先週、何文字くらい文字を書いたのか、ということが、殊更に気になった。
全部パソコンでの資料作成だったので、一個にまとめてざざっと文字カウントをしたら、78,893文字だった。400字詰め原稿用紙197枚分になるわけ。
一週間、と考えると、多いのか少ないのかはよく分らないけど、普段書いている分量からしたらかなり多い。
これで、私が作家か何かであったら、今が稼ぎ時、とか思うのだろうけど。
そういう意味では、すごく生産性がないなぁと思う。
これは普段よく考えるのだけど、
NPOってなんだろうかな、と。
のんぷろふぃっとおがにぜーしょん
非営利組織
事業収益を配当しないで事業に還元する、という意味では、非常にわかりやすくもあるのだけど(かつ、一般には理解されにくくもあるんだけど)、
なぜそうするのか、ということ。
営利組織の営利組織たる所以は、
社会的ニーズのある商品・サービスの提供によって金銭を得、それを従業員に還元し、他の支出をカバーした上での利益の余剰を経営者や(いる場合は)役員、株主に対して配当するという、所謂「商売」なわけだ。
そこでノンプロフィットは必要経費を支出した上で余剰が出れば、それらを配当することはせず、事業に還元する。
よく言われるのは「NPOってボランティアなんでしょう?」ということだけど、人件費は必要経費だし、必要な経費についてはもちろん計上できる。
ところで、RC-NETはNPO法人ではないし、今後そうする予定もない。
ただの任意団体である。
そしてスタッフも、専門家でもなければプロでもない。一般市民である。
ただ、ちょっと想いがあって、ちょっと勉強して、ちょっと、実践をしている。
そこで、ではなぜNPOと名乗るのか、と言う問題に出くわす。
それはなぜなら、
「ノンプロフィットの概念が好きだから」だ。
日本ではなぜかNPO=特定非営利活動法人、と思われている節がある。
これは解せない。
NPOは国のものではない。NPOは、市民のものだ。
企業の最終到達地は「金」で判断されるが、NPOの最終到達地は、「人」で判断される。
お金というのは成功の一つの判断基準だしそれに対する憧れはすごくあるけど、
私は自分の働きに見合ったお金があればいいな、と思う。
まさに、“余剰”については、他の事業であったり、いろんな社会的問題に対して還元していければいいと思う。無駄なものはいらない。
お金と言う無機質なものを生み出すことに喜びを特には感じていない。もちろん、旅行も沢山いきたいし、おいしいもの食べたいし、テレビは大きい方がいいし、好きな車に乗りたいし、庭付き一軒家とか住みたい、とかも思ったりする。欲しいと思ったものは手に入れたいし、その欲求についてはたぶん、普通(か、それ以上)に持っている気がする。だから、働いた分の収入は欲しい。余剰まで自分のものにしようとは思わないんだけども。
社会において、暮らしやすい社会を作ることだったり、その担い手を育てることだったり、そうした有機的な活動にこそ喜びを感じる。NPOの基本になるのは、「有機的な活動」なのだと思う。
生産性がどうだろうが、実はそれはすごく有機的な活動で、人を、社会を、育てるものにもなるわけ。
と、ここまで言ったら分るかもしれないけど、
結局のところ実際は、そこにお金という最終到達点が介在しようが(要は、企業であろうが)、NPOには成り得る。
株式会社も有限会社もLLPもLLCもなんでも、NPOは出来るわけです。
え、じゃあなんで「営利企業と非営利組織の違い」とか語ったの?といえば、
最初の頃に言った通り、NPOを概念として捕らえているから。確かに社会的な棲み分けはあるけど、それを踏まえた上でも、概念としてはどこにでも補充・補足できるものだ、と。
違いっていうのは、これまでの経営者、そして国が後付けでどんどん継ぎ足しているイメージなわけで、
実は、また後付けで、どうにでもしていくことが出来るもの。
要は、それぞれの「やり方」っていうのは、自分でどうにでもしていけるんだよ。ということ。
今のこの社会に毅然として立ちはだかる「当たり前のイメージ」の前で立ち尽くす前に、
自分で思ったことだったりやりたいことだったりを形にしていく中では、たくさんの道があるし、それでもなければ作ればいい。
いろんな人がいろんな事を言うけども、
別に今のシステムが全て正しいわけでもなければ、これからの人たちでどんどん更新して向上させていくべきものなんだ。
ただ、現状のNPOに足りないものは、「必要な経費を計上する力」に他ならない。
「働いた分、もらえれば」が、出来ない。
これじゃあ、次の世代を育てられない。
きっと、これまで企業経営をしてきた人から見たら、
すっごいあまっちょろいのかもしれない。
そう、経営に関しても「プロじゃない」から。この現状は、よくない。
日本と言う国は、寄付という概念がまったく浸透していない国だから、欧米諸国のNPOのように、収益事業なしに活動をすることが出来ない。運営状況のいいNPOを見れば、一部の「うまい」経営者のいるNPOか、研究者を抱え国などからでる研究費で事業を行ったり、というところだ。本当に氷山の一角。
頭と金が物を言うところ。
私には強力な頭もお金もないので、じゃあ何を売りに出来るのか、というと、
プロデュース力だ。
社会的にどうアプローチをするか。
もう、想いある人たちだけで物事を進めるには無理があるんじゃないかと思う。もっと、ふつーの、まわりにいる、社会の人々に目を向けなきゃいけない。
会議室の中で話し合うのはもう沢山なのだ。
青空の下、大きく声を出したい。
そして、社会の中で生きていきたい。
その第一弾が、レイプクライシス・フェスだ。
もっと社会に出て行こう。
ライブに行くなら、そりゃあしんみり聴きたい日もあるけれど、オールスタンディングであればどうせなら、最前列行って飛び跳ねたい。
NPOの活動は、もっと社会に浸透して然るべきものだ。
それは、絶対に向こうから来てはくれない。
私たちから、進んでいかないと。
そうしたら絶対、需要はあるはずなのだ。
収益事業が収益事業として成立する理由は、需要がある、ということだ。
需要の中には、絶対に見えてくる「問題」があるのだ。
ということは、需要には、社会問題を明らかにするヒントも隠されている。
NPOとして、収益事業と非収益事業を両立することは可能だ。
事業全てを収益事業にするのではなく、事業全てを非収益にするのでもなく、
やれる方法はあるはずだ。
レイプクライシス・フェスが実施されたら、絶対にそれを体現することが出来る。
ただの一市民が、社会のために、そして、性暴力被害者のために、動き出す。
そして、そうしたことで生きていく人間を、私はこれからの時代にたくさん作りたい。
全部パソコンでの資料作成だったので、一個にまとめてざざっと文字カウントをしたら、78,893文字だった。400字詰め原稿用紙197枚分になるわけ。
一週間、と考えると、多いのか少ないのかはよく分らないけど、普段書いている分量からしたらかなり多い。
これで、私が作家か何かであったら、今が稼ぎ時、とか思うのだろうけど。
そういう意味では、すごく生産性がないなぁと思う。
これは普段よく考えるのだけど、
NPOってなんだろうかな、と。
のんぷろふぃっとおがにぜーしょん
非営利組織
事業収益を配当しないで事業に還元する、という意味では、非常にわかりやすくもあるのだけど(かつ、一般には理解されにくくもあるんだけど)、
なぜそうするのか、ということ。
営利組織の営利組織たる所以は、
社会的ニーズのある商品・サービスの提供によって金銭を得、それを従業員に還元し、他の支出をカバーした上での利益の余剰を経営者や(いる場合は)役員、株主に対して配当するという、所謂「商売」なわけだ。
そこでノンプロフィットは必要経費を支出した上で余剰が出れば、それらを配当することはせず、事業に還元する。
よく言われるのは「NPOってボランティアなんでしょう?」ということだけど、人件費は必要経費だし、必要な経費についてはもちろん計上できる。
ところで、RC-NETはNPO法人ではないし、今後そうする予定もない。
ただの任意団体である。
そしてスタッフも、専門家でもなければプロでもない。一般市民である。
ただ、ちょっと想いがあって、ちょっと勉強して、ちょっと、実践をしている。
そこで、ではなぜNPOと名乗るのか、と言う問題に出くわす。
それはなぜなら、
「ノンプロフィットの概念が好きだから」だ。
日本ではなぜかNPO=特定非営利活動法人、と思われている節がある。
これは解せない。
NPOは国のものではない。NPOは、市民のものだ。
企業の最終到達地は「金」で判断されるが、NPOの最終到達地は、「人」で判断される。
お金というのは成功の一つの判断基準だしそれに対する憧れはすごくあるけど、
私は自分の働きに見合ったお金があればいいな、と思う。
まさに、“余剰”については、他の事業であったり、いろんな社会的問題に対して還元していければいいと思う。無駄なものはいらない。
お金と言う無機質なものを生み出すことに喜びを特には感じていない。もちろん、旅行も沢山いきたいし、おいしいもの食べたいし、テレビは大きい方がいいし、好きな車に乗りたいし、庭付き一軒家とか住みたい、とかも思ったりする。欲しいと思ったものは手に入れたいし、その欲求についてはたぶん、普通(か、それ以上)に持っている気がする。だから、働いた分の収入は欲しい。余剰まで自分のものにしようとは思わないんだけども。
社会において、暮らしやすい社会を作ることだったり、その担い手を育てることだったり、そうした有機的な活動にこそ喜びを感じる。NPOの基本になるのは、「有機的な活動」なのだと思う。
生産性がどうだろうが、実はそれはすごく有機的な活動で、人を、社会を、育てるものにもなるわけ。
と、ここまで言ったら分るかもしれないけど、
結局のところ実際は、そこにお金という最終到達点が介在しようが(要は、企業であろうが)、NPOには成り得る。
株式会社も有限会社もLLPもLLCもなんでも、NPOは出来るわけです。
え、じゃあなんで「営利企業と非営利組織の違い」とか語ったの?といえば、
最初の頃に言った通り、NPOを概念として捕らえているから。確かに社会的な棲み分けはあるけど、それを踏まえた上でも、概念としてはどこにでも補充・補足できるものだ、と。
違いっていうのは、これまでの経営者、そして国が後付けでどんどん継ぎ足しているイメージなわけで、
実は、また後付けで、どうにでもしていくことが出来るもの。
要は、それぞれの「やり方」っていうのは、自分でどうにでもしていけるんだよ。ということ。
今のこの社会に毅然として立ちはだかる「当たり前のイメージ」の前で立ち尽くす前に、
自分で思ったことだったりやりたいことだったりを形にしていく中では、たくさんの道があるし、それでもなければ作ればいい。
いろんな人がいろんな事を言うけども、
別に今のシステムが全て正しいわけでもなければ、これからの人たちでどんどん更新して向上させていくべきものなんだ。
ただ、現状のNPOに足りないものは、「必要な経費を計上する力」に他ならない。
「働いた分、もらえれば」が、出来ない。
これじゃあ、次の世代を育てられない。
きっと、これまで企業経営をしてきた人から見たら、
すっごいあまっちょろいのかもしれない。
そう、経営に関しても「プロじゃない」から。この現状は、よくない。
日本と言う国は、寄付という概念がまったく浸透していない国だから、欧米諸国のNPOのように、収益事業なしに活動をすることが出来ない。運営状況のいいNPOを見れば、一部の「うまい」経営者のいるNPOか、研究者を抱え国などからでる研究費で事業を行ったり、というところだ。本当に氷山の一角。
頭と金が物を言うところ。
私には強力な頭もお金もないので、じゃあ何を売りに出来るのか、というと、
プロデュース力だ。
社会的にどうアプローチをするか。
もう、想いある人たちだけで物事を進めるには無理があるんじゃないかと思う。もっと、ふつーの、まわりにいる、社会の人々に目を向けなきゃいけない。
会議室の中で話し合うのはもう沢山なのだ。
青空の下、大きく声を出したい。
そして、社会の中で生きていきたい。
その第一弾が、レイプクライシス・フェスだ。
もっと社会に出て行こう。
ライブに行くなら、そりゃあしんみり聴きたい日もあるけれど、オールスタンディングであればどうせなら、最前列行って飛び跳ねたい。
NPOの活動は、もっと社会に浸透して然るべきものだ。
それは、絶対に向こうから来てはくれない。
私たちから、進んでいかないと。
そうしたら絶対、需要はあるはずなのだ。
収益事業が収益事業として成立する理由は、需要がある、ということだ。
需要の中には、絶対に見えてくる「問題」があるのだ。
ということは、需要には、社会問題を明らかにするヒントも隠されている。
NPOとして、収益事業と非収益事業を両立することは可能だ。
事業全てを収益事業にするのではなく、事業全てを非収益にするのでもなく、
やれる方法はあるはずだ。
レイプクライシス・フェスが実施されたら、絶対にそれを体現することが出来る。
ただの一市民が、社会のために、そして、性暴力被害者のために、動き出す。
そして、そうしたことで生きていく人間を、私はこれからの時代にたくさん作りたい。