストレディのように私の腕に手をかけた。テーブルに着席後、私はメニューを母のために読んだ。老眼の進んだ母の目は大きな印刷物しか読むことができなかったのだ。メニューの途中で、私は目を離し、母が私を見つめているのに気が付いた。母の唇にはノスタルジックとも言える笑みが浮かんでいた。 「私も小さなあなたに、メニューを読んだものよ。」と彼女は言った。 「それじゃあ、今度はおかあさんがリラックスして私に恩返しをさせる時ですよ」と私は答えた。食事中、私たちは会話を楽しんだ - 何も特別な話ではなかったが。お互いの人生の最近の出来事についてそれぞれ話したのだった。そしてあまりに話を楽しみすぎて、とうとう映画を見逃してしまった。母を家に送り届けた時、母は言った。「おかあさんは又あなたと一緒に外出するつもりよ、もしあなたが私に招待させてくれるならばね。」 私はそれに同意した。


「デイナーデイトはどうだったの?」私が帰宅すると、妻は尋ねた。 「とても楽しかったよ。想像していたよりずっと多くのことを話したし。」と私は答えた。


数日後、母は大きな心臓発作で亡くなった。あまりに突然に起こったので、私は母のために何かをするチャンスもなかった。しばらくして、私は、母と食事をしたレストランからレシートのコピーを添付した封筒を受け取った。添付されたメモによると、「この請求書は、事前に支払ってあるの。私はそこにいないだろう、と確信してるけれどね。それでも、二名の食事代を支払ったの。一人はあなたのために、もうひとりはあなたの妻のために、よ。 あなたは、あの夜が私にとってどんなに意味があったか、決して分からないわ。おかあさんはあなたを愛していますよ。」


その瞬間、「私はあなたを愛している」と言い、愛する人にふさわしい時間を与えることの重要性を理解したのだった。人生においてあなたの家族よりも重要なものはなにもなく、家族にふさわしい時間をあげるのを「いつか別の機会」まで延期することはできないのだ、と。


2008年10月14日 ”スティヴン”が、https://academictips.orgに寄せたコメント



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