北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

諏訪~南信州

2018-03-21 16:39:00 | 旅行
3月17日(土)朝7時29分発の八王子駅から、新型車両E353の「特急あずさ」に乗り、先ず上諏訪駅に向かった。

新幹線並みとはいかないけれど、揺れは少なかった。全席コンセント付きである。
富士山の見える左側の席を確保して、まさに良い天気で、よく見えた。

母の一周忌で田舎(飯田)に行く途中で上諏訪に寄ったのだ。



上諏訪駅には9時14分着。時間の余裕があったので諏訪湖畔を歩き、「原田泰治美術館」を見学することにした。

諏訪湖に着いたところ、目の前に「D51」が展示してあった。
機関車は小学5年生の時、修学旅行で諏訪に来て初めて見た時、その車輪の大きさにびっくりした事を思い出した。
(飯田線は電車だから、汽車は知らなかった)



上諏訪駅から諏訪湖畔を歩くこと、約35分で「原田泰治美術館」に着いた。
さすがに諏訪の風は冷たい。今の時期、晴れれば高い山に残雪がキレイだ。



「原田泰治美術館」を訪れるのは3回目である。父の米寿のお祝いを諏訪のホテルで行った時と、私の家族と来たことがあった。

今回の企画は「美しい日本の童謡・唱歌展」であった。
実はこの原画展は、東京大丸ミュージアムで開催された時にも私は見に行って、原田泰治先生と写真を撮っていただいた。

その写真を撮ってくれたのが、高校同級のK君であり、今ここの館長だと聞かされ、びっくりしてしまった。

原田泰治の絵は朝日新聞の日曜版で知り、切手にもなったし、細かいところまで良く書かれていた。

素晴らしい絵画を見学して、カフェもあったので上諏訪駅前で昼食の予定を変更して、丁度11時になったのでここでランチにすることにした。100円の割引券をいただいたからである。




ガラス張りのカフェから諏訪湖を望み、「梅としらすピラフ」をいただいた。「サラダ」「コーヒー」付きである。連れは「サンドウィッチ」でデザートの「ヨーグルト」付きだった。
(ガラス越しに写したが綺麗に撮れた)

今冬は格別寒く、全面結氷で御神わたりが見えたと言うニュ―スはご存じだと思う。
私の自慢はここで小さい頃、父に連れられてスケートをしたのである。
飯田から朝早く電車に乗り、一日がかりだった。

さらに「白樺湖」や「蓼の海」までバスで登り、スケートをした事もあった。屋外の天然氷だったので足元の冷たい事、この上なかった。

私の全盛期は清水宏保より遅いが、結構速かったよ。今でも自信はある。

「原田泰治美術館」から上諏訪駅行バスの時刻が合わず、タクシーを呼んだ。
上諏訪駅13時08分発の松本行に乗り、岡谷駅で飯田行に乗り換えた。



めざすは飯田線の伊那大島駅で、15時22分着の予定だった。

ところが岡谷駅から「客の対応」で5分遅れで出発して段々遅くなり、ついに12分程遅れた(ほとんど無人駅だから、各駅で車掌が切符を回収したり、発行したりで忙しい)ので、伊那大島駅まで迎えのマイクロバスを予約した手前、心配をしていた。

宿は「まつかわ温泉清流苑」だ。
事前予約の時に「着いたら電話しましょうか?」と聞いたら「しなくても良い」と言う返事であった。

ところが下り電車と上り電車が同時に着き、下りが先に出発して、我々は飯田行の上り電車が通り過ぎるまで遮断機が上がるのを待っていた為、遅くなってしまい、マイクロバスが我々を置いて出発寸前だった。

あわてて車に手を振って載せてもらった。「もう来ないかと思った」と運転手さんに言われたが、我々二人きりの迎えであった。
(やはり電話しておいた方が良かったのかも知れないと思った)



人気があるらしく駐車場はいっぱいだった。宿泊しなくとも温泉だけでも利用が出来る。

「清流苑」は松川町の経営で、実は深津町長は高校の同期で、東京の大学寮「信陽舎」でも一緒だった。
そんな事もあり、今回宿泊地に選んでみた。

夕食は6時からだったので、先ずお風呂に入った。
脱衣場で下着を脱いで、まさに入ろうとした時に「北原君」と声がかかった。

隣をみると、高校同級だったS君だった。彼は東京から地元に帰り、「3月いっぱい有効の温泉の割引券があるから」と来たらしい。

天然温泉で、しかも薬湯、スーパージェット、ラジウム、足湯、露天風呂、サウナと素晴らしい温泉だった。

夕食は宴会場で、「歌謡曲」が流れていた。「珍しいな」と思ったら、「清流苑情歌」だと言う。「林を通れば 蝉しぐれ---愛の宿 ああ 松川の 清流苑」

先ず生ビール。食前酒、ホタルイカ酢味噌、刺身、鯛花びらき焼き、しらうおの玉子とじ鍋、茶わん蒸し、鯉の甘露煮、春の天婦羅(独活=うど等)、ちらし寿司、デザートなどで腹一杯だった。



清流苑のロビーを飾る、吊るし雛。



18日(日)は6時に起床で、すぐに風呂に入ると誰も入っていなかった。さすがに露天風呂は寒いから止めた。
私一人の貸切を満喫する間もなく、オジサンたちがゾロゾロ入って来た。

朝食は通常8時のところ、電車の都合で7時30分にしてもらった。
サラダ、温泉玉子、アマゴ開き、キノコ入り鍋、納豆、ノリなどで、さらにクロワッサンやコーヒーも飲めた。



          伊那大島駅から南アルプスを望む

飯田まで行くのに八王子駅から飯田駅まで通しで(3日間有効である)乗車券を買えば良いものを、何故か勘違いして伊那大島駅までを買ってしまったので、又飯田駅までの切符を購入しなければならない、という事にやっと気が付いた。

再びマイクロバスに乗せていただいて、伊那大島駅に着いた。
駅窓口で切符は買えた。駅ホームの待合室で80歳過ぎの元気なおばさんに方言で話しかけられた。
「わしゃーずっと伊那大島で住んでおるんだに」「清流苑を褒めてくれてうれしいよう」

伊那大島から見た南アルプスは壮大だ。写真では分からないが塩見岳などが遠くにそびえたっている。

電車は9時8分発の飯田行に乗る。

9時35分に飯田駅に着き、時間が無いので実家には寄らず、法事の会場である箕瀬町の「長源寺」に向かった。

10時に長源寺集合だったので、朝一番の中央高速バスでは間に合わず、一泊したのだった。

10時に親類も集合、10時30分から母の一周忌の法要開始。墓参りも済ませて「今宮半平」で昼食。



「半平」さんの社長ご夫婦は飯田高校の後輩だとの話だった。
法事コースで刺身、鍋、天婦羅などで腹が一杯となり、写真の後に出て来た名物の「五平餅」は食べきれず持ち帰った。

帰りは飯田駅前発午後4時の「中央高速バス」で我々は一番前の席だ。途中富士山がうっすら眼前に見えた。

小仏トンネル辺りから渋滞で1時間30分遅れた。その為に、車中で「五平餅」が食べられた。相変わらず美味い味だ。

我々は「日野バス停」で降りたが、二人きりだった。こういう時は一番前の席が有効である。
「多摩モノレール線」の「甲州街道駅」まで歩き、高幡不動駅から「京王線」に乗った。

高幡不動駅から何と新しい座席指定車「京王ライナー」に、「これから先は座席指定券なしで乗れます」の表示があり、これまた新型車両に乗れた。

「北野」までひと駅で空いており、ほとんどの席が前向きである。自宅には22時過ぎに着いた。

このブログを書いている21日(春分の日)に何という事だ。雪が降り積もったではないか。
旅行中は天気に恵まれた事に感謝する。

4月に入ると桜で有名な高遠城址公園はJR「伊那市駅」からバスで行ける。
見事な桜見学の後に「松川町」にある「清流苑」に寄ったらいかがだろうか。

たまプラーザで落語

2018-03-20 16:54:00 | 芸能
たまプラーザとは「田園都市線」の駅名である。
今では都心の「半蔵門線」とつながっており、溝の口でも「大井町線」に接続する。

昔の私の記憶によると、なんでも「プラーザ」なんてぇ英語の名前を付けたのは、日本で初めてだそうである。

私がその「たまプラーザ」の駅前の百貨店に勤務していた頃の話だ。
経理を担当していたから、渋谷の大手銀行に行って「たまプラーザ」と言ったところ、若い女性に「鎌倉?」と聞き返されたり、何を想像したのか笑い出されて、恥ずかしかった。

「たまプラーザ」を略して「たまプラ」に3月13日(火)久しぶりに行って来たのだった。
それは「わっしょい!落語会」=立川談修落語独演会があったからである。

既報のとおり、談修との仲であるから、彼のHPを見て狙っていた。
ところが、一か月以上前から「予約で満席」の表示があって、「キャンセル待ち状態です」を見てあきらめかけていた。

それでもと思って直前に事務局に恐る恐る電話をかけたところ留守電で、一度は「やめようかな」と思った時に、先方から「着伝を見て電話」をしてくれた。

事務局すなわち「遊馬亭保育」さんがプロデュースで、私は「以前たまプラで働いていた事と談修さんとの仲を話した」ところ、聴きに行く事が出来た。



もう10何年ぶりかなあ。たまプラ-ザ駅前は近代的にすっかり変わり、百貨店の広告塔も「東急SC」から「たまプラーザTERRACE」に変わっていた。

開店時の昭和57年10月2日からもう35年で、5Fのレストランは全ての店舗が入れ変わった。
時代の流れで売り場も変わり、5Fに子供服売り場が移り、4Fの家具売り場は無くなっていた。

見学はそこそこに落語の会場に向かった。
場所は百貨店の右横を通って、10分で会場の「さんかくBASE」に着いた。



実は昨年も違う場所での「たまプラ-ザ談修落語会」があり、満席であきらめていた。

だから今年は何としてでも行きたかった。



会場に入って満席(50席くらい)の理由が分かった。「遊馬亭保育」さんがプロデュースして近隣のお客さんを集めて、毎月様々なイベントを企画しており、皆さんは名札を付けていた。
(来月はバスで都内の桜見学、国会議事堂の見学をするそうだ)

従って遠くから行ったのは私だけだった。
11時30分から「ランチボックス」をいただく。入場料は落語とも2000円である。

落語は12時30分から始まった。




演目は3題で「一目(ひとめ)上がり」「長短」「蛙茶屋」であったが、ネタはあらかじめ聞かされていなくて、終了後に貼り出すと言われていたから、客は知らされないで落語を聴きだしたのだった。

談修のマクラは「最近、落語を聴きに来る人が多くなって参りましたが、後期高齢者が多い。」「たまに真ん中あたりに大変な美人が座っている時がある。」「そういう時は、そわそわして、落語を忘れたり、話があっちに行ったりこっちに行ったりと始末が悪い。」「その点、本日はやりやすい」と先ず笑いを取る。

と知らない内に「落語」にすっと入った。
「落語」は何回か聞いたことがあるから、何の演目かを考えたが知らない演目だった。

実は終了後に私は演目を見ないで帰って来てしまったので、話を思い出すしかなかった。
ネットで調べて「一目上がり」と「蛙茶番」は分かったが「長短」のキーワード」を入力しても出てこなかった。

「演目」を寝ながら考えたが分からないので「保育」さんにメールしたところ、親切に返信が来た。「長短」であった。

「一目上がり」は「七福神」とも称される。
掛け軸を褒める話で、「賛=サン」から始まり「詩」「悟」、六が無くて「七福神」、八が無くて「芭蕉の句」が落ちとなる。

さらに「長短」や「蛙茶番」の詳しい内容は書き切れないので、興味のある方はネットで調べて欲しい。


談修師匠は滑舌良く聞きやすい。とにかく私自身良く笑った。

修了後に談修さんに会い、飯田市での共演のチラシや、その時の地元の新聞を見せた。
落語の「文七元結」の菩提寺「長昌寺」の住職は「私の同級生だ」と言ったところ、「そうだったんですか」

記念のツーショットの写真だが、私はアップに耐えられないのでトリミングしてしまった。

このところ立て続けに落語の話になってしまい、尺八より落語のブログが多くなってしまった。