北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

飛鳥の会

2023-01-30 11:09:18 | 音楽・日々是尺八

いささか古い話で申し訳ないが、「飛鳥の会」について書いてみよう。
「飛鳥の会」と言っても「チャゲアス」では無く、箏の演奏団体の事である。
「飛鳥の会」は、小野衛が創設した「創明音楽会」に所属していた吉田光子が主宰した会の名である。

小野衛は宮城道雄に師事して箏・三絃を習い、養子に入って宮城衛を名乗った時もある。尺八も上手く、私が大学生の時に正月NHKFMから「春の海」の尺八が聞こえて来て、大変上手で感心した。ちょうどカセットテープに録音出来たので何度も聞いた。
衛先生は様々な事情があったらしく、小野姓に戻り、創明音楽会を設立した。
門下生には羽賀幹子を中心としたプロの演奏団体「さわらび会」があった。

私は縁があって「飛鳥の会」に所属していた家内と結婚して、結婚式には青木鈴慕夫妻、小野衛先生をお呼びした。

そのお陰で私は「飛鳥の会」に何回か尺八の賛助出演をした。過去に何回かブログに書いたが、失敗談は忘れられない。(安田生命ホールでの宮城道雄作曲「初鶯」)
しかし今となっては、懐かしく面白い経験をしたなと思う。

吉田光子先生は昭和4(1929)年生まれで、昨年(2022年)に亡くなった。93歳だった。
私が最後に出演したパンフレットが見つかったので、その思い出を掲載してみたい。

 

「飛鳥の会」第37回筝曲演奏会は、平成18(2006)年3月19日に府中グリーンプラザけやきホールで行われた。実は吉田先生にとって最後の演奏会だった。
私が出演した曲は、「初鶯」「里の暁」「尾上の松」「軒の雫」「岳陽楼に登りて」の5曲であった。今となってはよく何曲もやったなぁという思いだ。

下合わせも思い出す。本番の1週間前に吉田先生宅に伺ったが、10時から午後3時まで行い、ちょうどその時は父の一周忌の法事で飯田市に帰るスケジュールで、4時には中央道八王子からバスに乗り、私としては忙しかった。

「軒の雫」の箏は80歳過ぎの高齢のNさんで、三絃は吉田先生であった。
Nさんは「暗譜で挑戦してみたい」とおっしゃっていたが、下合わせでは未だおぼつかなかったので少し心配はしていた。
本番では心配していた通り、途中で止まってしまい、顔を見合わせて掛け合いから再び演奏を開始した。冷や汗ものだった。


野村祐子作曲「岳陽楼に登りて」の岳陽楼は中国の洞庭湖湖畔にある、木造3階建ての楼閣の名である。
従って曲のイメージは「中国的」であり、5音階の変わった面白い曲だった。最初に楽譜を頂いた時は都山流楽譜であり、難しそうだったので躊躇したが、6寸管で何とか演奏出来た。

ちなみにパンフレットの「飛鳥の会」の字入れは義父であり、版下は家内が作成し、印刷に回した。

その後、吉田先生は高齢となり少しずつ認知症が進んで「飛鳥の会」を解散した。
それでも家内は少しでも認知症が進まないようにと稽古に通った。直近の事は忘れるが、地唄などしっかり演奏出来たから不思議だと家内は言っている。

しばらくは、めじろ台の行きつけのフランス料理「ルトン」のランチで良くお会いした。吉田先生はご夫婦で週2回ほど通ったらしく、お会いすると家内の事は分かっていたが、私の事は段々分からなくなって来ていた。

昨年(2022年)ご主人が亡くなって2か月以内に吉田先生も故人となってしまった。
私が知った頃には美人で、箏も三絃も素晴らしく綺麗な音で歌も上手かった。的確な演奏で「さわらび会」の3人に匹敵するほどの評価があった。
「先生、お世話になりありがとうございました。」


図書館で週刊誌

2023-01-24 12:26:19 | 随想

図書館に行くと先ず週刊誌を見る。

新聞に広告が表示されるとつい見たくなるのは人間の性か。
私は先ず「週刊朝日」を手にして、次は「週刊新潮」「週刊文春」、無い時は「週刊金曜日」「サンデー毎日」を読む。

「週刊朝日」は先ず、松尾貴史選の「似顔絵塾」を見る。以前は山藤章二だったが、高齢で松尾が引き継いだ。

これはもう傑作ぞろいで笑ってしまう。デフォルメされた絵は抱腹絶倒で思わず大声を出す寸前だ。美人でも特徴を強調されるとおかしくて、確かにと唸ってしまう。

以前、私の門下生にイラストレーターのSさんがいて、書いてもらった事があった。やはり特徴を強調されると他人には見せたくない。

「週刊朝日」のコラムの内館牧子「暖簾にひじ鉄」、嵐山光三郎「コンセント抜いたか」、下重暁子「ときめきは前ぶれもなく」、東尾修「ときどきビーンボール」、林真理子の対談「ベストコレクション」などを重点的に読む。

東尾は元西武の投手で監督を務めた。彼の観察力はすごく、よく当たると感心する。「今年は西武はいいぞ」と言っていたら、その通り一時期トップになった。

「週刊新潮」は五木寛之のコラム「生き抜くヒント!」、「読書万感」に時々記載する立川談四楼の書評。

五木寛之は人生の達人だから生き方の参考になる。

「週刊文春」は先ずは「文春砲」を読む。よく取材していると感心する。

コラムは林真理子の「夜ふけのなわとび」、杉本昌隆の「師匠はつらいよ」である。
真理子さんは、この度日本大学の理事長になった。以前から継続的に読んでいるので、行動が良く分かる。かなり精力的だ。
日大には毎日のように通学しているそうで、忙しい中大変だなあ。学生に聞いたそうだ。「私、誰だか知っている?」「知らない」と言われたそうだ。

杉本昌隆は将棋の藤井聡太の師匠である。苦労が良く分かる。

「週刊金曜日」は1993年創刊で、本多勝一らが編集者である。
本多は長野県旧大島(おおじま)村(現松川町)出身。一般の人には分からないから彼は伊那谷出身と本の履歴書には書いている。飯田高校の先輩に当たる。
私は彼の著作は6冊持っている。「日本語の作文技術」で何とかうまく書けないかと勉強したのだが。

「貧困なる精神」シリーズで有名で、昨年くらいまでは書いていたのだが、現在は体調悪く執筆していない。

政治にかなり辛口で、現編集者には宇都宮健児や落合恵子、雨宮処凛(かりん)がいる。

「サンデー毎日」は毎日新聞、科学環境部長の元村有希子のコラムを読む。彼女は以前、我が家で毎日新聞を取っていた頃、科学について非常に分かり易く書いていたので感心していた。

図書館の週刊誌は一応30分で返却となっている。だから忙しい。ざっと見るか一部分だけ読むかである。
特に八王子は学芸員の前で借りるので、せいぜい40分で返却する。西八王子は棚にあるのでもう少し読ませてもらっている。

一週間に2回行く時は文芸誌を読んでいる。

最近は太宰治シリーズで「ヴィヨンの妻」「走れメロス」「人間失格」「斜陽」を読んだところだ。
「人間失格」は大学の三曲研究部の夏の合宿で討論会をすることになっていた。しかし私は読んでいなかった為、議論に加われなかった。そんな思いを引きずり、いつかは読んでみたいと思っていたのだ。

「斜陽」はマムシの玉子を焚火で焼くシーンが出て来るのは残酷だ。人気の太宰治だが、癖のある文章だ。彼は自殺したが文章の中でも、遺書を書いており、成るほどなと思った。

谷崎潤一郎の文章は本当に上手いと思う。「細雪」も読みだしたが、活字が小さくて途中で止めた。4人姉妹の話である。

並行するように芥川賞受賞作品である高瀬準子の「おいしいごはんが食べられますように」を読みだした。女性らしい作品である。6日 間で読了した。

時々、私の過去のブログを読み返すと、誤字脱字が見つかると直しておく。

このブログを再掲する。
実は「週刊朝日」が今年5月末で休刊すると発表されたのだ。誠に残念である。


調布さくらウインドオーケストラ

2023-01-13 16:38:44 | 音楽・日々是尺八

1月7日に調布駅前の調布市グリーンホール大ホールにて「調布さくらウインドオーケストラ」の演奏会があり、聞いて来た。

この演奏会を知ったのは東京新聞だった。私の好きな吹奏楽だし、場所、時間、入場料無料など条件がぴったり合った。
パンフレットの挨拶文によると、調布中学校の卒業生を中心として2015年に結成された。
指揮者は国立音大出の小倉和彦氏で出演者は50名を超えた。コロナの影響もあって今回が第5回目の定期演奏会だった。もちろん私は初めてこのオーケストラを知った。

第一部は吹奏楽でめぐる日本紀行、第二部はポップスで時代を彩った日本のアニメの名曲。吹奏楽だから弦楽器は無い。

最初は伊藤康英作曲「こきりこ行進曲」で、いきなり最初の音でもう感激してしまった。迫力満点だ。尺八でも簡単に演奏できる「こきりこ」を、ものの見事に吹奏楽にアレンジしていた。

次は藤田玄播(げんぱ)編曲「木曽節によるパラフレーズ」。和太鼓も交え、軽快にメロディーは次々と楽器を替え、引き継がれていく。壮大な曲に仕上がっていた。
私も尺八で「木曽節による変奏曲」を作曲して、飯田市のライブで発表したことがある。

藤田玄播(1937~2013年)とは実は私とは面識がある。ただ曲を聞いた事はなかったので、初めて聞いたのだ。素晴らしい。
藤田氏は新宿で印章店を営んでいた時のお客様で、和紙の名刺を注文いただいたのだった。

肩書は作曲家であり、主に吹奏楽の曲だと聞いた。吹奏楽連盟の会長も務めた。そこで胸がときめいて話をしたが、ある時全日本吹奏楽コンクール課題曲に採用されたと新聞に掲載されたので電話したところ、「うれしいね」とおっしゃっていた。亡くなった時には新聞に載ったので死を悼んだ。ここで初めて聞けて縁を感じた。

大栗裕(ひろし)作曲「吹奏楽のための天の岩屋戸の物語による」は大栗さんらしい、日本的な要素が入った曲だった。

ここで大栗さんと親しみを込めて言ったのは、実は高校の吹奏楽で彼の作曲を演奏したからである。
昭和41年の吹奏楽コンクールの課題曲は大栗裕作曲「吹奏楽のための小狂詩曲」で、私はユーホニュームで演奏したのだ。そのメロディーは決して忘れてはいない。
(その年の優勝校は天理高校でYouTubeで聞ける。)

パンフレットで藤田氏と大栗氏の名前を見ただけで、懐かしさのあまり胸がときめき、感激してしまったのだ。

指揮者から大栗裕(1918~1982年)について説明があった。
大栗さんは高校からホルンを演奏して、独学で作曲をし、その後伊福部昭(あきら)に師事した。「皆さん、伊福部昭って知っていますか?」「知らないでしょ?」「実は映画ゴジラのテーマを作曲した人です」まさかここで伊福部昭の名前が出るとは思わなかった。

私は箏・尺八・琵琶のグループで「木犀会」に所属していた。その時の顧問が伊福部昭と金田一春彦で、演奏会後の打ち上げで銀座の料亭にて一緒に飲んだ事がある。

休憩をはさんで舞台は第二部に入った。全員がさくら色のピンクのシャツを着ている。照明が球形の鏡に当たり、綺麗にくるくる回る。反射の光は会場まで届いた。

テレビアニメONE PIECEのオープニングテーマ曲「ウィーアー」、「銀河鉄道999」、「鬼滅の刃スペシャルメドレー」、「千と千尋の神隠し」を演奏。
「鬼滅の刃」では指揮者が市松模様の半纏で現れ、爆笑。
アンコールは「宝島」など2曲続いた。

終演後はロビーでお客と演奏者が懇談していた。私はアンケートを箱に入れてから、ユーホニューム奏者を探したが分からず、取り合えずサックス奏者に感激を伝えた。

そうこうしているうちに指揮者が現れた。早速、私は吹奏楽経験者で、大変感激した事を伝え、藤田玄播や大栗裕、伊福部昭などとの交流について話した。やはり吹奏楽は話が合う。
昭和41年の「吹奏楽のための小狂詩曲」を演奏したことを伝えると、「あの曲は難しいね」と思わず二人でメロディーを歌ってしまった程だ。

最近日本テレビで、高校生の吹奏楽コンクールに向っての練習風景が何回も放送されたのを見て感心もしていた。高校生も上手いものだ。

来年は是非ベートーヴェン作曲「エグモント序曲」を聞きたい。

入場料無料ではあるが、司会者が「できれば寄付をお願いしたい」旨放送があった。
私は大変満足して、本来なら3000円上げたい程だったが年金生活の為、気持ちで1000円を募金箱に入れて来た。


レストランの思い出

2023-01-13 16:37:39 | グルメ

横浜の中華街にある老舗の聘珍樓横浜本店が閉店し、破産手続きに入ったという。
聘珍樓横浜は家族を連れてランチを食べた事があり、上品な(?)中華料理であった。

そんな思いもあり、渋谷の「オリンピックプール」が冬にスケート場になった時、子供を連れてスケートをしたことがあった。
その時、渋谷にも聘珍樓があり、昼に入店した。横浜とは別会社らしく、日比谷の聘珍樓などは継続するようだ。

中華で思い出したが、忘れられないのが、会社員の頃、昼飯を電車に乗って食べに行った事があった。

会社は田園都市線の藤が丘駅にあり、嘱託社員のNさんと、隣の市ヶ尾駅まで中華料理をわざわざ食べに行った。そこの「ルース―タンメン」が実においしかったからである。

最近の行きつけの店である。

こちらは八王子駅南口にある、お好み焼き「ばんぶう」である。
文字通り「ばんぶう」は「竹」である。尺八吹きならだれしも興味を持つ。
聞いたところ元々のオーナーが大分県出身で、大分は竹が有名らしい。
「ばんぶう」は元々八王子駅ビルの旧そごうのレストランにあり、一回行っておいしいと思っていたが、改装時に退店したので、残念がっていた。
年月が経ち、地元紙でここにある事を知って訪ねた。
話をすれば面白い。今のご主人はなんと長野県上田市出身で、上着に「六文銭」のマークが全面に入っていた。おいしく頂いたし、2割引きの券まで頂いた。
「カキオコ」とはカキ入りのお好み焼きだ。月曜日火曜日休み。

こちらは実は「ばんぶう」の右隣の店だ。とんかつ「大國 」である。
ここは安くて旨い。ランチは700円でしっかり食べられる。
80歳位の元気なお婆さんが大きな甲高い声で迎えてくれる。「いらっしゃい」「本日は暑いね」と必ず一言言ってくれる。厨房は息子さんが一人である。言葉使いがやさしい。昼は常連さんですぐに席が埋まる。

「ミックスフライ」には「メンチ、アジ、エビ」が入っている。自宅では絶対アジフライは出てこないので、ここで食べるのが楽しみだ。「カキフライ」や「かつ丼」もいただいた。

コーヒーチェーン店での話である。今は暑いのでアイスコーヒーを飲む。
何故あんなに氷が多いのか?大概は残して捨てるしかないだろう。
多く見せるためだろうが、もったいない。

そのコーヒー店でコーヒーを飲み終えたあたりで、隣の席におじさんが来て、アイスコーヒーを置いたとたんにコップが滑って倒れ、机上や床にぶちまけた。
私は幸い濃紺のズボンに黒い靴で、瞬間に足を上げたから良かった。多少はコーヒーがかかったと思うが、セーフだった。あわてて店を出た。

同じコーヒーチェーン店の他の店だったが、この猛暑でソフトクリームが立て続けに4本売れていた。私はアイスコーヒーだったが、ソフトクリームも良いなと思って見ていたら、あらら4人目の男性がソファーの席に着くかと思った瞬間、手から滑ってソフトクリームがソファーに落ちてしまった。あわてて拾いあげ店員に事情を言い紙などで拭いていた。落ち度は客にある。多分もう一度買ったと思うが、店員がソフトクリームを届けていた。

最近は人手不足でついにレストランでは配膳ロボットが開発された。
これをこの目で見たのである。
すかいらーくグループの「ガスト」へ行った時、テーブルに配膳ロボットが配膳する場合があると表示されていた。
私の注文は店員が運んでくれたが、食事中に私の横を配膳ロボットが通り過ぎた。
そしてすぐに戻って行ったのを見た。ついにここまで来たのかと感心した。

ところが次に行った時は、もう新しく進化した「ネコちゃんロボット」が配膳していた。実験でもしているのだろうか。

それがどうだ28日、「ガスト」に行ったら、何と私にロボットが配膳してくれた。
「まさかや」。一瞬取るのをあせったが、料理の乗ったトレーを取り、画面に表示されたテーブル№を押したら、無事帰って行った。でも、味気ないね。ロボットじゃあ「ありがとう」とお礼の言いようが無い。

以前より病みつきになっているのが「麻婆豆腐」で、西八王子の「つばさ」は旨い。ひと時毎週通った。
立川にも超有名人の経営する「麻婆豆腐店」があるが、そこよりも旨い。毎回感心して帰ってくる。

9月16日新宿に出かけた時に、以前から行けつけの西新宿6丁目のハンバーグ店「バッファロー」に行った。

ここは開店と同時に満席になるくらいだから、11時30分に一番で入った。
いつもの「ハンバーグ」と「白身魚フライ」である。本当においしい。
水代わりに無料のコーヒー2杯飲んで満足した。

ただ今のご時世である。当時880円だったのが昨年の始めは1010円、9月は1100円に値上げしてしまった。

八王子にとんかつや「かつや」がある。
カウンターに座って厨房を見ていたら、ご飯はまるで自動販売機みたいに店員がボタンを押すと、上からボタボタと落ちてきて器に収まった。次から次へと弁当が出来て行く、その早さにビックリ仰天した。ここまで機械化かと。

12月14日、あるテレビ局で「新宿区飲食店食べ放題トップ3」にイタリアン料理の「イル、ソーレガット」  が放映された。西新宿4丁目にあるが、場所はちょっとわかりにくいところにある。
私が時々行く店だ。食べ放題とはランチに「トマトが食べ放題」である。
普通にパスタなどのランチを注文してから、トマトが取り放題。と言っても、私はせいぜい2~3片だ。

又、後日ある局で「住みやすい街」の番組があり、№1は「西八王子」だった。インタビューでは「高尾山に近いし」「八王子より家賃が安い」と。
そこではたまに行くイタリアンの「248キッチン」が紹介されていた。(248は、にしはちでしゃれている)

17日八王子に行ってびっくりした。「ガスト」が突然「バーミアン」に代わっていた。夢かと思った。
いつもの通り、チラシを持って八王子駅北口の2階にある「ガスト」に行こうと思ったら、「バーミアン」の看板だった。「あれー」と思って、それでは京王八王子駅北口の「ガスト」に行こうと思って歩道橋を渡っていたら元バーミアンがあったビルの7階の看板が「ガスト」に代わっていた。
あわてて、「ガスト」に行った。そこで中生とネギトロ丼を注文。すぐに中生が来た。その後店員さんが又、中生とネギトロ丼を持って来た。「あれー中生来ていますよ」「間違ってもう一回頼んだかな?」と調べてもらったが、どうやら店の間違いだった。結局会話の中で、2杯目は無料だったのだ。ついている。

話によると、京王八王子駅北口は閉店して店舗を統合したらしい。7階は入りづらく「バーミアン」の時は空いていた、従って店舗を交換したのだろう。おなじ「すかいらーくグループ」だから出来る、いい考えだ。それにしても少ない日数で改装をしたらしい。
試しに京王八王子駅北口の「ガスト」を見学したら、薬局に代わっていた。

いつものようにドトールコーヒーに入った。ついにアメリカンが224円から250円に値上げされていた。

年が明けて1月13日、西新宿のバッファローに行ったら1190円に又値上げしていた。
親しいマスターに「いろいろ原材料が値上げで大変だねー。」「毎回来るたびに値上げしているね」とつい言ってしまった。