ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

仕事

2019-04-02 | 考え方

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私は3人の息子の末っ子でした。兄たちは私より5歳から7歳年上で、母と父が家の周りでする必要があった雑用仕事のほとんどを兄たちがこなしていました。私はと言うと、ほとんどの時間を自転車に乗ったり、バスケットボールをしたり、森の中を歩いたり、冬にはストーブの傍で本を読んだりして多くの時間を費やしました。つまり私は多少甘やかされていた、と言うのはかなり控えめな表現になります。私は子供時代をすべて楽しさのうちに過ごし、ひとつも責任をとるなどのことはありませんでした。


私が10代前半に入る頃には、兄は二人とも家を出ていました。父は彼は背中を怪我をしてから、身障者となりました。水と言ったら硫黄臭の井戸水だけで、薪ストーブで暖をとる山頂の家に父母と私は引っ越しました。私はすぐに自分自身が今まで以上に多くの仕事をしていることに気づきました。春に庭を刈り、夏に芝を刈りました。秋に私は来る冬に備えて、薪となる木を運び、薪にしてからそれを積み重ねました。そして四季を問わず、山の泉から家へ、重さ5ガロンの飲料や炊事に使う水を運びました。


最初、私はぶつぶつと、自分に文句を言っていました。しかししばらくして、自分がとても愛していた両親を助けることに喜びを見つけ始めました。木を積み重ねながら自分自身で歌い、水を運んでいる間には微笑みも浮かびました。母を手伝って夕食後の皿洗いや掃除を手伝いました。私はこれからの残りの人生でずっと持ち続けられる何かが芽生えてきたのを実感したのでした:愛を持って働きを終えるなら、それは仕事ではないということです。


あなたのすべての仕事が愛のうちになされますように。あなたがなさる全てのことを、愛をこめてなさり、そしてあなたが愛を持って人生をお過ごしになりますように。神は私たち全員を愛し、このすばらしい生きるという賜物を与えてくださいました。私たちにできることは、できる限り最善を尽くし、最も美しく、そして最も愛情のある人生を作るための努力です。


ージョゼフ・マゼラ

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