ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ルカの教え

2017-12-20 | アメリカ事情

http://becomingminimalist.com/wp-content/uploads/2013/03/own-less.jpg

 

アメリカでも、その名を馳せる”コンマリ”さんの著書を読むことなく、私達は、断捨離が人生に必要であるとわかっている。感謝して断捨離することもわかっている。それでもでき難いのは、人間だからだろう。 所有物のあれにもこれにも、どっさりと思い出が付いている。シンプルに、なんとか簡潔に生きたいと願うのが、大半のひとびとの願いだと思う。系図研究家の私にとって、古い書簡や書類は、大切だが、それとて、あちらの世界へは持っていけないとわかっている。

 

物ではなく、これが金銭だとしたら、あちらへ持っていけなくともその前に必要なひとびとに分け与えられるし、有意義なことに使えそう。もし私がそんな富を持っていたとしたら、まず二百万ドルは、子供達のお世話になったオーケストラに寄付したい。国境なき医師団にも三百万ドル。小児癌や、子供の火傷治療に多くの尽力をつくしているセイント・ジュード病院やシュライナー病院にも二千万ドルづつ、白血病・リンパ癌研究団体にも二千万ドルづつ、そしてSociety for the Prevention of Cruelty to Animals(SPCA)動物保護団体へも。。。などと夢が膨らむが、残念ながら、まだ私はお金持ちにはなっていないし、この先も絶望的にチャンスはない。できる範囲の寄付で我慢しなくては。。。


http://augustinecollective.org

 

今日は、12月20日、クリスマスカレンダーは、"A man's life consisteth not in the abundance of the things which he possesseth." ルカ伝第12章15節 「たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである。」

 

物欲(金銭欲)は、時に人生でなにが一番大切かを見失わせるほど、人を魅了するが、自分にとって何が大切で、それなしに、生きられないのは何かと問われれば、おそらく多くの人々は、それが家族であると答える。 かつてデイヴィッド・O・マッケイは、1924年、「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない。」 ”No other success can compensate for failure in the home."と言ったが、その言葉に同意する人々は多い。


 

http://www.cafdn.org

 

最初の子供が生まれた時も、五番目の子供が生まれた時も、この世の数年間、私がごとき者に、母親としてその大切な命を託されたのだという崇高な気持ちを抱かされた。悪さをしても、叱った後には、いつもひとりひとり抱きしめて、どれだけ「あなたを大切に思い、愛している」のかを話した。子供達のためなら、我が身を引き伸ばしに伸ばして、できないだろうことも、できるように努力して、私自身も一緒に成長してきたようなものである。その子供達が私の宝だろう。


世の中には、自身の子供を持てない人もいる。私の姉の一人がそうだ。その苦労は、とても私には計り知れない。 失望、絶望、悔しさ、悲しさは、一重ではなく、簡単でもない。 その姉にとって世の中で一番大切だったのは、去年亡くなった夫だった。そして彼のいない今、自分を必要とする動物たちに最大の愛を注いでいる。動物保護団体にもお手伝いの手を差し伸べている。そしてある人には、両親や、兄弟姉妹、祖父母、親戚、友人の誰か、かもしれない。 


https://media.deseretdigital.com

 

大切な人へ、あなたはどのようにその感謝を伝えますか? ただ一言「ありがとう」は、ずいぶんと心に深く浸透し、その人に笑顔を持たせられるかもしれません。 クリスマスまで、あと五日。 心に響くギフトは、お金がかかることではないのです。

 

 

 

 


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3 コメント

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Unknown (はちきんイジー)
2017-12-20 10:52:14
義母が昔 彼女の教会では収入の1割を寄付にあてるように勧めている話をしていた事が記憶に残っています。
お金はいくらあっても使う事を知ると十分でなくなりますよね

この恵まれた国で生活する私たちの暮らしは
毎日を生きるだけで充分なものと思われます

健康で働くことが出来るなら 収入を得る仕事をし
寄付に回すと良いのですよね
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ままちゃんさんへ (のびた)
2017-12-20 16:07:18
戦後すぐ 年越しを迎えられない方のために 救世軍鍋が行われていました
暮れの名物詩でしたが 今はありません
盛り場の駅に 善意の小箱がキリスト教会の人たちが取り付けていましたが 心無い人が盗み去ることもあって これも無くなりました
初詣などにお参りするする習慣も 時代に継いで欲しい
習わしです
でも これも自分が健康に生きている 穏やかな日を送っている この感謝の祈りであってほしいです
家内安全 各種の願いも自然ですが 感謝の心があれば世の中も平和になって行きますね

断捨離 残された子どもたちにとっては ただのゴミ 片づける 業者に依頼する 手間も含めて大変なことです
ようやく その気になって少しづつ進めていますが遅々としてはかどりません
使える 勿体ない 想い出がある これが足を引っ張ります(笑)
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コメントありがとうございました (ままちゃん)
2017-12-21 08:01:47
Izyさま、

そうですね、お金は有意義に使えば、重宝しますが、欲だけだと、罪を犯したり、とんでもない悪事に発展したり。金銭に対する愛情は、罪ですが、ウォーレン・バフェットさんやビル・ゲイツ夫妻のように、巨額を寄付に投じることは羨ましいです。ははは。


のびたさま、

私は1970年代半ばまで日本にいましたが、確かにその頃でも赤いお鍋の救世軍は、見た覚えがあったようなないような。救世軍はしっかりした寄付の使い道をすると定評がありますが、もう日本ではみかけられないのですね? 神社のお賽銭泥棒のニュースも聞くことがあり、寒い世の中になっていますね。
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