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霊犀社2

第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

その時期には、もう日本は負けるんだとわかっていましたが、ともかく与えられた任務を遂行しよう

2007-08-01 11:10:58 | LinkRecords
ここから記者の方から質疑応答の時間に。

――ご対面を果たされて、率直に感想をお聞かせください。

フレッド・ミッチェルさんフレッドさん
「私たちと同じ人間なんですね。戦争中は敵を想像する時、様々な形を考えますが、ちょっと違う言葉は話しますが、私たちと同じハンサム・ガイではないですか!(笑)」

ユージーンさん
「カミカゼ攻撃を受けて生存した者の中には、恐怖や敵意を簡単に忘れられない人も大勢います。しかし、過去に何が起きたかを調べれば調べるほど、当時の切羽詰った日本軍が編み出した作戦だとわかり、兵士たちは私たちと同じような愛国心を持った人間だったんだと思います」

上島さん
「我々は同じ人間ですから、同じ感情を持っているんだと思います。その時その時の、自分たちが置かれた状況に忠実に任務を果たしたんではないかと思います」

――当時、特攻隊はどのようなイメージでしたか?

ユージーンさん
「船の中の噂では、特攻隊は飛行機から出られないように鍵をかけられていたとか、酔っ払ったり薬を飲まされたりして気が狂っていたとか聞いていました。今では、私たちと同じように家族を守りたい、国を守りたいという愛国心で飛んできたんだと理解しています。しかし、どういう風に命令されて死へと向かって行くことができたのか今でも疑問です」

そのユージーンさんの疑問に、上島さんは…。
上島さん
「私は学生から上がった士官でした。1945年3月に卒業した一人前のパイロットでした。ちょうどその頃、沖縄作戦が始まって、とにかく飛んで欲しいと上からの命令がありました。もちろん嫌だとは言えません。私は士官で多くの部下を率いていましたし。その時期には、もう日本は負けるんだとわかっていましたが、ともかく与えられた任務を遂行しよう、残った家族を守るため、日本を守るために飛んで行こうと思っていました」

1945年3月 沖縄作戦 日本は負けるんだとわかっていました
藤井一中尉
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