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アルツハイマー型認知症と診断されて。。。

2013-07-19 | 両親の介護記録(yahoo blog)
事の始まりは。。。
だんだんともの忘れがひどくなっていった父。 
それを母は電話で面白おかしくゆう。なんとはなしに聞いているとなんかおかしいから今はもの忘れ科があるから一度病院へ行ったほうがいいとゆうと、いやそんなにゆうほどひどくないと。。。こんなやり取りが一年以上続いたでしょうか。。。

2009年10月22日の朝、母が動けなくなって入院。。。数日後、毎日見舞いに行っていた父が疲れからか具合がわるくなって入院。
入院している間に父は軽いボケ症状がでてちょっとした徘徊があって病院から退院してくれといわれました。退院しても一人暮らしなので私や弟が頻繁に京都に行ってました。心配した母も早い目の退院をして。。。京都の家は段差がきつくってトイレも外なので、まだ完全に足が治っていない母には京都の家での生活は無理でした。それで私んちの近くに越してきました。

母が入院中に父が歩いているうちに急に足が動かなくなってこけたりするようになりました。 最初は一日に一回ぐらいだったのが2~3回と回数が増えて。。。あちこちアザをつくって。。。
心配した弟が北区のほうにある整体師さんへ行ったらどうやと。。。年が明けてから通うようになりました。でも3ヶ月通ってもよくならなかったので先生がJR丹波口の近くにある神経内科を紹介してくれました。

神経内科に通っていた父は2011年3月に入って薬が変わったとたん失禁をしたり自分で服が着れなくなったりと様子がおかしくなって、心配した娘が守山の病院がいいと会社の同僚に聞いてきたので3月下旬に予約をしていきました。
簡単な適性検査で認知症と診断されました。 ただ京都の神経内科の先生も認知症専門の先生なのでここでは見られないといわれ、京都の先生の紹介状をもらってきて守山のほうへ病院をかえました。
京都の神経内科に1年も通っていたのに一度も認知症とは言われなかったので、付き添っていた母はガンとして父が認知症だとは認めなかったですね。今でも納得してないようです。
このときの様子をこちらに書いています。

4月には総合病院でMRIなど脳の血流の検査をしてアルツハイマー型認知症と診断されました。
脳への血流は悪くって海馬も小さくなっていました。 なんでこんなことに。。。 
以前、心筋梗塞になって医療センターで20年以上もワーファリン(血液がサラサラになる薬)を飲んでいたのに血液はサラサラにはなっていなかったようです。 医療センターでは心臓循環器に通っていたのに心音を聞いたり血液検査などはなかったです。ただ血圧測定はあったけど。。。先生はパソコンに向かって打つだけで、次の予約日と薬の紙をくれるだけでした。 もっとはやく私がついていけばよかったんだけど、気の強い母は自分がつれていくから来なくっていいと。。。
この先生も3月で定年退職されたので、新しい先生に近くに転院したいので紹介状を書いてほしい。とお願いしました。 

総合病院に変えてからは毎月血液検査があり、ワーファリンを飲んでいるわりには血液がさらさらになっていないですね。一錠増やして二錠にしましょう。 翌月検査したらまだサラサラになっていないのでもう一錠ふやしましょう。 と、毎月一錠づつ増えていきました。 5.5錠になったときに老健の入所が決まりました。 なぜ入所することになったのかは後で書きますね。
医療センターで毎月ちゃんと血液検査をしてくれていたら、アルツハイマーは発症しなかったかも知れないと思うと悔やまれます。 

日に日に様子がおかしくなっていく父を世話をしている母が精神的に疲れてきたので、デイサービスやショートステイを利用しようと思いました。 利用するにはどうしたらいいのかと思って、伏見の地域包括センターに電話をしたら。。。期限が切れています。 もう一度認定を受けてくださいといわれて、区役所に行って介護認定の申請をしてきました。

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