北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

信陽舎 舎友会総会で尺八

2024-09-13 16:11:37 | 音楽・日々是尺八

一度投稿しても何度も見返すと、追加したい文が出て来て毎日のように、追加している。しつこくて済みません。

未だ猛暑が続く9月7日、信陽舎 舎友会の第8回総会が、新宿サンパーク7階で開催された。
信陽舎とは私が大学生時に4年間お世話になった寮である。総勢38名が出席した。

総会の後の懇親会で尺八演奏を頼まれて演奏してきた。余興としての尺八である。

自宅以外で演奏するのは調べてみたところ、7年前に高校同期会で演奏して以来だ。
与えられた時間は20分くらい。すべて暗譜するように努力してきた。候補にあげた曲を練習したところ、夜中に頭が冴えて眠られなかった。久しぶりなので不安もあった。

当日、会場で渡された式次第を見たところ、私の演奏は宴会が始まって30分後に始まるようになっていた。
これは皆さん騒いでいる最中で、聞いてくれるか心配だった。知人にも「もっと前にしてもらったら」と言われた。
今までの経験上はうるさくて、あまり聞いてくれなかった事もあった。
しかし、私は「大丈夫ですよ。聞いてなくてもやりますよ」と臨機応変に対応することにした。

実は昨年の総会は長野市であり、総会に地元の舎友会の父君が都山流(竹琳軒大師範)の尺八演奏をした経緯があった。
曲目は尺八本曲「鹿の遠音」、箏との「黒田節」「千鳥の曲」を演奏して大好評だったらしい。それで今年は北原に尺八をとなったそうだ。
私も過去、信陽舎が建て替えられた平成8年の記念パーティー(吉祥寺東急イン)で尺八を演奏していた。実に28年振りである。

信陽舎の連中は良く飲む。幸い私の長方形の長いテーブル席10人は当時在寮中に一緒になった人ばかりで、話が弾む。

酒が入って歓談中の大騒ぎの中、司会者から尺八の演奏を頼まれた。多少はビールを飲んでいた。少しは飲んだ方が唇の潤いがあって、良く音が鳴ると思う。

尺八を持って演壇に登ったところ、演台上に20センチくらいの高さのマイクがあった。
工夫すれば良いのにそのまま演奏に入った。本当は立ちマイクが必要だったのに。
演台上のマイクを近づけたり、離したりしてしゃべくりと演奏を繰り返した。演台がぶつかりそうで極めて演奏しづらく、歌口をマイクに近づけるためかなり尺八を真下に持ち、下を向きながらの演奏だった。

後で考えたら、演台の横に立ち、マイクを横に向ければ良かったのにと思った。

私は以前ライブでやってきたように、自己紹介と尺八の簡単な説明をした。
先ず尺八は前に4孔、後ろに1孔の説明から、音階でロツチレチリ。すなわちヘ長調で言うラドレミソで出来ており、ドから順に始まる曲がある。「ドレミソラドレミミミミー」とリズムをつければ「函館の女」になる説明をした。

そこで北島三郎の本により、この曲の出来た時の話で、作曲者がもう一行詞が欲しいと言われて、作詞者の星野哲郎は「ちょっとトイレに行く」と言い、帰って来たら「とても我慢が出来なかったよ」を付け加えたそうだ。これは本当の話である。

私が23歳の時に「新春北島三郎ショウ」で「仁義」を10日間伴奏したが、曲の最初の口上は「お控えなすって。私、生国と発しますところ関東です」だ。それをもじり、「寅さん」の口上をミックスさせて「私、生国と発しますところ信州飯田です。天竜川で産湯を使い、姓は北原、名は康夫。人呼んで尺八の北原と発します」と述べた。多分受けたと思う。
この頃気づいたのだが、会場はすっかりシーンとなって皆さんしっかり聞いてくれて、時には笑っていた。

尺八と言えば正月に聞かれる、宮城道雄作曲「春の海」だ。前半の部分を演奏した。
皆さんが聞く「春の海」は大概、二代青木鈴慕であると説明した。今は著作権が切れて誰もが演奏できる。

ペギー葉山が歌ってヒットした「ラ・ノビア」も演奏、いい曲だ。演奏後に友人から「ラ・ノビア」はいいねえと言われた。「春の海」も高音が良かったと。多分カモメが鳴いているところだろう。

長野県には「信濃の国」の県歌があるが、その中に「北に犀川、千曲川」とある。
信陽舎は長野県全体から集まるので、ゆかりの五木ひろしが歌った「千曲川」を演奏。五木ひろしは音域が広いので素人にはハードルが高い。

この日の為に楽譜のファイルを用意してテーブルの上には置いていた。曲の順番に楽譜を並べてあり、時々見ては確認していた。
演奏では暗譜で間違えてはいけないと曲順のメモまで持って行ったのだが、胸ポケットに入れるのを忘れ、肝心のメモはカバンの中だった。それさえ演奏中は忘れていた。

従って「千曲川」で演奏を終了してしまった。本当は未だ文部省唱歌の「ふるさと」を演奏する予定だったのに、忘れてしまった。席に着き隣人に「ふるさとをやらなかったね」と言われて初めて気が付いたのだった。

私の演奏は最後の出番だと思っていたから「信陽舎寮歌」と「信濃の国」も続けて演奏するつもりでいたら、その後は自己紹介の段取りだった。
総勢38名の自己紹介を面白おかしく聞いた。

そして、いよいよ最後に「信陽舎寮歌」と「信濃の国」を演奏した。
寮歌の楽譜は手元に無かったので、自分で作譜していた。結構覚えているものである。
2曲とも2番まで歌った。

同じテーブル席のIさんには「尺八よりしゃべくりの方が良かったぞ」とお褒めの言葉をいただいた。それはうれしい事である。

又、飯田市がテレビに出た話題になった。日本テレビの「秘密のケンミンショー極」に焼肉日本一だと放送された事だ。
人口1万人当たりの焼肉店の数が多いというものだ。確かに飯田は昔から「おたぐり」(馬の腸の煮込み)やジンギスカンなど焼き肉店が多い。

この総会に向けて名刺を作成する事にした。久しぶりの名刺作成である。
以前から書いているが、10年前まで新宿で印章店を営んでおり、未だ名刺の印刷機が自宅にあるのだ。
約5年振りに稼働することになったが、上手く印刷出来るか心配だった。埃だらけの古いパソコンと名刺印刷機を掃除した。
インクリボン式だからもう干からびているだろうとの予想通り、中にあったインクリボンは機械に巻き付いてエラーとなってしまった。そこで幸い未開封の新しいインクリボンがあったので交換してみた。大成功である。
このブログは以前とはサービス会社が違っているので修正する必要があり、又メールも変更していた。そこで50枚ばかり印刷出来た。

舎友会終了後は隣席のAさんと二次会に行って、若い舎友とも名刺の交換しながら飲んだ。
そうした中で、私が飯田のライブで一緒に演奏したギターの桑原氏と知り合いだという人がおり、話が盛り上がった。

私は久しぶりに飲み過ぎたようだ。
理事長も交え、さらに3次会(喫茶店)に向った。終わったは午後8時近かった。

信陽舎の28年前の演奏後の2次会で飯田市出身の高田先輩から、下久堅公民館の「新年の会」(平成9年1月)で演奏をこの時頼まれた。
飯田市に箏の先生がおり、一緒に演奏する機会を得た。そこには私のいとこが「郵便局長」もしており、出席された。
又、飯田では初めての演奏だったので、高校の同期や信陽舎の先輩、小学校の担任の佐川先生も来られた。

そのおかげで、高校同期の企画でライブ演奏会を3回ほど催してくれた。

又、平成10年1月には長野冬季オリンピック開催に当たり、下條村からもエールを送ろうという企画があった。
メインは「画家の原田泰治と峰竜太の対談」であったが、前座で私は「尺八オンステージ」のタイトルで演奏を行った。
この時も下條村在住の佐川先生もお見えになった。
やはり、信陽舎の先輩で現在村長の金田さんも来ていただいた。なんと金田村長は今回の信陽舎舎友会で隣の席だったのである。

佐川先生は演奏後、楽屋に訪ねてこられて、下條村の名物「ヨーグルト」を何本もいただいた。
その時に「北原君、同級会をやってくれ」と言われて、同級生に声をかけ、同級会につながった。先生は大いに喜んだ。
計算上小学校卒業後、37年振りということになる。
佐川先生からはその後、お礼の達筆なお手紙をいただいた。

来年の総会は松本だそうだ。
信陽舎の寮歌の詩が良いので、1番だけ掲げよう。
〽千山万岳そそり立ち 白雪絶えず水清し 四時の谷には花香り 世塵も遠くかよいこぬ ああうるわしきわが山河

信陽舎は私が入った時は旧館の古い3人部屋だった。その後は新館の2人部屋に入ったが、現在は建て替えられて1人1部屋である。
立派な施設であるが、このところ入る寮生が少なくなっているそうだ。
パンフレットも総会でいただいた。希望者を募集中だ。