2月10日と11日のNHKスペシャル『闘うリハビリ』を拝見しました。
ここでは、全般的視点から感想を述べます。CI療法を普及させる立場としての感想はhttp://blog.goo.ne.jp/craseedblogの方に述べる予定です。
テレビ番組には『切り口』が必要ですので、テレビにあった各種の検査や治療が、どのような診療報酬に基づいているのか、いないのか(病院側のボランティア)について触れる必要はないと思います。ちなみに、CI療法では、1日に2~3単位だけが診療報酬として請求しており、それ以外は自主訓練となっています。適宜声かけなど行っても、それは単位には含めていませんし、保険上認められるものでもないでしょう。
さて、切り口は、2つありました。1日目は『脳の可能性を追求する』、2日目は『早期から在宅までのシームレスリハビリ』。そして、大田仁史先生やゲストのコメントの通り、身体だけでなく心も支え、死ぬまで続くのがるのが、リハビリテーション医療です。
たとえば、麻痺側上肢について、治療者が勝手に「実用性がない」とか「効果なし」と決めつけるのではなく、そのわずかな改善をめざすことが、その後の人生を支え続けることもあるわけです。「訓練人生」というのは、治療者側の一方的な見方であり、その人はリハビリで闘いつつ、人生の全ての局面で闘っているわけです。
どの実例においても、長嶋茂雄さんと同様に、患者さんは必死に『闘って』おり、単純な『自立』という単語のために、QOLへの闘いに白旗を上げるような、これまでのNHKのリハビリに対するとらえ方は、なくなりました。
そのあたりのメッセージは伝わったと思います。早期リハビリテーションの方も、そこだけを伝えると、偏ったメッセージになりますが、同じ病院で、在宅のQOLの維持、向上について真剣にディスカッションしている姿は、リハビリテーション医療の幅広さが伝わったと思います。
これだけの可能性と守備範囲がありながら、リハビリテーション医療全般を制限しようとしている、と多くの人が思ったはずで、敢えて制度問題に踏み込まなかったことは、次につながる番組であったとも思います。
道免和久
ここでは、全般的視点から感想を述べます。CI療法を普及させる立場としての感想はhttp://blog.goo.ne.jp/craseedblogの方に述べる予定です。
テレビ番組には『切り口』が必要ですので、テレビにあった各種の検査や治療が、どのような診療報酬に基づいているのか、いないのか(病院側のボランティア)について触れる必要はないと思います。ちなみに、CI療法では、1日に2~3単位だけが診療報酬として請求しており、それ以外は自主訓練となっています。適宜声かけなど行っても、それは単位には含めていませんし、保険上認められるものでもないでしょう。
さて、切り口は、2つありました。1日目は『脳の可能性を追求する』、2日目は『早期から在宅までのシームレスリハビリ』。そして、大田仁史先生やゲストのコメントの通り、身体だけでなく心も支え、死ぬまで続くのがるのが、リハビリテーション医療です。
たとえば、麻痺側上肢について、治療者が勝手に「実用性がない」とか「効果なし」と決めつけるのではなく、そのわずかな改善をめざすことが、その後の人生を支え続けることもあるわけです。「訓練人生」というのは、治療者側の一方的な見方であり、その人はリハビリで闘いつつ、人生の全ての局面で闘っているわけです。
どの実例においても、長嶋茂雄さんと同様に、患者さんは必死に『闘って』おり、単純な『自立』という単語のために、QOLへの闘いに白旗を上げるような、これまでのNHKのリハビリに対するとらえ方は、なくなりました。
そのあたりのメッセージは伝わったと思います。早期リハビリテーションの方も、そこだけを伝えると、偏ったメッセージになりますが、同じ病院で、在宅のQOLの維持、向上について真剣にディスカッションしている姿は、リハビリテーション医療の幅広さが伝わったと思います。
これだけの可能性と守備範囲がありながら、リハビリテーション医療全般を制限しようとしている、と多くの人が思ったはずで、敢えて制度問題に踏み込まなかったことは、次につながる番組であったとも思います。
道免和久
前回・前々回に引き続き更なるマイナス改定。
いったい国はリハビリをどのように考えているのでしょう?