Lynda collected many precious items for her hope chest.
2017年8月26日に「希望の箱」と言う記事 で、末娘のHope Chestについて書いた。最近の巷では、婚約、結婚、出産の順序が逆で、ひと昔もふた昔も前の悠長さで結婚を準備する、などは、ほとんどジョークかもしれないが、恐竜ほどは古くはない私は、こうした習慣、忘れられつつある習慣を続けるのが好きな人間である。
先日リンダ・ヴァンダヴァーという方の記事をRD.Comで読み、嬉しくなった。何年経ってもこうした習慣は取っておきたいし、また楽しいことでもある。女性が社会に進出し、結婚の準備など、やってはいられないし、第一何故女性が支度しなければならないの?という風潮があっても、よいものは残したい。以下はリンダ・ヴァンダヴァーさんの思い出。
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何年もの間、女の子が希望の箱(櫃・長持)の伝統に参加し、将来の結婚に備えて新生活のための家庭用品を集めるのは、ごくごく通例であった。私が15歳だった1963年に、私は自分の「希望の箱」を始めた。結婚していた姉のダナが私に彼女の昔の彼氏が木工所で作った美しいハーフサイズのヒマラヤ杉(Cedar=シーダー杉)の箱をくれたのだ。
私たちの未亡人の母親は警察署の通信指令係として働いていたが、その収入はつつましいものだった。私は支出分を稼ぐために、夏休み、放課後、そして土曜日にベビーシッターとして、または叔父のA.O.ジョンストン・クリーニング店で働いた。
1時間に50セントの支払いで、1週間に3ドルから6ドルを稼いだ。毎週土曜日には、妹ティナとふたりでベン・フランクリン(という店)の(品質ランクが)5つ星のところへ歩いて行き、私は自分の希望の箱のために何かを買おうと思った。
私は店に行くたびに、水差しとカラフルなオレンジスライスのプリントで飾られた4つのコップが付いているオレンジジュースセットをどれほど切望して見ていただろうか。しかし、それは持っていたお金以上の値、4.99ドルだった。
その代わりに79セントでセットされたプラスチック計量カップまたは49セントで塩とコショウシェーカーを手に入れたのだった。
時々私はそうしたものを(希望の)箱から取り出して自分のベッドの上に置き、その宝物を見渡してから慎重に又それらを元に戻したものだ。
私の16歳の誕生日に、最後に開けた贈り物はオレンジジュースセットだった!私はとてもうれしかった。後で、妹ティナがそれについて母に話したことを知った。
年が経つにつれて、私はなにかしらを宝物に加えていった。私が18歳の春、シュアウェイ食料雑貨品店では10ドルの購入をすれば99セントの青いヤナギ柄の皿セットを提供していた。私は6名分の設定でセットを購入したところ、母は私にクリスマスのためにとそのセットにあう付属品―コーヒーポット、グレービーボート、クリーマーとシュガーボウル ーを手に入れてくれたのだった。
その陶器皿のオファーが終わると、今度は、シュアウェイは、銀器セットについても同じ条件で提供した。もう一度、私は6名分を集めた。希望の箱がいっぱいになり、私はクローゼットにさらに物を保管し始めなければならなかった!
高校を卒業後、私はタイピストとして仕事を得た。私の女友達の何人かは結婚し、私は希望の箱を「私の希望のない箱」と呼ぶようになった。
しかし1968年2月、私は友人の家でハリル・ヴァンデイヴァーに出会った。私たちはデートを始め、6月に婚約した。私は9月に20歳になり、10月にバプテスト教会で結婚した。私の希望の箱は結局思ったほど絶望的ではなかった!
何年にもわたって使われ続けた箱には,ベビー服、子供の小さな手で作られたスクールペーパーや工作品があったり、ピーナッツバターとジェリーで覆われた指で押し付けられたドライフラワーが入っていた。
2013年10月26日、ハリルと私は結婚45周年を迎えた。ベン・フランクリン店で私がかつて賞賛したグラスの1つに新鮮なオレンジジュースを注ぎ、それを口にする彼のために、私は大きな朝食を作った。
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私は、夫と同様イーグルスカウツとなった三人の息子たちには、高校を卒業した時、下の写真のようなシーダーの工具箱をそれぞれに与えた。その中に、三人は少年時代の記念をたくさん入れている。そのうち家を購入し、家主となった日には、いままで買いためてきた工具を入れることだろう。
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