今、ここに在る。

まだまだ終わらない子育てのあれこれ、母として思う徒然を綴っています。

悲しい出来事。

2014-02-20 11:07:32 | 発達障害
2年前のことを思い出す。
ちょうど花粉の飛び始めた頃のニュースだった・・。

いつ、どうなってもいいと思っていた・・。
明日、そんなことになっても仕方がないと思っていた。

子供ができてからは、何とか生きねば・・。と強く思うようになった。
守るため、とか、そんなカッコいいことではなく、
「産んだ責任と義務」として生きたいと思った。

長男を出産した後、正確に言うと、ちょっと心配なことが
多くなり、
「ちょっと違うかも・・・」と思い始めた時。
何が何でも生きねば・・と思った。

この先、本当に見えていないし、
「自立するまで」とか「成人になるまで」とも
言えないけれど、生きねば・・ということは
必死に思うようになった・・。

反面、どう「生きれば」いいのかわからず、右往左往している。

2年前。
長男は療育に通っていた。今もお世話になっているが・・。
同じタイプのお子さんのクラスが定員いっぱいで
ちょっとタイプの違うお子さんと一緒です。と
たった二人だけのクラスで毎週学んでいた。

Rくん。
寡黙で落ち着いていて、ママの指示をしっかり聞いて
いる(ように見えていた)。
Rくんは言葉が出ない。
能動的に行動に出ない。
言っていることがわかるが、感情を表さない。
ということをママは悩んでいらした。

「そのうちに、そのうちに。きっと。」

と、お互いによく話していた。

おしゃべりがとても上手な関西から越していらした
ばかりのママ。
人懐っこい関西の方らしい冗談も多く、よく笑った。

療育にも熱心で、あちこちへ相談。療育と行っていらした。

長男は感情のままに動くので、指示がはいりづらい。
一日中、黙っていることはない。
正直、うらやましくも思える静かなお子さんだった。

「足して2で割りたいね」とも言っていた。
子供たちが療育をしている間のつかの間のおしゃべり。
なるべく距離をとっておつきあいしていこうという
スタンスだったけれど、お互いの困り感からグッと
距離が縮まった。
年頃も近く、親近感をお互いに感じた。

12月の最終週。お休みなんだね。
12月は忙しいからかな~と思っていた。

1月2週、3周。あれ?しばらくお休みかな?
ご実家へ帰られたかな?

長男は一人で療育に取り組むことになっていた

2月第1週・・それにしてもお休みが長いな・・。
先生に聞いてみようかとも思った。

そんな時に飛び込んできたニュース。
かなり衝撃的で、悲しく・・

うちでもきっとあったかもしれない・・。

「ママが横たわるそのそばで、ただただ衰弱した
4歳の男の子・・。
机の上にはお弁当、冷蔵庫には食べ物もあり・・・。
一切手をつけておらず・・・。
ママのその後、一週間か10日ほど、その状態で
いたと思われる・・・。

発見された時には、すでに1カ月半経過していた・・」

その時には思わなかった。
ショックで、「どうして・・」としか・・。

報道が気になり、記事を探す。

「4歳になったばかりの男の子には知的障害があり・・」

とっさに脳裏にRくん親子・・の。

「ま・まさか・・」

記事に実名があがっていた・・。

その衝撃は表現しようがない・・・・。

「なぜ?」
「なんで?」
「何か出来なかったか・・」

パニックを起こした・・・。

報道はあれこれ書いていた。
行政・医療・福祉 どこにも責任がなく
親御さんに問題があるかのように・・。

違う!!!違う。

Rくんは能動的に「食べる」ということをしなかった。
「声」を出すことをしなかった。
ただ、ただ、ママの後に静かにいた。

どんな思いだったろう・・。
ママもずっときっと、動けなくなって
Rくんに声をかけていたに違いない。

「Rくん、食べよ。」って・・。

ずっとママに寄り添っていたに違いない。
ママの意識はずっと
「Rくん」にあったに違いない・・。

『知的障害の子を持って母子家庭』自殺行為だろ・・。
という言葉が投げかけられた。

そう望んでいたわけじゃない・・。
そうしたくてしたわけじゃない。

ママだって、一所懸命に生きていた。

私の中には、いつもRくん親子がいる。

「家族」の存在が何とも鬱陶しくなってしまった時。
私だけ、どこかへ行ってしまいたくなった時。

「現実」を予測するのが容易になる。

私の中で大きく「抑止力」になっている。

長くなったので、またいつか続きを・


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