アールテック日記

日々の活動の中で感じたこと、気になったことを何気なく書いていきます。

宮島 厳島神社

2019年06月19日 | 旅行
今日、明日と仕事の絡みで広島出張です。広島は、高校の修学旅行以来なのでかれこれ35年ぶりくらいになります。

たまに仕事で大阪に行くときは、新幹線を使っていましたが、そのさきの新幹線は時間がかかりそうなので、初めての、一人、飛行機です。



初めてのチケット手配だったので、勝手がわからず、ネットで予約してみたのですが、チケットがいつ送られてくるのかとドキドキしながら待ってました。
でも、最近は良くできていて、予約番号が来て、空港に行けば簡単にチケットを発行してもらえるんだと初めて知りました。アナログな昭和オヤジには、戸惑うことばかりです。





始発の電車に乗って、早めの飛行機で広島に着きました。





仕事は明日ですので、前乗りでの今日は広島観光です。どうしても、一度行ってみたかった厳島神社に広島空港から直行で、お昼に到着です。





船に乗って、ちょこっと、宮島上陸です。そして、パワースポットでもある厳島神社の鳥居に接近です。もう少し赤っぽいイメージでしたが、現物はオレンジでしたね。それでも、大きさ、存在感には圧倒されます。

この厳島神社の歴史は古く、推古天皇の時代の593年ごろからものなので、かれこれ1400年の歴史になります。

平安時代に、平清盛の崇敬を受けて、現在の社殿が整えられたとされていますが、そんな歴史を考えると、なおさら感慨深いものがあります。感慨深いと言えば、この平家、その後に源氏との権力闘争に敗れて都落ちし、北の方へと逃げのびていきます。
実は、この年になると自分のルーツというものを知りたくて、半田家の本家の方をたどりますと、宮城の石巻にあたります。この半田という名前、田んぼの田が入っているので、ご先祖様は、まあ伊達家の回りの田んぼを耕していたんだな、くらいに思っていましたが、なんと、東北の地に逃げのびた一族が、平の名を隠すためにその字を崩して、半にし半田と名乗っていたという説に当たりました(あくまでもひとつの説です。)

そこから考えた時に、この厳島神社になんだか妙にひかれる思いがあるのは、ひょっとしたら平家由来の繋がりがあるのでは?と神秘的に考えてしまうのであります。テレビ東京的に言うと、信じるか信じないかは、あなた次第!なんでしょうが、壮大なロマンを勝手に想像してしまう今日この頃です。





昔から、郷に入りては郷に従えを実践して、宮島の名物、穴子料理、穴子の刺身、穴子の寿司を堪能です。




これまた広島名物の牡蠣もいただき、とても満足な宮島、厳島神社詣りでした。




島をあとにして、宿を取ってある広島市内に移動です。せっかくなので、広電電車(路面電車)に乗りました。そして、時間があったので、原爆ドーム、資料館を訪れました。




少し前に来た、オバマ前大統領と同じアングルに立ってみます。



日本がここまで発展して栄えたのも、平和があったから。先人たちの苦労やおこないがあったから、今の私達は成り立っているのです。高校生の自分もその時思ったのではないかと思いますが、原爆ドームの光景を見るたびに、日本人として忘れてはいけない事なんだと改めて思いました。





原爆資料館は、空気が重いです。数多くの外国の人が訪れていましたが、皆すべて、言葉を失くしているのがわかります。一発の爆弾で、14万人の命を奪う悲惨さ、想像しがたい出来事です。世界の人々が、この資料館を訪れたとしたら、この世界から戦争がなくなるのではと思うくらい、インパクトは絶大です。

今日は、そんな歴史をいろいろ思う1日となりました。たまには、こんなふうに日常を離れて、いろんな経験をしなくてはと思いますね。





という事で、美味しそうな地元の居酒屋さんで、夕飯を堪能中です。

めちゃくちゃ、広島カープが負けているので、店員さんが機嫌悪いですが、カープ女子の店員さんといろんな話をして、とても楽しいひとときを過ごしています。

たまには、こんな夜もいいもんです。

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