北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

ビートルズ

2016-06-30 09:26:00 | 音楽・日々是尺八
ビートルズが来日して日本武道館で演奏したのは、50年前の1966年6月30日だそうだ。

ちょうど、その時私は高校三年生だった訳だ。
所属した高校のクラスには早くも「ビートルズファン同好会」みたいな集まりが存在し、同級生が所属していた。

私はブラバンで行進曲やら序曲、コンクール用の曲の練習に明け暮れていた。
音楽好きが高じて、クラシックギター(カルカッシ教則本・禁じられた遊びなど)の練習や自宅にあったオルガンを独学で弾いていた。

高校のブラバンが練習する講堂には、音の狂った古いアップライトピアノがあり、バイエルやソナチネなど先輩と競争するように弾いていた。

もちろんテレビで歌謡曲は聞いていたけれども、がなり立てる「ビートルズ」には眉をひそめていた。批判していた訳である。歌詞が英語だから余計内容が判らなかったのだろう。
同級生と議論した事もあった。私は当時クラシック至上主義だった。

そのがなり立てる曲と言うのは「ロックンロールミュージック」だった。

高校を卒業して、東京の大学生になった頃には、巷にかなりビートルズの曲ががかかっていた。知らない間に自然と曲が体内に入って来ていた。
夏休みに田舎に帰った時、兄貴が買ったビートルズのレコードがありその中の「ロックンロールミュージック」を聞いた時、ジャケットに英語の歌詞が書いてあったので一緒に歌ってみた。

ノリが良く、段々曲を覚えて来たのでいっそ英語の勉強だと思い歌詞も覚えようとした。
だから今でも少しはそれらしく歌える。

Just let me hear some of that rock and roll music
Any old way you choose it
It's got a back beat you can't lose it----

ついでに覚えたのが「霧のサンフランシスコ」だ。これはトニー・ベネットが歌いヒットして他の人もカバーした。他の人は「思い出のサンフランシスコ」と邦題が変わるからややこしい。
これも大体覚えている。

I left my heart in San Francisco
High on a hill it calls to me----

ビートルズは次々ヒットを飛ばし「イエスタディ」や「ミッシェル」など静かで抒情的な曲もある。

そのうち日本にもバンドが出来て、「ブルコメ」「タイガース」「スパイダース」「カーナビ―ツ」「オックス」「ワイルドワンズ」などなど。皆長髪で我々もこぞって長髪にした。

エレキギター全盛となり、「ベンチャーズ」には憧れて、ギターで練習をした。
あのテケテケである。「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」など何回も練習をしたが、グループを組むほどではなかった。

その頃にはもう村岡実も尺八でビートルズを演奏していた。
そんな影響もあり、私も楽譜を購入して「イエスタディ」や「ミッシェル」などを練習したところ、多少技術的に半音や転調部分の難しいところがあるが、なんとかものに出来た。

多分、文化祭で演奏しようと思ったが中止になり、どこかのライブで演奏した事があると思う。
あれ程否定していた俺だったが、気に入っているのである。

面白い歌・勘違いの歌

2016-06-27 21:23:00 | 音楽・日々是尺八
世の中には面白い歌や、意味不明の歌や勘違いして聞いていた歌などがある。

最近パソコンの利便さによって、明らかになった曲もある。

なんと言っても筆頭は誰でも知っている「ふるさと」で歌詞の「うさぎ美味し、かの山」の勘違いであろう。どうしても追いしが、美味しいになってしまう。

調べても意味不明で有名な曲は「じんじろげ」だ。
作詞は渡舟大、作曲は中村八大。森山加代子の歌である。(インドに元歌があったらしい)

ジンジロゲーヤ ジンジロゲ ドーレドンガラガッタ ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージョリンガラ チョイチョイ ヒッカリコマタキ ワーイワイ
ヒラミア パミヤア チョイナダディーヤーーーー

何の事だかさっぱり解らない。
知らない人はYouTubeをご覧になると良い。

時代を遡って1956(昭和31)年のヒット曲は「愛ちゃんはお嫁に」。私が8歳の頃だ。
作詞は原敏雄、作曲は村沢良介。鈴木三重子歌である。

さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる
俺らの心を知りながら でしゃばりおよねに 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の嫁になる

私の親父は9人兄弟の4男で、長男の伯父さんの妻が「あいさん」であった。毎年兄弟の新年会が持ち回りであって、我が家でも随分騒いでいた。
興が乗ると、長男は太郎ではないが、盛んに皆こぞって「愛ちゃんは太郎の嫁になる」と大声で手拍子を打って、笑いながら歌っていたから私も自然に覚えてしまった。

考えてみればおかしいのは、男の歌(歌詞が)を女性が歌っているのだし、「でしゃばりおよね」とは。

この歌を検索してみたところ、T大学のK教授が解説している。
曲名は「愛ちゃんは太郎の嫁になる」の方が良かったのではないか、とか「およね」は女中ではないかと言う。
最近不思議に思って、もしかしたら「停車場におよねに」と思ったが、やはり「でしゃばり」だった。

「ラクカラーチャ」の歌はメキシコ民謡で、ゴキブリの事らしい。
自宅を探したところ、小6年生の音楽の教科書が出てきて、それに載っている。
ただし、「車にゆられて」(ラ・クラカーチャ)とある。まさか「ゴキブリの歌」ではまずいだろう。

途中から、ラクカラーチャ ラクカラーチャ ゆらゆらゆれて ラクカラーチャ ラクカラーチャ 牧場のなかを
と続く。
流石に小6の教科書だ。「ラクラカーチャ」の意味をゴキブリではなく、あぶら虫の表示にしてある。

これを私が中学生の頃NHK「みんなの歌」で放送されているのを聞いて、「楽なかあちゃ 楽なかあちゃ」と母親の前で歌ったのだ。

もちろん冗談だった。これを聞いて母は怒り出すどころか、笑いながら聞いていた。
これに気を良くして私のダジャレ人生が始まったと言っても過言ではない。

「ルイジアナ・ママ」は飯田久彦が歌った。
あの娘はルイジアナママ やって来たのはニューオリンズーーーー
マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

このfrom NewOrleansて言うのをてっきり「ルリオリン」と思い一人でそう歌っていた。

「ギンギラギンにさりげなく」は作詞は伊達歩、作曲は筒美京平でマッチの歌。
覚めたしぐさで熱く見ろーーーー
ギンギラギンにさりげなく さりげなく 生きるだけさ
I get you baby, I need you baby, I want you baby, Right on !!

これを私には「アワッチュ ベイビー アワッチュ ベイビー」に聞こえたのである。
誠に意味不明で歌っていた。

会社勤めの頃には、スナックでカラオケも流行り、同じ部署の若い女性とも良く行った。
当然若い女性は今流行っている歌を歌う。

中森明菜の「DESIRE」
その中にGet up, Get up, Get up, Get up, burning love
と言う箇所があって、彼女は「ゲラ ゲラ ゲラ ゲラ マリア」と歌っているように聞こえた。
彼女に「ゲラ」の意味を聞いたところ「知らない」と言われた。 

私は英語は苦手だが、綾戸智恵が小学校での先輩の授業でビートルズの「Let It Be」を、「聞いたまま歌ってみなさい」と言っていた。
日本語で普通に書けば「レット イット ビィー」だが、歌う時は「レルイルビー」みたいでも良いとも言っていた。

「もぐら祭り」は若い頃、尺八のお弟子さんらと新宿、歌舞伎町でよく稽古の帰りに飲んだ時に、「スガンさん」と言う飲み屋のママさんに教わった。まあ2階の狭いスナックだった。

もぐらの祭りは暗闇まつり 年に一度の暗闇まつり 好きなお方と手に手を取って
歌って踊って夜が更ける もぐらの情熱は グツグツ燃え上がる ああもぐら祭り
ジャンジャラスッポンポン ジャンジャラスッポンポン ジャンジャラスッポンポン 
  
このジャンジャラスッポンポンは調子が良く2部合唱も出来て、このジャンジャラスッポンポンをずっと繰り返して歌う人と分けて歌う事が出来る。楽しい歌だ。

これをYouTubeで見つけたからびっくりした。岐阜大学生がアップしているのでご覧ください。
踊りながら歌っているのである。

多少歌詞が違うが、私のは「スガンさん」で教わった通りである。

今日は「ゴキブリ」やら「もぐら」の話で、食事中の方には失礼いたしました。



序曲「エグモント」

2016-06-21 12:49:00 | 音楽・日々是尺八
作家の村上春樹が、文藝春秋6月号に「ベルリンは熱狂をもって小澤征爾を迎えた」と題して特別寄稿した。

これは本当にたまたまであるが、私が図書館で偶然手にした本の中にあったのである。

村上春樹が小澤征爾とこんなにも近しいとは知らなかったし、対談の本も出版されているようである。誠に音楽に造詣が深い。

(対談の本は、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で2011年11月新潮社で発行。このブログを書いてから図書館で偶然見つけて、読みだした。(6月25日)借りずに、行った時に読むことにしたので、いつ終わるか分からない。ところが6月29日も図書館に行って読もうとしたら本がない。係りの人に聞いてみたら、もう他人が借りたらしい。次に借りたい人もいるらしく、まさか私のブログを見た人ではあるまいが。)

村上春樹は大変な人気作家であるが、私は「ノルウェーの森」と「海辺のカフカ」しか読んでない。しかし「海辺のカフカ」はなかなか理解し難しい本だった。

その村上春樹が今年4月8日と10日にベルリンにて、小澤征爾がベルリン・フィルを7年振りに指揮をした状況を書いている。わざわざドイツまで聴きに行ったのだ。

曲目は モーツァルト作曲「グラン・パルティ―タ」K361(指揮者なし)
      ベートーベン作曲 序曲「エグモント」
      ベートーベン作曲「合唱幻想曲」

実は私はこの序曲「エグモント」が大好きで、ベルリン・フィルのヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のCDまで持っている。

何で好きかと言うと、高校生の時のブラバンでライバル校が女子高での文化祭で華やかに演奏したのであった。その時にすごい曲だと衝撃を受けたくらいだった。

解説によるとゲーテの悲劇「エグモント」の為に作曲をした。
16世紀スペインの圧政下で、オランダのフランドル地方の領主エグモントは、スペインから派遣されたアルバ公と争い、断頭台に引かれる。エグモントの恋人クレールヘンは自殺し、幻影となってエグモントをなぐさめる。

序奏はソステヌート・マ・ノン・トロッポで決然たる意志を示す動機が弦に現れる。
主部は序奏と同じくへ短調だが、アレグロとなり、主要主題の下降旋律はチェロが演奏する。
(この部分は吹奏楽では私のユーホニュームが演奏する)これが私の大好きな旋律なのだ。

終結部はアレグロ・コン・ブリオ、ヘ長調。明るく、そして勇壮な勝利の凱歌である。
単純な諸動機を自由自在に活用した、べートーベンらしい交響的序曲である。

村上春樹は小澤征爾に付き添うように、リハーサル風景、控室での会話、カラヤンとの思い出等を聞きだし、一緒に食事もしている程だ。

リハーサル後の会話が印象的だった。

村上「どうして指示をほとんど出さないんですか」
小澤「出す必要がないから」「彼らは僕の手や身の動き、日本語で言えば『呼吸』(息づかい)を見ていて僕の意図を理解する。」「彼らはそれに合わせて演奏を変えるだけの技術を持っています。」

すなわち、一人一人が超一流だと言うことらしい。マジシャンだね。

小澤征爾は腰やら食道の手術をしていて、体調が悪い。
リハーサルで一曲練習しただけでも疲れて、控室に行く位だ。

それが、村上春樹と食事をした時に無理をして食べたのだろう、お腹を壊したそうである。私も胆嚢の摘出手術を受けており、食べ過ぎや、冷たいもの、辛い物などはダメである。
どうしても見た目で美味しそうだと食べてしまうのは、人間の欲であろう。

本番の批評でドイツ3紙はこぞって「ベルリン・フィルが最近これほど真剣に、そして広がりのある音で演奏するのはほとんど聴いたことがない。ベルリン・フィルのかつての時代の音(カラヤンの華麗さ、バーンスタインの情熱)を、まさに現代の音として再現してくれた」
と絶賛したのである。

小澤征爾は80歳になった。健康を願うばかりだが、村上春樹は演奏会後は日本に帰ったそうだが、小澤征爾はフランスに行くと言う。まさに世界で勝負する小澤である。

YouTubeに他人がヘルベルト・フォン・カラヤンなどの「エグモント」をアップしているので、参考までにお聞きください。

中学校で講話と尺八演奏

2016-06-18 14:56:00 | 音楽・日々是尺八
大和市つきみ野に在住の頃、中学校で「地域の人による講話」があった。

2009(平成7)年5月に、つきみ野中学校では日曜参観で「地域の人による講話」の講師を募集しており、先生の家庭訪問時に妻が「主人が尺八をやっており、やってみたいと言っている」と先生に話したところ、採用された。

全学年19クラス一斉に行われ、サリン事件でテレビ出演が多かった大沢孝征弁護士や画家、元NHKアナウンサーもいた。

私は尺八の演奏なので音楽室で行われた。
資料として、自己紹介、尺八について、尺八の構造、尺八の種類、演奏方法、尺八の音階、楽譜(琴古流縦譜)を用意した。

受け持ちは1年4組で、その時に話した内容の小冊子があるので、そのままご紹介しよう。
私のテーマは「尺八と人生」だった。

まず挨拶がわりに北島三郎が歌った「仁義」を演奏。
「カッコいいね」(笑いと拍手)「今日初めて尺八の演奏を生で聞く人?」(多数挙手)「ほとんどの人ですね。予想通りでした。」

尺八は日本の楽器にもかかわらず、一生の間に生で聞く機会がない人もいるかも知れません。私にとっては非常に残念です。今日は良い機会ですので、尺八の演奏を中心に話をしたいと思います。

簡単に自己紹介すると、昭和23年長野県飯田市に生まれました。小さい頃から音楽が好きで、小学校では器楽班で小太鼓をたたき、中学・高校ではブラスバンドクラブでユーホニュームを吹いていました。大学のクラブでは一生の友達になれそうな気がした尺八を手にして、直接先生にもついて習いました。

大学卒業後、北島三郎公演で尺八伴奏をした事もありますが、とても尺八だけでは生活できず、翌年就職しました。
けれども尺八が好きでずっと続けているうち、リサイタルやNHKラジオにも出演できました。
現在は脱サラして自営業(2年前に閉店)のかたわら尺八演奏会の出演や家族の箏と一緒にミニコンサートを時々開いております。

尺八の説明
尺八は中国(原型は中国だが日本で発達した)から伝来し、長さが一尺八寸あるところから尺八と名付けられました。流派は明暗流・琴古流・都山流等があります。
構造は前に四つの穴と後ろに一つあるだけで簡単ですが、吹奏上は半音が出にくいのでむずかしく訓練が必要です。

又、現代では合奏曲の多様化で色々な長さがあり、高音用の一尺六寸管から低音用の二尺三寸管が良く使用されます。(吹奏して音の高低を聞かせる)吹奏上の特徴は一音一音を舌で切らず、指を押して切ったり、ポルタメント奏法が楽にできることです。

楽譜は音程のロツレチリをそのままカタカナで表しており、まるでお経のようですね。

尺八の演奏
①尺八古典本曲の「鹿の遠音」は雄鹿と雌鹿の鳴き合う様子を曲にしたものです。
②八橋検校作曲「六段の調べ」から初段
③宮城道雄作曲「春の海」
④民謡「こきりこ」を二尺管と一尺八寸管で吹き比べる。
⑤現代曲の一部(長澤勝俊作曲 詩曲)
⑥プレスプラード作曲「マンボ№5」も出来ますよ。(受けた!)
⑦田仲先生のピアノ伴奏(主にコード)でぶっつけ本番ですが「アメリカンパトロール」
⑧北島三郎「与作」(お父さんお母さんにも受けた)

まとめ
私は28年間尺八を吹き続けている訳ですが、吹くことが私の自己表現なのです。こうしていきなりピアノと合奏出来ますし、アメリカでも尺八を吹いた時、喜んでもらえました。

皆さんも若いうちに何か好きな事を見つけてチャレンジするといいと思います。例えば釣りとか、ピアノ、テニスでも良いでしょう。とにかく好きな事を得意にし、それを一生続ける事です。そうすれば仲間も増え、心豊かに充実した人生となるでしょう。

生徒感想 Sさん(女性)
「北原さんが尺八と人生について話して下さる。」と先生は言っていた。
私は近所で尺八を吹いていた人がいたから音は知っていたけど、指や楽譜を見たのは初めてだった。すごいなぁと思ったところは、すごく早く吹いている時だった。

どの指を動かし、どこを押さえているのか全然わからなかった。
それと顔を見た時とっても真剣に私達に尺八の事を教えて下さっているんだな、と思った。

楽譜と言えば、音とリズム、音符がのっているものだとしか思っていなかったけれど、字の音符(楽譜)があるということは、今回とてもびっくりした。それを見て吹ける北原さんはすごい。

最後に少し人生について語って下さったけれど、趣味を持って生きるということは、とても良いことなんだなって思った。この話を聞いて、いろんな事を覚えて、教わったと思う。(原文のまま)

この時、地元紙の記者が取材に来たらしく、地元紙と大和市の広報誌にも記載された。
それは次のようである。

尺八奏者北原康夫氏の講話「尺八と人生」は生の演奏とユーモアを取り混ぜた話ぶりで人気が高く、生徒も参観に訪れた父母も楽しみながら受講していた。

NHKFM出演

2016-06-15 10:37:00 | 音楽・日々是尺八
未だ会社勤めだった1991(平成3)年3月、青木鈴慕師のご指名により、FHKFM「邦楽のひととき」(現在は午前11:20~11:50)に出演させていただいた。
邦楽のうち、箏と尺八は毎週月曜日に放送である。

最初に出演したのは「明治松竹梅」で、箏は米川社中の藤代文津奈、斉藤文香代ら3人の賛助出演だった。(私はNHKに出演出来るオーディションを受けていないが、多分青木先生の推薦だったから出演出来たのであろう)

大田区大森の「米川会館」へ2回程伺って練習し当日も練習後、箏屋さんのワゴン車で一緒にNHKスタジオに入った。
録音は一発録りだった。初めてにしては、あまり極度の緊張はしていなかった。

この「明治松竹梅」が放送された時の、曲の紹介アナウンサーは有名な葛西聖司氏だった。
独特の丁寧で、やさしく包むような声で紹介していただけて、大変光栄だった。

初めて放送されて、名前が出た時は身震いした。

それから15~16年位経ったのであろうか。飲食店で偶然隣り合わせでお会いした件は、以前グログに記載したが、改めて記すと西新宿の相撲料理「方屋」での昼食時の事である。

葛西氏とは面識は無い。テレビの邦楽番組で顔を知っており、本当に千載一隅のチャンスでここで声をかけなかったら、一生悔いが残ると私の放送時の事を話してみた。

当然、葛西アナはラジオの「ニュ-ス」や「邦楽番組」で忙しく、一つ一つの事は覚えている筈がない。「そうでしたか」で済まされてしまった。止むを得まい。
ただ、お礼を言って邦楽界の世間話をした。

さて、2回目の放送は1991(平成3)年7月の「泉」だった。
箏は上條妙子。青木先生に依頼され、高田馬場の研究所(稽古場)で練習は一回のみだった。

しかし、私はこの曲は習ってなかったので、楽譜の間違いはその場で指摘された。
一通り練習した後、先生に「うん、いいものを持っているね」と褒められて、うれしかった。

録音当日、NHKスタジオには箏の運搬を手伝った青木鈴慕師のご子息、彰時氏も入っていた。

先ず、一回リハーサルしたのだが、音がかすれて出ない。非常事態宣言である。心臓はバクバク、顔面蒼白。

しかし。本番では心を強く持って、開き直り、無事上手く演奏出来た。

この時の状況は1991年9月、高校卒業25周年記念誌に掲載されたので引用する。

NHK録音のこと(6月25日)

「本番行きます。エー泉」NHK509スタジオの広い空間にマイクから太い声が流れる。緊張の一瞬だ。

イントロは箏の独奏で「シャンシャンシャンシャン」と始まる。順調なスタートだ。さあ頑張るぞと自分に言い聞かす。直前のリハーサルでは緊張のため唇がこわばって、尺八の音がスカスカしていた。本番は大丈夫だろうか、不安の気持ちが頭をよぎる。

箏の独奏が終わった。さあ合奏の始めの小節だ。きれいに吹こう、そう思って音を出す。
あっ、リハーサルより音が良い。律も良い。調子は良さそうだ。尺八は本来音の狂い易いことこの上ない。穴が五つしか開いていない。メリ・カリの奏法で♯・♭等正しい音を出すのは困難である。

何がそうさせたのか、尺八が好きだ。楽器の単純さゆえの奏法の難しさ。奥の深さに魅かれる。オーケストラも入る広いスタジオは残響も十分だ。

途中までどうにか来た。さあ次は尺八の独奏だ。気合を入れる。無難だった。再び合奏。テンポを速めてテクニックを必要とする終わりに近づいた。掛け合い良し。後はハのトリルだ。ちょっと短かったが箏がうまくつないでくれた。

「ハイ、御苦労様でした」一発で決めたうれしさがあった。
7月29日NHKFMにオンエア。全国に流れた。


本番で上手く行ったのは幸運だった。お蔭様で多分好評だったのだろうか、1992年6月に再放送された。
残念ながら、あの時以上の演奏がもう出来ないのである。

3回目の放送も米川社中で「末の契」だった。1992(平成4)年3月に放送。
今度は箏 米川文威清(現米川文清)、三絃 五月女文紀の賛助出演である。

米川文勝之(ふみかつ=現米川文子人間国宝)先生の指導の下、やはり2回ほど練習に伺った。
この時、米川先生の調絃時の音に圧倒された。もう音そのものが芸術だった。

この曲は本番で手事に入って高音の連続ヶ所で間が合わず、大変残念だったが録音は一回で終了した。一般の人には判らないかも知れないが、私には悔やまれる演奏となってしまった。