北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

YouTubeで邦楽

2021-02-08 17:00:00 | 音楽・日々是尺八
YouTubeで邦楽の演奏がかなり増えてきた。
大先生達の貴重な映像などもアップされて、参考になる。

最近、藤本昭子の演奏を見た。かなりの数のアップで全てが素晴らしい。

藤本昭子は人間国宝だった藤井久仁江の娘である。(阿部桂子は祖母に当たる)

特に宮城道雄作曲「春の夜」は箏本手藤本昭子、箏替手塚本徳(めぐみ)、尺八田辺頌山の演奏には感激した。

この曲は名曲中の名曲だと思う。
塚本徳さんはNHK育成会で私と同期であり、私のリサイタルでは舩川利夫作曲「箏四重奏曲」の賛助をお願いしたし、木犀会では岩城弘子さんと共に「春の夜」を演奏した仲だ。

この曲を演奏会にかける時、青木鈴慕先生に習い「暗譜で演奏する」旨話したら、目の色を変え「いつ演奏会だ?」と演奏会に来ていただいた。それ程の曲だ。

田辺頌山は都山流の奏者だが、よく考えた演奏で所どころ琴古流の手である「ウ」を使用して陰にこもった音色を聞かせる。

速いところはチのメリのままで、その使い分けが素晴らしい。

それにしても誰か、尺八の稽古の映像を流してくれると、初心者には分かり易いだろう。

「じゅん散歩」で別府温泉

2021-02-02 16:55:00 | 旅行
1月下旬、テレビ朝日で「じゅん散歩」を見たが、大分別府温泉だった。

以前個人旅行で行ったのだが、詳細を思い出せず大変懐かしくなり、メモ帳を探してみたところ詳しくは書いてない。詳細は多分リポート用紙に旅行記を書いたと思うが見つからない。

メモ帳によると時は元禄いや違う、1991(平成3)年の5月であった。
忘れられないのは会社卒業旅行の九州一人旅であった。少しづつ思い出して書こうと思う。

会社は自己都合により5月10日に退職した。その日は送別会を開いてくれて関係者と2次回まで飲んでいた。

当時は大和市つきみ野に住んでおり、翌日朝早く起き東京駅までは遠かったのでつらかっただろう。朝8時4分発の新幹線ひかりで先ず小倉に向かった。そこから急行で別府に15時20分に着いた。

行きの新幹線や、急行列車、宿泊ホテル、帰りの飛行機はあらかじめ、旅行会社に申し込んでいた。
別府についてすぐに定期観光バスで温泉めぐりを申し込んだ。15時30分発。

著名な七つの地獄温泉をめぐるバスだったが、私を含めて4人だけだった。その内一人は京都大学の教授で名刺をいただいた。

コースは、海地獄、鬼石坊主地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄、血の池地獄、龍巻地獄の7地獄を見た。
海地獄のコバルトブルー、血の池地獄の赤、龍巻地獄の間欠泉は凄かった。

ここに来たかったのはOさんに会うためだったが、小さい頃、祖父の龍巻地獄のところの写真を見てどんな所かを見たかったからでもある。祖父は着物姿で山高帽をかぶっていた。

間欠泉は100°Cを越え、30メートルも噴き上げるそうだが、天井がありそこまでだ。
諏訪湖の間欠泉を思い出すが、諏訪湖は天井が無い分もっと高く上がる。

もう夕闇迫り、薄暗くなってきた。

18時バスから降り日伯ホテルで、会う約束をしたOさんに電話をした。その頃は未だ携帯電話は持っていなかった。(1996年頃やっとPHSを買った記録があった)
OさんはTインダストリー光町の店長であった。

OさんはNCR米国流通業視察の際、自由時間をご一緒して同じグループで回っていた仲間である。

特にニューヨークでの「自由の女神サンセットクルーズコース」は私の会社の2人と彼だけだった。その時の沈みゆく夕日、下から見る大きな自由の女神、生バンドによる演奏が忘れられない。ウエストサイド物語の「アメリカ」が耳に残っている。

多分酒も料理も飲み放題、食べ放題だったろう。ローストビーフを何度も取りに席を立った。

別府ではOさんにホテルに迎えに来ていただいて、一度ご自宅に伺ってから、ものすごい付き合いが始まった。

先ず「栄鮨」で酒と寿司、彼行きつけのスナック、それである程度は出来上がっていたのだが、彼の友人が経営していると言うホテルで大きな温泉に入る。(顔パスみたいだった)気持ちが良かった事を覚えている。

温まって出てさらに「お好み焼き」に行ったのだ。ただ温泉は覚えているが、食事は全然覚えていない。

よく付き合ったと感心するが、メモを見て驚いた。午前3時にホテルに着いたのだった。
今ならコロナ騒ぎでとんでもない事だ。

翌日は9時30分のバスで熊本に向かうのだ。

モーニングコールをお願いして翌日は6時30分に起きた。多分眠かった事だろう。

ここで別府とお別れするが、多少旅行について書こうと思う。

別府から「やまなみハイウェイ」のバスに乗り、阿蘇山に向かう。雨で窓の外が余り見えない。

バス内でいただいたパンフレットに掲載されていた三好達治の詩は未だ覚えている。
調べると「大阿蘇」で調子が良い。

 「雨の中に 馬がたつてゐる 一頭二頭仔馬をまじへた 馬の群れが 雨の中にたつてゐる 雨は蕭蕭(しょうしょう)と降っている 馬は草を食べてゐる」以下略

ちょうど外は雨だから、阿蘇カルデラの中でぴったりの風景だった。

ロープウエィで阿蘇山に立ち、火口を上から覗いたり、シェルターの中に入ったり、阿蘇スーパーリングでは火口の噴火の映像と、もの凄く迫力ある噴火の音に圧倒された。
「ドンドンドンドン」と重低音が足から伝わってくる。これは忘れられない。

熊本では居酒屋「五右衛門」で馬刺し、きびなご刺身、カレイの唐揚げ、とり団子など飲んで食べたようだ。

以前に1回熊本に来ており、その時は熊本城や水前寺公園を見ていたし、夜行った「肥後っ子」なる居酒屋は良く覚えている。「肥後っ子」を横目に見て、違う居酒屋を見つけたのだ。

そこの座席はコの字になっており、真ん中で炭焼きをしていた。そして大きなしゃもじで注文した品が客席に届けられた。

鹿児島では錦江湾公園から桜島を望み、その後桜島に渡り、周遊バスに乗って、帰りに火山灰で作った猪口を記念に買ってきた。今でもたまに酒を飲むときに使う。

宮崎でも観光バスに乗り、巨人が春のキャンプ時に行くという青島神社にお参りした。
青島に行く途中は鬼の洗濯板と言われる岩が波状になっており、タモリが好きそうだ。
海がとてもきれいだ。

今年の巨人には桑田投手コーチ(今では息子のMattの方が有名か)が就任して、その指導力が問われる。

バスが通る道路には大きな椰子かシュロの木だと思ったら、フェニックスだとガイドさんが教えてくれた。いつも台風のテレビ画面ではフェニックスが大きく揺れる様を見せてくれる。

宮崎の居酒屋「橘酔」では刺身の他に郷土料理「冷やし汁」を初めて味わった。
冷やしたみそ汁に薄く刻んだきゅうり、唐辛子、ゴマが入っていた。確かに美味だと思った。

自宅への土産は手で持ち、実家へは宮崎の名物の大きな竹輪を宅急便で送った。
ただし、後で母からクレームがあった。余りにも数が少なかったようである。

こうして5月15日5日間の九州一人旅を終え、14時45分宮崎空港を飛び立った。