廃太子その2 [長孫無忌の暗躍]
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貞觀十七年三月、目付役の長史權萬紀に追いつめられた齊王祐が齊州で反したがすぐ誅された。
その騒動がまだ収まらないうちに皇太子承乾の麾下紇干承基が太子が漢王元昌や宰相侯君集とともに謀叛を企んでいると告発した。
たしかに承乾は太宗に不満を持ち、その行状は蕃族の様態で、太宗のめざす漢化や文治にはほど遠い状況であった。
弟の魏王泰はしきりに太宗に誣告したため、承乾の泰への憎しみは強く兄弟相克の危機の兆しはあったが実際に謀叛が計画されていたかは不明である。
四月太宗は承乾を廃し、魏王泰を代わりに立てようとした。
無忌は焦った「泰が太子となり即位すれば、今のように重用されないだろう。あいつは傀儡となる男ではない」
「承乾と泰様の対立が今回の事件の根源です」
「泰様が即位されるということになれば、承乾やその子孫は無論、弟晉王・吳王様もご無事かどうか」
「泰様はもう自分が後継になるのは当然として、晉王様を威嚇されております」
などと無忌は太宗に吹き込んだ。
太宗は泰が自分によく似て果断なことを知っている。
太宗は建成や元吉の子をすべて根絶やしにしている。
「わが家は兄弟で殺し合うのが習いなのか・・・・」と太宗は嘆じた。
「国家の安定のためそのような習いは断ち切るべきでしょう」と無忌
「どうすればよいのだ。朕にはわからん」
「穏やかな晉王治様を皇太子にお立てになればよいのです」
「そうすれば承乾・泰・恪様達や御子孫も安泰でしょう」
「治か、あんなたよりない奴を」
「国家は安定し、羽翼は揃っています。次期皇帝は守成の方がよいのです」
結局、太宗は無忌の強い推薦により晉王治を立てることにした。
*******背景*******
現状に不満・不遇な者達は次代の継承者の周辺に集まります。
漢王は粗暴で太宗に嫌われ、君集はその大功にケチをつけられ不満でした。
承乾の素行は文治派からみれば問題だらけで、帝国の状況を考えれば廃立問題がでてくるのは時間の問題でした。しかし実際に謀叛が企画されていたかは疑問です。
魏王の周辺には次代での栄進をねらう、元宰相王珪・韋挺・杜楚客などの有能な者がとりまき次代を担う体制を作っていました。それが無忌や房玄齡・高士廉などの現在の重臣にとっては目障りでした。
無忌達は、凡庸でおとなしく、周囲に人材を持たない晉王治を推戴し、傀儡皇帝として地位の安泰をはかったのです。太宗としてもまだまだ引退する気はなく、泰の有能さは迷惑な所がありました。
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