今年は冬らしい冬なので寒いですね。
あまりにも寒いので、ブログだけでも一足はやく菜の花畑にしてみました。
やはり人は暖かいのがいいですよね。
死刑廃止論者の私はとうとう日本の人口の20分の1の存在になってしまいました。個人的には上等だ、やってやる、と思いますが(人と違うのは慣れている)、世の中が本当に厳罰化の意識で満ち満ちていると分かると、正直、さびしい感じがします。
関西で言うと、カラオケ店放火殺傷事件がありました。
日本全体でいうと、秋葉原連続殺傷事件がありました。
多数のなんの罪もない人がまるで戦争が起きたように亡くなり、大怪我をされたのです。それも1人の犯人の手によってです。社会が動揺するのは当然です。死刑廃止論者は10人の無辜の民を殺した犯罪者でもなお死刑にしないのか、被害者の気持ちはどうなる、という圧倒的な社会の逆風に真正面から挑まねばなりません。
他方、足利事件の再審開始があり、私たちは全く無実の菅家さんが獄中に17年半もおられたことを知りました。
私は推定無罪といい続けていますが、もはや推定無罪が及ばない確定判決でも誤判はある。もし、えん罪だったら死刑が執行されたら取り返しがつかない、ということまで社会は想像できないんですね。少しの想像力でいいのに。
私が司法試験の勉強をしていた1980年代には財田川事件など4つの死刑判決について再審無罪判決が出ました。「死刑台からの生還」といわれています。
死刑廃止論の根拠はもう出尽くしているので、今さらいっても仕方ない、そうあきらめる心が今の世論を造ったのだと思いますから、すこしお話したいと思います。
えん罪のこと、憲法が禁止する残酷な刑罰に当たること、死刑を廃止しても存続しても凶悪犯罪の発生には影響がないこと(イギリス、アメリカなどで実証済み)、などが今思いつく根拠です。
世界で死刑を実行しているほとんどの国が日本以外は中国、イラン、サウジアラビアなどアジア・アフリカで、イスラム教国も目立ちます。
いわゆる先進国では死刑実施国はアメリカと日本しか残っておらず、アメリカでも20州近くは廃止していることも、根拠ではありませんが日本人が抑えておくべきところでしょう。
ウィキペディアの地図参照。
世界198ヶ国の色分けは次の通り。(2009年現在)
青 :あらゆる犯罪に対する死刑を廃止(94ヶ国)
緑 :戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(10ヶ国)
橙 :法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。(35ヶ国)
赤 :過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(58ヶ国)
いわゆる先進国の中で、アメリカと日本では犯罪に関する状況が余りにも違うので別に考えていいと思うのです。落ち着いた先進国では日本だけということになります。
なぜ、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止し、死刑廃止がEU加盟の条件になっているかというと、一番の理由が国家が殺人をするような国は信用できないということなのだと思います。
私が死刑を廃止すべきだと思っている一番の理由もそれで、国が人を殺す文化のままでは決して人が人を殺すことが減りはしない、ということなんです。
被害者になるかもしれない人の命を守るためには、社会が人の生命を限りなく大事にし愛おしむ、そんな文化が大切なのだと思うのです。そこでは他人の命を奪った人は終生刑務所で生きることはあっても、国から命を奪われることはない。
死刑が存続することは人が人の命を奪うことを結局容認することです。しかも、それを国家がやることは非常に恐ろしいし、国民心理への悪影響も大きい。
この国は、やられたらやりかえせ、それだけの国ではなかったはず。
被害者が死刑を望むことは当然です。しかし、国の政策で死刑をとるべきかは別のこと。
人の意識がどんどんささくれだち、死刑廃止などという悠長なことをいう気分ではないようです。死刑廃止、見果てぬ夢にならないように、何年かかっても国民を説得していくしかないですね。
核兵器のようになければないほうがいいと誰もが思うものを廃絶するのも大変なのに、多くの人がいいと思っているものを廃止するのは至難の業なんだろうなと思います。日本ではね。日本人とヨーロッパ人でこれほど意識が違うものなんでしょうか。
ここを訪れる方々も20人中17人は死刑存続論者なのだと思うと、コメント欄を見るのが怖い気もします。
たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります。アメリカ、中国や産油国の問題もあり容易ではありませんがもうその準備をしています。国連も動いています。
そうなったときに初めて日本が死刑廃止に直面するのではなく、外圧ではなく、自分たちの手で再生しなければなりません。
死刑制度:容認85%、過去最高 「被害感情おさまらぬ」増加--内閣府調査 毎日新聞 2月7日
内閣府は6日、死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。死刑を容認する回答は85・6%と過去最高に上り、廃止論は5・7%にとどまった。被害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる。
死刑制度について「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」(廃止)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認)、「わからない・一概に言えない」の3項目を選択肢とした。
容認は調査ごとに増加傾向にあり、今回の調査では前回04年を4・2ポイント上回った。廃止は0・3ポイント減だった。
死刑を容認する理由(複数回答)は「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」が54・1%で前回比3・4ポイント増。「命をもって償うべきだ」(53・2%)、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」(51・5%)はそれぞれ微減だった。
一方、廃止の理由(同)は、「生きて償ったほうが良い」55・9%、「裁判で誤りがあった時に取り返しがつかない」43・2%、「国家であっても人を殺すことは許されない」42・3%など。
調査は1956年に始まり今回が9回目。20歳以上の男女3000人を対象に昨年11~12月に面接方式で実施し、1944人(64・8%)から回答を得た。【石川淳一】
◇殺人時効「短い」過半数
内閣府が6日に発表した公訴時効制度に関する世論調査の結果で、現在の殺人事件の公訴時効期間(25年)を「短い」とする意見が過半数に達した。このうち、制度の見直し策として「廃止」を挙げた意見が約半数あった。公訴時効制度についての調査は初めて。
殺人の公訴時効期間について「短すぎる」と「どちらかといえば短すぎる」が計54・9%。「長すぎる」と「どちらかといえば長すぎる」は計10・0%、「これくらいで良い」は22・5%だった。
短いとした理由(複数回答)は「時間の経過で犯人が処罰されなくなるのはおかしい」が79・8%。以下、「時間が経過しても被害者の気持ちは薄れない」55・2%、「時間が経過しても犯人が判明する場合がある」36・9%など。
「短い」と答えた人に見直し策を尋ねたところ、「廃止」49・3%、「期間を延長」22・1%、「一定の事情がある場合のみ期間を延長」25・9%だった。
法制審議会(法相の諮問機関)刑事法部会は殺人罪の公訴時効廃止などを審議中。今回の世論調査結果は8日の部会に報告される。【石川淳一】
あまりにも寒いので、ブログだけでも一足はやく菜の花畑にしてみました。
やはり人は暖かいのがいいですよね。
死刑廃止論者の私はとうとう日本の人口の20分の1の存在になってしまいました。個人的には上等だ、やってやる、と思いますが(人と違うのは慣れている)、世の中が本当に厳罰化の意識で満ち満ちていると分かると、正直、さびしい感じがします。
関西で言うと、カラオケ店放火殺傷事件がありました。
日本全体でいうと、秋葉原連続殺傷事件がありました。
多数のなんの罪もない人がまるで戦争が起きたように亡くなり、大怪我をされたのです。それも1人の犯人の手によってです。社会が動揺するのは当然です。死刑廃止論者は10人の無辜の民を殺した犯罪者でもなお死刑にしないのか、被害者の気持ちはどうなる、という圧倒的な社会の逆風に真正面から挑まねばなりません。
他方、足利事件の再審開始があり、私たちは全く無実の菅家さんが獄中に17年半もおられたことを知りました。
私は推定無罪といい続けていますが、もはや推定無罪が及ばない確定判決でも誤判はある。もし、えん罪だったら死刑が執行されたら取り返しがつかない、ということまで社会は想像できないんですね。少しの想像力でいいのに。
私が司法試験の勉強をしていた1980年代には財田川事件など4つの死刑判決について再審無罪判決が出ました。「死刑台からの生還」といわれています。
死刑廃止論の根拠はもう出尽くしているので、今さらいっても仕方ない、そうあきらめる心が今の世論を造ったのだと思いますから、すこしお話したいと思います。
えん罪のこと、憲法が禁止する残酷な刑罰に当たること、死刑を廃止しても存続しても凶悪犯罪の発生には影響がないこと(イギリス、アメリカなどで実証済み)、などが今思いつく根拠です。
世界で死刑を実行しているほとんどの国が日本以外は中国、イラン、サウジアラビアなどアジア・アフリカで、イスラム教国も目立ちます。
いわゆる先進国では死刑実施国はアメリカと日本しか残っておらず、アメリカでも20州近くは廃止していることも、根拠ではありませんが日本人が抑えておくべきところでしょう。
ウィキペディアの地図参照。
世界198ヶ国の色分けは次の通り。(2009年現在)
青 :あらゆる犯罪に対する死刑を廃止(94ヶ国)
緑 :戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(10ヶ国)
橙 :法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。(35ヶ国)
赤 :過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(58ヶ国)
いわゆる先進国の中で、アメリカと日本では犯罪に関する状況が余りにも違うので別に考えていいと思うのです。落ち着いた先進国では日本だけということになります。
なぜ、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止し、死刑廃止がEU加盟の条件になっているかというと、一番の理由が国家が殺人をするような国は信用できないということなのだと思います。
私が死刑を廃止すべきだと思っている一番の理由もそれで、国が人を殺す文化のままでは決して人が人を殺すことが減りはしない、ということなんです。
被害者になるかもしれない人の命を守るためには、社会が人の生命を限りなく大事にし愛おしむ、そんな文化が大切なのだと思うのです。そこでは他人の命を奪った人は終生刑務所で生きることはあっても、国から命を奪われることはない。
死刑が存続することは人が人の命を奪うことを結局容認することです。しかも、それを国家がやることは非常に恐ろしいし、国民心理への悪影響も大きい。
この国は、やられたらやりかえせ、それだけの国ではなかったはず。
被害者が死刑を望むことは当然です。しかし、国の政策で死刑をとるべきかは別のこと。
人の意識がどんどんささくれだち、死刑廃止などという悠長なことをいう気分ではないようです。死刑廃止、見果てぬ夢にならないように、何年かかっても国民を説得していくしかないですね。
核兵器のようになければないほうがいいと誰もが思うものを廃絶するのも大変なのに、多くの人がいいと思っているものを廃止するのは至難の業なんだろうなと思います。日本ではね。日本人とヨーロッパ人でこれほど意識が違うものなんでしょうか。
ここを訪れる方々も20人中17人は死刑存続論者なのだと思うと、コメント欄を見るのが怖い気もします。
たぶん、近い将来、EUは死刑廃止国しか貿易しないという条件を掲げるようになります。アメリカ、中国や産油国の問題もあり容易ではありませんがもうその準備をしています。国連も動いています。
そうなったときに初めて日本が死刑廃止に直面するのではなく、外圧ではなく、自分たちの手で再生しなければなりません。
死刑制度:容認85%、過去最高 「被害感情おさまらぬ」増加--内閣府調査 毎日新聞 2月7日
内閣府は6日、死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。死刑を容認する回答は85・6%と過去最高に上り、廃止論は5・7%にとどまった。被害者・家族の気持ちがおさまらないとの理由が前回調査より増えており、被害感情を考慮した厳罰論が高まっていることが背景にあるとみられる。
死刑制度について「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」(廃止)、「場合によっては死刑もやむを得ない」(容認)、「わからない・一概に言えない」の3項目を選択肢とした。
容認は調査ごとに増加傾向にあり、今回の調査では前回04年を4・2ポイント上回った。廃止は0・3ポイント減だった。
死刑を容認する理由(複数回答)は「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」が54・1%で前回比3・4ポイント増。「命をもって償うべきだ」(53・2%)、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」(51・5%)はそれぞれ微減だった。
一方、廃止の理由(同)は、「生きて償ったほうが良い」55・9%、「裁判で誤りがあった時に取り返しがつかない」43・2%、「国家であっても人を殺すことは許されない」42・3%など。
調査は1956年に始まり今回が9回目。20歳以上の男女3000人を対象に昨年11~12月に面接方式で実施し、1944人(64・8%)から回答を得た。【石川淳一】
◇殺人時効「短い」過半数
内閣府が6日に発表した公訴時効制度に関する世論調査の結果で、現在の殺人事件の公訴時効期間(25年)を「短い」とする意見が過半数に達した。このうち、制度の見直し策として「廃止」を挙げた意見が約半数あった。公訴時効制度についての調査は初めて。
殺人の公訴時効期間について「短すぎる」と「どちらかといえば短すぎる」が計54・9%。「長すぎる」と「どちらかといえば長すぎる」は計10・0%、「これくらいで良い」は22・5%だった。
短いとした理由(複数回答)は「時間の経過で犯人が処罰されなくなるのはおかしい」が79・8%。以下、「時間が経過しても被害者の気持ちは薄れない」55・2%、「時間が経過しても犯人が判明する場合がある」36・9%など。
「短い」と答えた人に見直し策を尋ねたところ、「廃止」49・3%、「期間を延長」22・1%、「一定の事情がある場合のみ期間を延長」25・9%だった。
法制審議会(法相の諮問機関)刑事法部会は殺人罪の公訴時効廃止などを審議中。今回の世論調査結果は8日の部会に報告される。【石川淳一】
やはり、人間の可能性を信じるなら、たとえどれだけの凶悪犯罪を犯したとしても将来の社会復帰の可能性を閉ざすことはできないなと思いました。
死刑制度について考える際には、哲学や宗教、死生観など様々な思想もからんでくることに気付きました。
ヨーロッパで死刑制度が無くなった背景にはキリスト教的な発想がひょっとしてあるのかなと思いました。
正直、不勉強でよくわからないのですが、興味がわきましたので、いつか死刑制度を廃止した国々の刑罰制度や廃止にいたった考え方を探究してみたいなと思います。
父親の立場は,ただの被害者の父という側面を越えて,人種差別問題に発展してしまって。
でも,最後の最終弁論,「この話は白人の話です」なんて,ところは鳥肌たちました。
マシューマコノヒー。
死刑は反対です。
他人事としていうのではなくて,
人は許すことからしか安寧の気持ちに達しないからです。
非常に観念的で,法的根拠は何もありません。(恥)
個人的には評決の時みたいにすると思いますが、それでも死刑制度には反対していると思います。
反対派は5%ですよ。でも人命尊重の旗は高く掲げましょう!
少数派のfoxさん、はじめまして!
殺人の構成要件には該当するけれども、正当な業務として違法性が阻却されるかということですね。憲法違反なのでほんとは無理なのでしょう。
アリエスさん、はじめまして、傲慢ですみません。
ネのつくウさん、死刑存置国に死刑反対論者がいるのと同様ですね。世界の流れは廃止論なんだと思います。
もとさん。絶対社会復帰が出来ないのにしかも反省するって何のためなんでしょう。死刑を終身刑にする立場は哲学的な問題に答えねばならないと思うのです。人は何のために生きるか。
スクウォッター師、さすが明快ですね。筒井康隆的発想ですな。死刑の公開は必要だと思います。
もし先生の最愛の娘さんである未来ちゃんが殺人犯に残虐な殺され方で殺されてしまったとき、そして、裁判中も全く反省をしない被告人に対して、死刑廃止を支持している自信はありますか?
>被害者のためではなく自分達のために(大体当事者の存在を利用して責め立てるのは卑怯です)。
この部分、同感です。
>死刑を容認する理由(複数回答)は「死刑を廃止すれば被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」が54・1%。「命をもって償うべきだ」(53・2%)、「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」(51・5%)
こういう理由が上位を占めてるなら死刑は廃止しかないでしょう。言っちゃ悪いが野次馬根性じゃないですか。
誰の説か忘れましたが、どうしても死刑がしたいなら、裁判員制度ならぬ死刑執行員制度を作り一般国民を徴用して、のこぎり引きかナイフでメッタ刺しの公開処刑にせよ。と言うのがありました。同意したいですね。
生命を奪った者から生命を奪うという単純な報復に納得することができません。
また、被害者の遺族感情に、死刑がほんとうに答えることになるのかも疑問です。
絶対に社会復帰することができない刑罰制度を設けて、そこで徹底的に反省させるべきです。
日本とアメリカ以外のヨーロッパを中心とする先進国が死刑制度を廃止したのはなぜか、その背景にある思想などを考えてみる必要があると思います。
しかし、私利私欲のため或いは自らの感情を抑えることが出来ずに人を殺した人が死刑になることはやむを得ないと思います。
被害者のためではなく自分達のために(大体当事者の存在を利用して責め立てるのは卑怯です)。
それから、イギリスやフランスは死刑存置派の方が多かったにも関わらず死刑廃止に踏み切ったと聞きますし、死刑存置派は死刑廃止国の中にもかなりいるんじゃないでしょうか。
個人の欲望に基づく犯罪と、裁判を経て科せられる刑罰を一緒くたにするのが、そもそもの間違いです。
「人を閉じこめてはいけないと言っているのだから懲役刑はおかしい」「金を奪ってはいけないと言っているのだから罰金刑はおかしい」と言い出すようなものです。
刑罰そのものが成り立ちません。
どんな犯罪を行っても何の罰も受けない国に住みたいのなら、貴方の勝手ですが。
>ブログ主
> 社会は想像できないんですね。少しの想像力でいいのに。
この一文だけで、あなたが自分と意見が違う人を見下しているということがよく分かりますね。
先生の門下生ではないのですがw
私は死刑反対派ですが
死刑について昔から分からないのは
人を殺すなと国民にいっておいて(刑199)
なぜ国家による殺人=死刑が正当化されるのでしょうか?
確かに、リンチあだ討ち等々を防ぐために国家に刑罰権を集めたという趣旨までは理解できるのですが
それ以前に殺人を禁じたということは人殺しが『悪いこと』だという認識があったからではないのでしょうか?
であれば、国家だろうと人だろうと人殺しはまずいのではないかと考えております。
具体的な冤罪事件を議論したほうがわかりやすい気がします。
そうすれば、死刑や報道に対する意識も少しは変わると思います。
菅家さんでそれは身に沁みますね。取り返しのつかない時間たち。
だから推定無罪としつこくいっているのですが、だからといって刑罰を失くせとは私は思いません。死刑には独自の問題があると思います。
後から無罪でしたといっても、時間は戻らない。
有名な映画、怒れる陪審員を見て以来、冤罪の可能性をゼロにするためには結局全部無罪にするしかないのでは、と感じ続けています。
死刑制度の存在以前に、刑罰自体の存在にも、完全に割り切った回答をなしえないのではないか、と感じています。