楽農倶楽部(別館)

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中山間地の集落営農は林業も考慮すべきである

2007年02月04日 18時07分38秒 | 環境・農林水産業
 中山間地での農業は確かに生産効率は悪いのですが、林業も考慮すれば総合的な生産効率を高めることができるのではないかと私は思います。

 2月2日に次の番組があったのですが、残念ながらところどころしか見ることができませんでした。

地域発!どうする日本「誰が支える!あなたの食卓~点検・農業改革~」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-02-02&ch=21&eid=34876

 出張先の飯場の連中は、あまりこう言う番組は観ない連中なのですな。(-_-;)
 まぁ、自らを頭脳労働者と認識(自慰)している方々であっても、あまり農業に関する情報に関心は無かったりしますから仕方が無い。でも、この手の人々が農業問題を語ると、Letter From Yochomachiのご隠居さんみたいな語り方をしたりするから問題なのですな。

 さて、この番組を観たお二方の記事を拝見して、今回の私の記事のネタにして行きたいと思います。(^^ゞ

今日の一貫:認定農業者は集落営農に参加すればいい。
http://blog.goo.ne.jp/ikkan_2005/e/6178bda2a1dd1ed7de788799afd8b4fd
テーマの問題に関しては昨日のブログにも書いたが、「誰が支えるあなたの食卓」というテーマの割には、輸入や、食品産業、外食等の状況が語られていない。テーマは「どこへゆく日本の農業」といったような内容では、、、しかしそれは許容範囲。

 ところどころ観た私もあまり内容の濃い番組とは思いませんでした。ゆえに、他の者に退屈させてまで、その番組を観ようとはしなかったのですな。
 この番組からはさほど学ぶことは無いだろうと言うことで。

課題はやはり②の構造問題への認識だろう。
特に中山間地問題。日本の農業は、担い手がいなくなり、耕作放棄地が増大している。
対応はどうすべきか?おそらくこれからどんどん担い手はいなくなるだろう。
これに対する解答は非常にナイーブなもの。
私なら、上勝のように、高付加価値農業で、、というのだが、、


 上勝先生ですか?私もそのような発言内容を聞きました。あまり具体的な問題解決策にはなりにくいですね。

中山間地は、もともと耕作者がいたから耕地となったところが多い。ということは逆も真で、担い手がいなくなったら山林に戻す、が正解では。

 昔の測量技術では棚田のほうが灌漑設備をつくりやすかったのもあると思いますが、森林が稼ぐ場所であったのも中山間地での農業が行われた理由だと思います。
 おそらく林業と農業の兼業の農家が主体ではなかったでしょうか?

 一貫先生の記事を読んでみますと、専業農家こそが農業の主体であるべきみたいな印象を受けるのですが、別に兼業でもかまわないと思うのですよね。
 だいたい、昔の農家の多くが農閑期は別な仕事もしていたわけですし。(^^ゞ
 春夏秋冬、各季節の農産物の生産に達者でなければ専業は無理ですね。
 雪国などでは冬場の農業と言えば畜産ぐらいのものでしょう?

 専門バカな学者連中は専業農家こそがマジメな農家と考えているようですが、専門バカらしい足元のおぼつかない考え方です。
 食うためには昔から皆が色んな仕事をして生きてきたわけですからね。
 そのような努力をしないですむような環境に自分があることを認識できない者が専門バカとも言えるでしょう。

 中山間地の農業が廃れてきた理由は簡単です。
 林業が廃れたから集落が廃れたわけで、集落が廃れれば農業も廃れます。
 ゆえに、逆も真なりで、林業を活性化させれば中山間地の農業も活性化できるはずです。

個人的に耕作が必要なら、中山間地の直接支払いもあることだし、個人の努力で維持するのがいいし、ノウハウがなく努力する人もいなくなったら山林に戻すよりほかないのでは。
マクロな視点から見た場合、農業の多面的価値以外、農地として維持する必要性は高くはないだろう。農業のマクロ的な価値のために、兼業農家に無理強いすることもできない(農地法上はできるが)。となれば、耕作できる人を募集するより他なくなる。建設業者等で、高付加価値農業をやりたいという人はいる。農業サイドはそうした人の受け入れ態勢を整備すればすむことではないか。それでもダメならそれは国民的にも必要性はなくなったということ。



 中山間地での棚田や段々畑での農業は生産効率が良くないのは明らかでです。
 農業だけで稼ぐなら平野部の農業のほうが有利なわけですから、中山間地で農業だけで稼いで食えと言う発想こそが問題なわけです。

 高付付加価値の農業をすべきだと言う方もありますが、その発想はあまりにも貧困です。(-_-;)
 棚田の米は確かに美味く付加価値はあるが、それは味の違いがわかる者がいて、その数が多ければ成り立つ話しである。
 他に美味いものもあるが、その価値を理解できる者が多くいてこその話である。

 高付付加価値の農業なんて、非常に思慮の浅い場当たり的な無責任な発想でしか無いから、具体的に何をどのようにつくれば良いと言う話にならないのですな。

 中山間地の農業は自給自足的な色合いが濃いもの(幾分かの余剰はあるがそれだけでは食えない)でありますから、農業以外の仕事を中山間地につくること。それが中山間地の農業を維持することになるのです。
 ゆえに、もともと中山間地の主要産業であった林業を活性化することが大事なのですな。

 別に林業にこだわる必要は無いのですが、工場などを誘致しようにも中山間部は交通の便が悪かったりしますので、企業もあまり来たがらないでしょう。
 中山間地に恵まれた資源であり、現在使わずに埋もれている資源である森林を有効に活用することができれば、それが中山間地で行うにふさわしい事業と言えます。

 政府の無策で外材に押されて衰退した日本の林業ですが、建築資材以外の用途に目を向ければ林業の復活の見込みはあると思います。
 石油が高騰した今日では、価格的には木質ペレットが灯油に対抗できるぐらいになりましたし、数十年もしないうちに大量石油浪費国の米中の石油が枯渇し、非常に石油が高価になることが予測されていますので、森林からバイオメタノールやバイオエタノールなどの燃料をつくることも考えられており、その技術も実用化しているのですな。

バイオマス利用技術
http://www.tsk-g.co.jp/tech/industry/bio.html
情報元:
月島機械株式会社
http://www.tsk-g.co.jp/index.html

バイオマスガス化メタノール製造システム
http://www.mhi.co.jp/power/techno/biomass/
情報元:
三菱重工業株式会社 原動機事業本部
http://www.mhi.co.jp/power/

 かさばる木材を遠くのプラントに運搬してアルコール化するより、中山間地にプラントを建設してできたアルコールを需要のあるところに運搬したほうが効率が良いはずです。
 中山間地に勤め先ができれば、過疎化対策にもなります。
 別に毎日プラントに勤務する必要はないわけで、農閑期にアルコールを生産するようなプラントの運営をすれば良いのですな。
 自給自足的な農業でも、食べ物を自分でつくれば無駄に金を稼ぐ必要が無いから持続的な森林利用にもつながるでしょう。

 また、石油と言う浪費できるエネルギーがあってこその外材ですから、石油が枯渇すれば建築資材としての国産材の用途も復活するでしょうから、中山間地の林業と農業を維持することは国策としても大事なことなのですな。

 ちなみに、バイオマス先進国のスウェーデンでは次のような政策をとっています。

Invest in Sweden Agency - 木材を基盤にした社会を目指す
http://www.isa.se/templates/News____38742.aspx
スウェーデンは豊富な森林資源を生かし、製材廃材などの木質バイオマスを利用したコージェネレーション(熱電併給)システムによる地域暖房の普及を進めています。すでに国内で利用する一次エネルギーのうち、約20%を木質バイオマスが占めています。そんなスウェーデンは今、自動車燃料をバイオマスに転換する壮大な計画を打ち出しています。
   ・
一方、スウェーデン政府は、普及支援策としてエタノール燃料に対応する乗用車を税制面で優遇しています。スウェーデン在住の経営コンサルタントの遠山哲央氏は次のように説明します。
「標準的な新車の税込み価格はガソリン車310万円に対し、エタノール車は350万円。約13%高いですが、最大で11万2000円の所得税控除が受けられます。また、55の自治体の支援と自動車販売会社の協力で、エタノール車などの環境配慮車は価格を4〜18%割り引く制度もあります」

さらに、燃料の税制優遇があり、木質エタノールはガソリンより低価格です。燃費を考慮した実用上の価格は、2005年9月時点でエタノールの方がガソリンよりも、1リットル当たり約14円安くなっています。
   ・


 森林資源についてはスウェーデンより日本のほうがはるかに有利な環境にあります。温暖な気候であるがゆえに、エネルギー密度の高い広葉樹を燃料資源として活用できるのですな。(^_^;)

 マスコミは石油業界の既得権益にどっぷりと浸かっていますから、この手の情報をあまり流すことはありません。
 しかし、NHKぐらい、公共放送の責務としてこう言う情報を積極的に流していただきたいものありますな。

どうするニッポンの散人の感想


 ご隠居さんとのドツキ漫才はまた今度。(^^ゞ


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
棚田が段々畑に... (空楽)
2007-02-04 21:40:24
 以前はインカの棚田と書いていたご隠居さんですが、現在ではインカの段々畑と書いています。(^_^;)

ピンからキリまである日本の稲作と、生産性を無視した画一的転作配分の矛盾(立花隆)
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1084425330/E728449141/index.html
棚田といえばインカ帝国の棚田が有名。チチカカ湖の周囲の山は全部太古の棚田の石垣が残っており船から見ると縞模様になっている。でもスペイン人が南米にやってくるずっと前に棚田は放棄されてしまったとのこと。生産性があまりに悪かったからだ。日本の棚田は、インカ人にも嗤われる。
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NHK地域発;どうする日本「誰が支える!あなたの食卓~点検・農業改革~
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1084425330/E20070202213159/index.html
散人は昔ボリビアでインカ時代の段々畑を見たことがある。すでに耕作されなくなって数百年経っており、段々畑の遺跡はとても美しい風景の一部として自然に溶け込んでいた。ガイドにスペイン人が來たから段々畑の耕作が放棄されたのかと聞くと、「いやインカ帝国時代に、すでにあまりに生産性が低くなったので段々畑は放棄され平地での耕作に移った」との説明だった。ニッポンの農業はインカの農業より遅れているのだ。
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 生産性が低くなれば放棄することが先進的なのかしらね。( ̄∀ ̄*)イヒッ

 ちなみに、棚田が段々畑に変わった理由は次の記事を読めばわかります。(^^ゞ

空楽: インカの塩は美味そうですなぁ (´ρ`)
http://kuraku.blog.ocn.ne.jp/weblog/2004/09/_.html
おや?
 ご隠居さんのブログに「インカの棚田」と言う写真が追加してある。
 でも、それは棚田とは普通は言わんと思いますよ。水路もないみたいですし、段々畑ではないかな?
投稿 空楽 | 2004.09.10 12:31 午後
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返信する
林業は… (テンペ)
2007-02-08 23:52:19
かなり難しいですねえ。
宮崎県みたいな事例もあるにはありますが、
国産材はかつての急増需要に十分応えることができなかったですから(「輸入材が安かった」だけではないのです)。

とはいえ、中山間地域の棚田管理は自然の維持・管理上の面でも必要なんですけどね。

中山間地直接支払いも、もっと使い勝手がよかったらいいのですけど…。
返信する
それと、 (テンペ)
2007-02-09 00:04:26
「上勝」は徳島県上勝町のことだと思います。

小さな町の大きな挑戦 ~徳島県上勝町の町づくり~
http://www.thinktheearth.net/jp/thinkdaily/report/rpt_16.html

島県の真ん中にある人口2,200人足らずの上勝町。この小さな町が、にわかに脚光を浴びています。その理由は二つ。一つはお年寄りが大活躍している第三セクター「いろどり」。そしてもう一つが、昨年9月に日本で初めて採択された「ごみゼロ宣言」です。即興的な町おこしに終わらない、アイデア溢れる町の取り組みに、住民が一丸となっているようです。小さな町の活力を探るため、全国から視察に訪れる人たちも今やひっきりなしだとか。「町づくりは人づくり」を合言葉に活動する、元気いっぱいの上勝町をレポートしました。


どこでも上手くいくかどうかは難しい面もあるでしょうけどね。
返信する
皆の足をひっぱるヒダリマキ連中 (空楽)
2007-02-09 20:16:05
>国産材はかつての急増需要に十分応えることができなかったですから(「輸入材が安かった」だけではないのです)。

 きこりのホームページ さんにその辺のことが書かれてますね。

どうして日本の林業がダメになったのか
http://www.kikori.org/ken-betu/mori-japan.htm

 ヒダリマキ連中の労働運動も日本の林業をダメにした原因のようです。(-_-;)

 ちょっと違う話ですが、さつま町に片倉製糸と言う製糸工場がある頃は、さつま町は養蚕が結構盛んで片倉製糸のあった、町の中心部もその周辺の地区も結構栄えていたのですな。
 ただ、片倉製糸も人絹や海外の絹におされて経営が苦しくなった時、宮之城に工場を残すかどうかで労働条件を労働組合と協議したのですが、労働組合に巣食うヒダリマキのバカどものおかげで宮之城から片倉製糸は去ることになりました。
 会社も苦しいと言う事情を察して、それなりの条件で妥協しておけば、工場もあまり稼げはしなくても存続したでしょうし、町も今みたいに極端に寂れることもなかったと思うのですがね。
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