空虚 [迪簡の忍耐]
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「倉庫はからっぽです。前使がみんな持っていきました」
「朝廷から送られてくる賜物はいつくるかわかりません」
義武軍行軍司馬の任迪簡にとっては頭の痛いことばかりであった。
前節度使の張茂昭は、易定二州を朝廷に返納して河中へ栄転していた。
長い間の河北の自立の一角が崩れたわけである。
しかし周囲の藩鎭はすべて敵であり、軍士達は不穏な状態が続いている。
現に二回の反乱がおこり、そのたびに迪簡は監禁されていた。
牙軍上層部は官爵を授けられ朝廷に従うつもりであるが、利益を感じられない中堅以下は不満であった。
「こんな貧乏節度使だから、茂昭は投げ出していったんだ」
「なけなしの財産もみんな持って行ったし」
迪簡が軍士に与える賞賜はろくになかったし、宴会すら開くことができなかった。
「ひらきなおるしかしかたがないかなあ」と
迪簡は府庁の門脇の小屋に寝起きし、粗末な食事を食べて自分にも金がないことを示した。
軍士達もそれをみて
「隠しているワケじゃあなさそうだ。ほんとうに金がないんだろう、賜物がつくまでは辛抱するしかないか」と徐々に静まっていった。
その後賜物がやっと届き、迪簡は政庁に戻ることができた。
*******背景*******
元和5年10月義武易定節度使張茂昭が兵権を返上し朝廷に歸附した。茂昭はもともと唐朝よりであったが、版籍も返上し完全に帰伏したわけである。
これにより河東節度とつながり成德節度は幽州節度と分断され包囲されることになり、唐朝の勢力は大きく河北へ食い込む。河北三鎭にとっては重大な脅威となる。
しかし幽州は劉總が継承したばかりであり、成德は唐と和してまもなかったため、異論はあってもすぐには手を出せなかった。
天徳の李景略の後を継いだ有能な迪簡が後任に登用されたが、三鎭の勢力圏を避けて運搬する賜物はなかなか到着しなかった。
茂昭は一族と共に、財産をねこそぎ持って河中へ移ったので、義武の倉庫は空っぽであった。
賞賜がもらえない將士達は不満がつのり、虞侯楊伯玉は乱し、また兵馬使張佐元も乱し迪簡を捕らえたが、牙軍幹部はこれを鎮圧した。迪簡はひたすら謹慎し、牙軍幹部達に忍耐を求めて賜物の到着を待っていた。
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