北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

同じ釜の飯

2016-10-14 21:14:00 | 随想
「同じ釜の飯を食べる」は一緒に生活する意で、家族は当然だが大学生の時は寮生活だった。

信州飯田から、M大学合格と同時に武蔵境にある長野県のS舎に面接を経て入寮した。駅前から歩けば20分位かかるので、通常はバスで桜堤の「公団中央」で下車した。

私が入寮した当時は木造建物が古く、旧館の裸電球で薄暗い10畳ほどの部屋に3人が入った。3隅に机を置き、その上に蛍光灯スタンドを各自用意して勉強をした。

セキュリティーなんぞ無く、泥棒が入り、先輩は財布を盗まれた。
勝手に入れたので、考えたら当たり前だったが、当時は未だ治安が良かった。

寮母さんが住み込みでいるので、朝・夕とも食事付き。風呂は我々が当番を決めて毎日交代で石炭を焚いた。
そこでは4年間お世話になった。様々な思い出があるがここでは省略する。

20年前には、土地を有効活用する為に老人ホームと一体化した「ケアハウス」が出来て、寮生は1人部屋になった。
その竣工記念のパーティーに出席して、久し振りに同僚に会った。

そして又、今年9月舎友会が飯田橋のアルカディアであり、タイトルは「武蔵境再建60周年記念式典」だった。創立では110周年にもなる。

名簿によると過去には凄い人の名もある。同期には会社の社長や弁護士もいる。

さて、当日懐かしい同期や、先輩方にお会い出来た。
1学年上の金田憲治氏は、今年下条村の村長になっていた。
私が下条村でかつて「長野オリンピックにエールを送ろう」と企画された催しで、下条村中学校で尺八演奏をした時に、金田憲治氏にお会いしていた。

小冊子も出来たので、皆さんの近況が良く解る。
私の文章は寮の先輩に尺八出演の機会をいただき、飯田市で初ライブや、稲荷町の龍谷寺での尺八演奏につながったと載せた。

話は変わるが9月30日に調布で飲み会があった。

飲み会は昼12時からなので早めに着き、調布を散策する事にした。もちろんゲゲゲの鬼太郎などの彫像を写す為だった。以前場所が分からなかったが、ネットで調べたところ天神通り商店街に並んでいた。

そこへ行く前に、通りの看板に「大西楽器店」を見つけた。矢印にしたがって歩いて行くとすぐ近くにあり、邦楽専門の箏・三絃・尺八を扱っていた。
尺八は「誠和音芸」銘があり、吹いてみたが私には上手く鳴らなかった。



天神通り入口を見上げると、成るほど鬼太郎は上にいた。











これらの写真は10月14日に再び訪れた時のである。なんでーか?
実は前回のは誤ってパソコンに「貼り付け」失敗して消してしまったからである。


散策後の12時から「調風」で飲み会である。
以前から懇意にしている、尺八で取り持つ縁の飯田高校の大先輩のTAさん(87歳)と、やはり柳井調風氏の弟子である、KA氏の3人であった。



「調風」は調布駅東口を出ると、すぐのところにある。
あらかじめコース料理をTAさんが頼んでいてくれた。どうもTA氏が私の事を吹聴したらしく、KA氏が私に会いたいと言ったらしい。

KA氏は初対面だったが、歳も近くお互い尺八の話で盛り上がり、やはり尺八の話は面白い。(彼は箏まで習っていると言う)
あの曲この曲、あの人この人とバンバン次から次へと話題が出て来る。

酒も進み、料理も美味い。あっと言う間の2時間だった。
名残惜しいので、近くの喫茶店に行き全員暑いのでアイスコーヒーを注文する。

記念撮影は「従業員に写してもらうかな」と私が言ったのを聞いていたらしい、近くにいたカッコいいお兄さんが進んで「撮りますよ」と撮ってくれた。

余りにもカッコいい男なので「俳優かな?」と言ったら、一緒にいて勘定をしていたおばさんが「そうですよ」と言った。いったい誰だろうか。

せっかく撮った写真も、これ又データから削除してしまい残念。ただ一度はパソコンに取り込んで、スライドショーで見たのだが。
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