北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

ラジオの思い出

2022-02-09 11:57:00 | 随想
朝ドラで「カムカムエヴリバディ」を放送している。
時代はちょうど我々が生活してきた頃で懐かしい。

年代物のラジオが出てきたが、我が家も同じくらい古いラジオがあった。
木製で割と大きかったが、小学校生の頃の夏休みは父が家の前にラジオを出して、ラジオ体操をした。10人くらいの小学生が集まり、毎日ハンコを押してもらった。
この頃、少年剣士の「赤銅鈴之助」を聞き、主題歌も覚えた。

中学生になるとビクターの大きなステレオを買ってくれて、レコードやラジオを聞いた。
レコードの視聴盤の「汽車」の蒸気の音が立体的に聞こえて、左のスピーカーから右のスピーカーに抜けていくのが感激したし、「ベサメムーチョ」や「アイーダ」をそれで知った。

また、夕方のNHKラジオ「一丁目一番地」を聞くのが楽しみで、かじりついて聞いていた。
黒柳徹子が「さえこさん」役で出ており、大変気に入っており、テーマ曲は今でも忘れていない。

高校生になり受験を迎えて「カムカムエヴリバディ」ではないが、文化放送の「百万人の英語」を聞きだした。
冒頭のテーマ曲、ブラームス作曲「大学祝典序曲」も耳に焼きついている。

大学に合格して上京。武蔵境にある長野県の寮に入ったが、「ソニー」のトランジスタラジオを買ってもらった。

良く聞いたのがニッポン放送の「オールナイトニッポン」だ。
軽快なテーマ曲にのり、有名な糸居五郎、斎藤安弘(アンコー)、高崎一郎、高島秀武、亀渕昭信(カメ)がデスクジョッキーだった。
とりわけ「カメ&アンコー」が人気を博した。
この頃、「〽おらが死んじまっただー」の「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。

試験が近づくと何故か聞きたくなり、1つ先輩も「そうだろ、何故かなー」と会話したものだ。

大学3~4年生の頃、当時の寮母さんの息子が幼稚園生だったので、みんなが可愛がった。

大事にしていたラジオだったが、私は良くFMを聞いておりアンテナを伸ばしていた。
その時ちょうど坊やが部屋に入って来たのだろう。何かの折に彼にアンテナを壊されてしまった。それからFMは雑音が多くなったと思う。

卒業して26年後、寮は老人ホームと併設する形で新築されて、そのパーティーが吉祥寺のホテルであった時の事。
実はあの時の寮母さんと息子さんも出席されて、ばったり会ったのだった。

彼も成長して、もう30歳過ぎで立派な青年になっていた。対面してつい愚痴が出てしまった。
寮母さんに「すいませんねえ」と言われた。

卒業すると練馬のアパートを借りた。木造の狭い4畳半である。
壊れたラジオの代わりにステレオ「トリオ」を購入。「トリオ」を買ったのは多分CMの影響だろう。

会社に入ってから田園都市線の高津に引っ越し、6畳のアパートに移った。

27歳の時に尺八リサイタルを行い、録音はオープンリールだったので、ソニーの「テープデッキ」を購入した。随分立派なデッキで、いい音がした。興奮して何度も聞いていた。

結婚してつきみ野の建売を購入した時には、もっと良いステレオが欲しくなり、義父の知り合いの秋葉原の電気店で「パイオニアプロジェクト7」を買った。(トリオは甥にあげた)
これは随分大きかった。スピーカーが大きい事。

しかし娘が2人生まれステレオ部屋は娘に与えたので、私の部屋にはミニコンポーネントを考えた。

近くにヤマダ電機が出来たので、ビクターの「マイクロコンポーネントMDシステム」を購入。

やがて現在の八王子に引っ越し、パイオニアのスピーカーは処分して、チューナーの入っていたのはコンポーネントの置台にした。今は私の部屋に鎮座する。



録音の機器は目まぐるしく発展して、カセット、CD、MDと進んできた。
その前にも何台もラジオ、ラジカセ、ウオークマンも買ってきた。
手元のラジオはソニー、尺八の演奏を録音するラジカセはアイワや、大きなダブルラジカセはパナソニックだったが全て壊れて処分した。

上記写真もそのうちMDが使用出来なくなり、新宿のヨドバシカメラまで重いのを持参したのだが、結局部品が無く、修理不可能だった。
しかし、MDだけが使用できないだけで、ラジオは聞けるし、これは又別売りのレコードプレイヤーを接続して聞いている。

写真には写っていないが、この下にパイオニアが置いてあり、その中にレコードやカセットテープ、CD、MD、DVD、VHS、ベータなど入れてあり、良い置台となっている。

やはりMDに貴重な録音をしているので、どうしてもMDが必要である。
上記のMDはA、Bの2か所あり、ダビングが出来た優れものだった。

そこで、もう1台買う事にした。こちらは居間に置いてある。



これも同じ「マイクロコンポーネントMDシステム」だ。
こちらのMDには「ラジオ体操」が録音してあり、毎日いつでもラジオ体操ができる。
コロナ禍の中で自粛が続くが貴重な運動が出来る。

このコンポーネントは一番下にUSBが付いており、パソコンにダビングするのに便利だ。

会社を卒業?して、新宿で自営業していた頃は、暇だったので、TBSラジオを良く聞いた。
ここでもサンヨーのラジカセ、CDも聞けるのを買った。

平日の午前中は「大沢悠里のゆうゆうワイド」を毎日聞いていた。
朝8時30分から午後1時までの放送だったが、2016年4月に終了した。同時に土曜日午後3時からの放送に変更されたが、ついに3月で終了するそうだ。

番組の中の10時過ぎには「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」もあった。
申し込みのあった商店などに出かけてインタビューをするのだが、リクエストの音楽もマムシの「くそばばー」などのしゃべくりで、なかなかまともに音楽が聞けなかった。

土曜日は「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」だった。
2000年5月から外山恵理アナが担当して、永六輔が随分可愛がっていた。
晩年には永六輔の滑舌がだんだん悪くなり、かわいそうだった。

外山アナは今金曜日の午後「金曜たまむすび」に出演して、相変わらずかわいい声で、若々しい。

TBSラジオの平日午前中は大沢に代わって伊集院光が担当した「伊集院光とらじおと」だが、やはり3月で終了するらしい。

午後は時々「赤江珠緒のたまむすび」を聞くことがある。

時々、夜寝る前にNHKラジオを聞く時もあるが、だんだん若者向けになってきており、私には早口で聞き取れないし、みんなが同時に喋ったり、笑ってばかりで面白くない。

1957年4月から2008年3月まで続いたNHKラジオドラマの「日曜名作座」なんて良かったなあ。森繁久彌と加藤道子が2人だけで、ナレーターや2~3人を演じた。

今は「新日曜名作座」で西田敏行と竹下景子がしている。
テーマ曲の古関裕而の曲はいいなあ。

やはりNHKの夜11時過ぎの「ラジオ深夜便」は年寄りが聞いているようだ。
父の法事で田舎に帰った時、90歳過ぎの母の部屋で炬燵に入って寝たが、一晩中「深夜便」がかかっていて眠られなかった。

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