廃太子その1 [長孫無忌の苦悩]
----------------------
「困ったものだ、あれでは皇帝は務まらん、鮮卑の可汗だよ」
太宗の重臣で皇后の兄長孫無忌は嘆じた。
皇太子承乾の行状である。
もともと唐の皇室李氏は鮮卑族であり、長孫氏も鮮卑拓抜系の蕃族である。
だから承乾が蕃族としての生活を好み、性格もそうなるのは当然だ。
しかも承乾は無能ではなく武藝に優れている。
しかし今は名君気取りの太宗が文治の徹底に励む世である。
「確実に衝突するなこれでは、代わりを考えておかないとな」
太宗にしても兄の皇太子建成を攻め殺したわけであり、承乾が父太宗を殺そうとするかもしれない。侯君集など不満派で武力を持つ取り巻きはいるのだ。
「しかしあいつもな、文人気取りが鼻につくわ」
太宗の一番のお気に入り四男魏王泰のことである。
名君ごっこの太宗に迎合し、有力な文臣を周囲に集め、括地志等を編纂して上納している。当然承乾と泰は犬猿の仲である。
「あいつが即位したら、俺には何も関与させない、お飾りにするだろうな」と無忌。
他に吳王恪もいるが、そうなったら長孫氏は外戚にはなれない。
悩みは深くなるばかりである。
*******背景*******
武德九年即位した太宗はすぐ長子承乾を皇太子とした。
唐朝の皇太子はなにも仕事はない、ひまな承乾は狩猟や武藝にのめりこんだ。
もともと騎馬民族である鮮卑の出身であり、周囲には蕃族出の武人がとりまいた。
侯君集は安西征討に大功をあげた名将だが、自分も武将である太宗はその功績を妬んで過失をあげつらうことが多く、不満を高めていた。
魏王泰は元宰相の王珪など多くの有能な文臣を集め、太宗が喜ぶ文治を推進していた。
長孫無忌の妹皇后は、承乾・泰・晉王治の三子がいるが、名門である隋煬帝の娘楊妃には吳王恪と蜀王愔がいて有能だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます