ラッコ庵日乗

「不思議な話」や「ヘンな話」が大好きなラッコ庵の日記。

人はなぜ勉強するのか

2006年10月30日 | 世間話
・・・って、ご大層なタイトルですが、高校の未履修問題で考えました。

極言すると、
「人が勉強するのは幸福になるため」
だと思います。

わかりやすいのは、幼いうちから労働に駆り立てられて学校に行けない途上国の子供たち。学校に行って読み書きそろばんを習えば、いい職に就けていい生活ができるでしょう。

では、衣食足りた日本の高校で、世界史や地理や物理や古典や・・・をなぜ学ぶのか?
大学受験があるから・・・という答えが返ってきそうですが、では大学はなぜそれらの科目の履修を求めるのでしょうか?
それは、これらが大学生として、あるいは社会人として最低必要な「教養」だからだと思います。

教養。
「教養」ってトリビアの一種のように思われるかも知れませんが、一見役に立たないようなことが、生きていくうえで、それも幸福に生きていくうえで、意外に重要なポイントだと思うのです。
新聞を読むとき、海外旅行をしてきた人の話を聞くとき、「ああ、それ高校の授業で聞いたことある」と思うようなことが、ただ聞き流してしまう話に意味を与え、人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。
実際、教養としての知識が絶望のふちにある人に生きる力を与えて、生死を分けた例も聞いたことがあります。

インチキをした学校は、生徒のためと思ってやったのでしょうが、目先の利益にまどわされて、実は生徒から大事なことを学ぶ機会を奪っているのかもしれません。


♪勉強なさい
 勉強なさい
 大人は子供に命令するよ
 えらくなるために、お金持ちになるために
 あーあーあーあーそんなの聞き飽きた
 ・・・・・
 いいえ、よい大人になるために
 男らしい男、女らしい女、人間らしい人間
 そうよ、人間になるために勉強なさい!
                (「ひょっこりひょうたん島」より)