ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

マグノリア

2019-10-15 | アメリカ事情

 Pinterestから。

スティール・マグノリアの花

Steel Magnolia - Urban Dictionary


A woman who posses the strength of steel, yet the gentleness of a magnolia.

外見はマグノリアの花のように愛らしく優しいが、中身は鉄(Steel)のように頑強な芯が一本通っている女性のこと

 

 

 

 

私の母は、世界中で最もたちの悪い母親でした。よその子供たちは朝食にキャンディーを食べましたが、私はシリアル、卵、トーストを食べました。他の人たちが昼食にコークとトゥインキ―*(下参照)を食べても、私はサンドイッチを食べなければなりませんでした。ご想像のとおり、私の夕食も他の子供たちと異なっていました。


けれど、少なくとも私は苦しみの中にただ一人いたのではありませんでした。妹とふたりの兄弟は、私と同じ母親を持っていたのでした。


母は、私たちが常にどこにいるかを知っていると言い張りました。あなたは私たちが鎖につながれた囚人たちか、と思うでしょう。母は私たちの友人が誰で、私たちがどこで何をしていたかを知る必要があると言うのでした。私たちが1時間ほど出かけると言ったら、それは1時間1分ではなく、1時間以内に帰ってくるものだ、と母は言い張ったのでした。それを認めることをほとんど私は恥じていますが、母は実際に私たち(のお尻)を叩きました。一度だけではなく、私たちが気の向くまま、時間を無視して帰宅するとそのたび、でした。息子がただ言いつけに従わなかったというだけで、実際に(お尻を)叩かれる、なんて想像できますか? さあ、これで彼女がどれほどたちが悪かったかおわかりになり始めたでしょう。


最悪の事態はまだです。私たちは毎晩9時までに床に就き、翌朝は早起きしなければなりませんでした。友達のように正午まで眠ることはできませんでした。友達が寝ていられるという間、母は実際に児童労働法を破るような神経を持っていました。彼女は私たちを働かせたのです。私たちは、皿を洗って、ベッドを整え、料理を習うなどというあらゆる種類の残酷なことをしなければなりませんでした。私は母が目を開けて夜眠るのだと信じます。


母は私たちが真実を言い、真実以外の何物も言うことがなく、たとえその真実が私たちを殺したとしても、事実を言うことを常に主張しました。


私たちがティーンエイジャーになる頃には、母はさらに賢く、私たちの人生はさらに耐え難いものになりました。(喜ばしく)車のクラクションを鳴らしながら車を運転するようなことではないのです。恥ずかしいことに、母は妹と私がデート相手に、あるいは友人たちが私たちを誘うならば、その者たちがドアまで迎えにくるようにしました。言い忘れました、友人たちが12とか13いう成熟した年齢でデートしていても、昔ながらの私の母親は私たちが15、16歳になるまでデートすることを拒否しました。15歳だったら、それは学校の催しに年に1回か2回行くということだけでした。


私の母は、母としては完全な失敗作でした。私たちの誰も逮捕、離婚または結婚相手を殴ったりしたことはありません。私の兄弟のそれぞれは、軍役について国に奉仕しました。私たちがこんなふうに育ったのを責めるとしたら誰でしょうか。そうです、あなたがお考えになるように、私たちのたちの悪い母親です。私たちが若い頃見逃したすべてのものをご覧ください! 私たちは抗議パレードで行進したり、暴動に参加したり、(軍の)召集状を燃やしたり、その他友人たちが行なった百万ものことをしたりすることはありませんでした。母は私たちに、神を畏怖し、教育を受け、正直な大人に成長することを強制しました。


こんな背景を利用して、私は3人の子供を育てようとしています。子供たちが私をたちが悪い、と言うとき、私は少し背が高いように感じ、誇りに思うのです。 何故なら、おわかりのように、私は神に感謝しています。神が私に世界中で最もたちの悪い母親を授けてくれたからです。


-NBCテレビ局のKFIから転載


ジャンクフード中のジャンクとも言うべきTwinkies







コメント (2)
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